現在地 HOME > 掲示板 > 戦争50 > 790.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
サドル師:非暴力一転、なぜか「反米闘士」に
イスラム教シーア派と米英占領当局(CPA)との衝突拡大で、武闘派の「反米指導者」としてにわかに脚光をあびているムクタダ・サドル師は少なくとも昨夏までは、「国民投票を通じた民主的な政府」を唱え、CPAとも妥協する姿勢を示していた。占領政策へのシーア派の不満が高まる中で、反米のシンボルとして祭り上げられた可能性も高い。
サドル師が毎日新聞のインタビューに応じたのは昨年7月末。今日のような強硬姿勢は全くなく、CPA主導の統治評議会とは別に「国連や非政府組織の監視の下で、国民投票で選ばれた国民会議」が暫定政権を担い、後に総選挙を行うという非暴力路線を唱えていた。
独自に軍隊を持つ考えを明らかにしたものの、その目的は「聖地や国民会議の防衛」に限定していた。さらに統治評議会との妥協の可能性にも触れたほか、「国民会議」がCPAに認められない場合は「あきらめて再考する」とも話していた。
雄弁さはなく、聞き取れないほどの細い声で、とつとつとした話し方だった。強い指導力やカリスマ性は感じとれなかった。聖地ナジャフの小さな事務所には、支持者がひっきりなしに同師との面会に訪れてはいたが、興奮したり、感激する人はあまりいないように見えた。
実際、今年初めまでは、イラク中南部のサドル派の集住地域に張られるポスターの肖像は、フセイン元大統領に殺された父親やおじが中心で、サドル師自身のものは少なく、同師の指導力に疑問を投げかけるシーア派住民さえいた。
昨夏から「国内外を問わず」(同師側近)、兵の募集を始めると話していた。これが現在の民兵組織「マフディ軍」に発展したとみられる。占領政策に強い不満を持つ者が集まり、CPAとの衝突を繰り返す中で先鋭化して、同師が「闘争の象徴」になっていった可能性もある。【ベルリン斎藤義彦】
毎日新聞 2004年4月8日 7時23分