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シーア派の動きについて、一年前の専門家の見解を集約したものらしいけですが、現在の動向を分析する上ではなるほどと思われる面もあったので掲載します。
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IRAQ
Shiite
Updated: April 24, 2003
シーア派がイラクを管理することになるのか。
専門家の多くは、人口の六〇%を占めるイラクのシーア派が、イラクの再建に大きな役割を果たすのは間違いないとみている。どのくらい大きな役割になるかはよく分からない。新生イラク政府の形態がどのようなものになるかまだわからないし、シーア派内部の派閥対立に加えて、シーア派、スンニ派、クルド人の間のライバル抗争も始まったばかりだからだ。
イラクのシーア派はイスラム政府を樹立したいと考えているのか。
イラン政府の保守派とつながっている一部のシーア派指導者たちは、イスラム政府を樹立したいと考えている。しかし、専門家によれば、イラクのシーア派は一枚岩ではなく、その多くは宗教色の薄い世俗派である。政教分離についての各派指導者の立場も一様ではない。さらにシーア派は地域、階級、部族主義アイデンティティーの濃淡、民族性という面でもバラバラだ。シーア派の多くはアラブ人だが、なかにはクルド人も、トルクメン人のシーア派もいる。
スンニ派イスラムとシーア派イスラムの最大の違いは何か。
この二つのイスラム集団は、どのような人物が指導者であるべきかという点で異なる考えをもっている。世界のイスラム教徒人口の一〇〜二〇%を占めるシーア派は、イスラムの指導者は預言者ムハンマドの末裔であるべきだと考えている。
一方のスンニ派は、イスラムの指導者は合意によって選ばれるべきだと考えている。シーア派は、預言者ムハンマドの義理の息子で、七世紀にイスラムの最高指導者・カリフ(シーア派の初代イマーム)として君臨していたときに暗殺された、アリー・イブン・アビ・タリブを崇拝している。アリの墓所はイラクのシーア派の聖地であるナジャフにある。
どちらの宗派が伝統的にイラクの権力を握ってきたか。
第一次世界大戦後に西洋諸国(イギリス)がイラクを建国して以来、スンニ派がイラク政治を支配してきた。とくに、サダム・フセイン期のイラク政府は、スンニ派、とくにサダムの生地であるティクリート出身のスンニ派が取りしきっていた。シーア派はこの間、残忍な抑圧の対象とされてきた。シーア派は、イラクだけでなく、レバノン、バーレーンでも多数派だし、イランではシーア派が国教とされている。
イラクのシーア派内の派閥間の宗教的な立場の違いはどのようなものか。
宗教哲学の違い、より具体的には、生存する、あるいは過去のアヤトラ(高位聖職者)たちが示した思想の違いによって分かれている、と専門家は指摘する。とくに派閥間で立場が分かれているのは政治と宗教の関係についてだ。政教分離が好ましいとみなす派閥もあれば、国はイスラムの指導者が宗教的原則に基づいて統治すべきだと考える派閥もある。
シーア派の各派閥は影響力を求めてどのような合従連衡をしているか。
専門家によれば、現在、シーア派は三、四の派閥の指導者の下で連帯を組みつつあるようだ。こうした指導者たちは、いずれも預言者ムハンマドの末裔とされ、数世代にわたって著名なイスラム法学者を輩出してきた家、つまり、サドル家、ホエイ家、ハキーム家の人物だ。しかし、イラクにおけるシーア派宗教指導者の最高権威は、グランド・アヤトラ(最高位聖職者)であるサイード・アリ・シスタニだ。
主要なシーア派集団の指導者で親米派の人物はいるか。
アメリカとの協力を惜しまないと約束していた一人がアブドルマジド・ホエイだったが、彼は、亡命先のイランからナジャフに帰国した直後の四月十日に暗殺された。他のほとんどの宗教指導者たちは、アメリカの意図を疑っているか、アメリカに強く反発している。
なぜシーア派の宗教指導者たちの多くは反米的なのか。
専門家によれば、エジプトのムバラク大統領、サウジアラビアのサウド王家、そしてイスラエルへのワシントンの支援路線が、シーア派を含む多くのアラブ人の反発を買っている。さらに、シーア派には強固な反帝国主義、反体制の立場をとる人物が多い。彼らは、外国、そしてキリスト教国に支配されるのではなく、自らの手でイラクを統治することを望んでいる、と専門家は指摘する。
イラクのシーア派指導者はどのようにして選ばれるのか。
イスラム教の指導的説教者からアヤトラにいたる上層部の合意によって選ばれる。イスラム法学の研鑽を積んで学問的業績を残し、多くの信奉者をたばねる者には称号が与えられる。最高位のシーア派指導者には、マルジャーイーヤという称号が与えられる。有力な四つのシーア派ファミリーの高位の宗教指導者のほとんどが、過去においてマラジーを務めている。マルジャーイーヤに就いた人物は通常、イラクのナジャフで暮らすが、イランの聖地クムで暮らすこともある。
マルジャーイーヤであるシスタニはどのような立場をとっているのか。
専門家によれば、七十三歳のグランド・アヤトラ、サイード・アリ・シスタニは、イスラム教への穏やかなアプローチを唱え、宗教と国を区別すべきで、世界の出来事からは遠ざかるべきだと説いている。彼はいまもこの信条や伝統から踏み外していないようだ。今回のイラク戦争の初期にも、彼はアメリカ、サダム政権のどちらにも関与すべきではないと民衆を諭した。アメリカを支持するイラク民衆は、アメリカの軍事作戦の(正当性)を彼が認めたと解釈した。シスタニは、一九九九年に当時グランド・アヤトラであったモハメド・サドルが殺害されのを受けて、グランド・アヤトラの称号を得た。
シスタニの信奉者はどのくらいいるのか。
専門家によれば、イラクのシーア派の大半の人々は、シスタニのことを、イラクの宗教指導者の最高権威とみなしているようだ。しかし、シスタニが政治運営にほとんど関心を持っていないために、誰が政治的権限を行使するかをめぐって抗争が起きているようだ。すでに、二人のシーア派指導者がナジャフで殺されている。報道によれば、この事件はアリの墓の管理権をめぐるもので、シスタニはナジャフの自宅に引きこもり、訪問者との会談も拒否しており、こうした騒ぎから距離を置こうとしている。
ナジャフで殺された宗教指導者は誰か。
親米派の宗教指導者アブドルマジド・ホエイだ。ロンドンで亡命生活を送っていたホエイは四月五日に米特殊部隊とともにナジャフ入りした。その後、彼はシスタニの息子と会談し、十日には、サダム政権とつながりのあった宗教指導者ハイダル・レファエイとの和解を果たそうと、アリの墓所があるモスクに出向いた。誰がイラクのシーア派を束ねるかを議論している内に、争いとなり、二人とも殺されてしまった。
ホエイはどのような考えを持っていたか。
専門家によれば、ホエイは、シーア派だけでなく、その他のイラク人にも正義をもたらし、宗教的過激主義による統治を拒絶する、民主主義による戦後イラクの統治を支持していた。彼の父で、一九九二年に死亡するまでグランド・アヤトラを務めたアブカシム・ホエイも穏健派だった。亡命時代のホエイは、トニー・ブレア首相の晩餐会に何度も招待され、米国務省も彼のことを好ましい人物とみなしていた。専門家によれば、彼こそアメリカにとって、シーア派穏健派運動を指導する期待の星だった。
なぜホエイは殺されたのか。
諸説あるが、専門家の多くは、ホエイがあまりに迅速に権限を確立しようとしたために、ナジャフのイスラム教徒、とくに、もうひとりの指導者として頭角を現しつつあったムクタダ・サドルの支持者の怒りを買ってしまったことが原因とみている。
ムクタダ・サドルとは何者か。
彼は、一九九九年にサダム政権によって処刑されたシーア派のアヤトラ、ムハンマド・サデク・サドルの末の息子だ(サデク・サドルには他に二人の息子がいる)。親米派の専門家によれば、サドルは、頭角を現しつつあるシーア派指導者のなかでももっとも厄介な存在のようだ。サドルはすでに独自の武装勢力「二代目サドル集団」を組織している。アメリカの研究者には、彼についての知識がほとんどなく、年齢も二十二〜三十歳くらいではないかと言われている。問題なのは、彼がイスラム過激主義を信奉しているかもしれないことだ。
彼に人気があるのは、一つには、彼の父が死後なお名声を保っているからかもしれない。実際、バグダッドのシーア派居住地域は、サダムシティーから、彼の父に因んでサドルシティーへと名前を変えたと報道されている。
サドルはシスタニを排除しようとするだろうか。
おそらくそうするだろう。サドルと翼下にある五十名の兵士が、ホエイの殺害後四日間にわたってシスタニの家を包囲し、彼が現在の宗教ポストを放棄してイラクから出ていくように要求したと伝える報道もある。シスタニは、数多くの部族指導者に支援を呼びかけ、膠着状態が続いた後、包囲は解かれた。
他のシーア派指導者はどのような役割を果たしているのか。
イランに拠点を置いていたイラクの反体制グループ、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)を率いるムハンマド・バキル・ハキームは、一九八〇年代以来サダム政権を倒すための運動を指導してきた。SCIRIはイランの指導者との関係が深いとも報道されている。その軍事部門である五千〜一万人規模のバドル軍団は、イランの革命防衛隊によって訓練されている。
ハキームはどのような考えの持ち主か。
ハキームは戦後イラクにおけるアメリカのプレゼンスに反対し、イラクにイスラム政府を樹立したいと述べている。彼がイランのようなイスラム神権政治を望んでいるかどうかははっきりしない。
ハキームとワシントンはどのような関係にあるか。
アメリカはこれまで長い間、ハキームのことをサダム打倒をめざす同盟勢力とみなしてきたが、いまや関係は冷え切って、逆に緊張している。今回の戦争が開始される直前まで、アメリカはSCIRIを手厚く扱ってきたし、SCRIは二〇〇二年十二月に開かれたアメリカ主催のイラク反体制派会議にも、シーア派の有力派閥の一つとして参加した。
だが最近では、ハキームとアメリカの指導者は激しく対立している。ラムズフェルド米国防長官はハキームに彼の軍隊をイラクから撤退させるように伝え、米中央情報局(CIA)も、SCIRIはイラク民衆にそれほど支持されていないと指摘するレポートをまとめている。最近、ハキーム率いるSCIRIは、アメリカが主催したウルにおける暫定統治機構樹立に向けたイラク指導者会議をボイコットしている。
ハキームはイラクでどの程度支持されているのか。
いまも彼はイランにいるので、正確なところはわからない。ハキームの弟がバスラを短期間訪問した際に、英雄並みの歓迎を受けたとする報道もある。さらに、イラク南部のシーア派は民衆デモをつうじてハキームのリーダーシップを求めていると報道されている。
世俗的なシーア派の指導者は登場しているか。
アハマド・チャラビはそうした指導者の一人だろう。世俗主義的なシーア派の亡命指導者であるチャラビは、米軍によって自由イラク軍の戦士七百名とともに、イラク入りした。米国務省はチャラビが戦後イラクでリーダーシップを発揮することを期待していると報道されているが、CIAや米国務省の一部は、彼を指導者とみなすことに疑問を感じている。他の指導者を現地で見つけようとする試みも開始されている。例えば、バスラでは、主にシーア派の部族指導者で構成される現地の政府諮問委員会が設立された。バグダッドでも、チャラビの同盟関係にあったとされる、ムハマド・ズバイディが、アメリカの承認なしにこの都市の行政官であると主張した。
シーア派にとって、部族的なつながりはどの程度重要なのか。
研究者によれば、とくに主要都市部においては、部族としてのアイデンティティーをもはや意識しないシーア派教徒も数多くいる。こうした人々にはシーア派の科学者、エンジニア、教師、サダム政権に仕えた官僚などが含まれる。一方で、数世紀来の部族としてのアイデンティティーが依然重視されている地域もある。さらに、部族間の報復合戦による殺し合いが正義を実現する野蛮な方法として実行されることもしばしばある。
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