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アフガニスタン:国家保安局
アフガニスタン大統領ハミド・カルザイは、前国家保安局(National Security Directorate − NSD)長官を罷免し、特務機関を再編し、全国の保安問題を解決できる若者を彼の地位に任命した。
アリフ技師としてより知られるモハメド・アリフ・サウワリ(Mohammad Arif Sarwari)の更迭は、2004年2月4日に起こり、大統領令により、彼は以前の職を失い、大統領顧問に任命された。翌日、国家保安局職員アムラッハ・サレフ(Amrullah Saleh)の同局長官任命について布告された。
両者は、パンジシェル峡谷出身のタジク民族であり、タリバンに対して戦ったアフマド・シャー・マスードが率いた北部同盟の参加者である。類似点にも拘らず、彼らは、全く異なる世代の政治家である。
ソ連の支援下で存在した共産体制への抵抗の当初からアフマド・シャー・マスードと協力していたアリフは、2001年9月のシャー・マスードの暗殺後、カルザイの下で国防相となった北部同盟の長、モハメド・カシム・ファヒム(Mohammad Qassem Fahim)元帥を支持した。今30歳ばかりのアルムラッハは、若い世代のパンジシェルのリーダーである。彼らは、80年代末と90年代初めに国外で教育を受け、90年代中盤にマスードの戦線に合流した。英語を完全にマスターするアルムラッハは、マスードの下で非常に重要な政治的役割を演じた。彼は、中央アジア及びインドとの関係を維持した。ファヒムとそれほど密接に結び付いていないアルムラッハは、NSDの国際関係を担当する部署を指導した。アナリストは、彼の中に、自分の民族的出自への執着に制限されない国家的思考を有する近代的政治家を見ている。アフガニスタンの新憲法審議時、彼がファヒムその他の元北部同盟の代表への平衡として、大統領に広範囲な権限を賦与することを提案したカルザイを支持したことは典型的である。
アルムラッハは、NSDの機構を改革するものと予想される。約2年前、NSDが創設されたとき、多くは、共産主義者のナジブラの下で存在していた特務機関から借用された。
最初のものは、ハードとしてより知られる国家情報庁(State information Service)であり、ナジブラが1986年に大統領になった後は、国家保安省(State Security Ministry又はバード)であった。
ナジブラの下で、両機関は、軍事部隊を有していた。内務相サランダに従属する憲兵においては、ハルク党(「Masses」)のパシュトゥン民族が支配的だった。
1992年4月、勝者のムジャヒディンによるカブール分割過程において、バードのオフィスと特務機関の全文書は、マスード同盟の手に入った。この事件に引き続いた内戦において、国家保安省に入った多くのタジク人は、マスードの周りに集まった。この遺産は、タリバンによる首都奪取後、1992年と1996年の間にカブールに存在したマスードの保安・諜報機関「アムニアト」(Amniat)に影響した。
2001年末から、NSDは、アリフの指導の下、国際連合軍の対テロ作戦において、顕著な役割を演じた。その職員は、CIA、及び英国SISで教育を受けた。しかしながら、同特務機関の定員(30,000人)は、著しい役割を見せておらず、過大なものと見られている。その外、国防、諜報及び対外政策におけるタジク民族及び北部同盟代表の支配は、アフガニスタンの多数派民族であるパシュトゥーン人の不満を引き起こしている。NSDも、濫用に対して、外国の外交官及び非政府組織側からの非難に曝されている。アルムラッハの任命は、特務機関をより職業的なものとする希求を示している。
最終更新日:2004/04/04
http://arab.fc2web.com/afgan/nsd.htm