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(回答先: 一言で「シーア派」と述べてよいものか? 投稿者 木田 日時 2004 年 4 月 05 日 03:04:04)
(6)シーア派 内紛激化
http://www.yomiuri.co.jp/features/gulf2/200304/sengo20030421_06.htm
聖地確保 中央への影響力に
ナジャフ 殺人も発生
「私の父はイスラムの教えを発展させた」「父は毎週ここに来て正しい道を説いた」――。イラク中部ナジャフで18日行われた金曜礼拝。精かんな顔つきをした壇上のモクタダ・サドル師は、1万人以上の信者を前に何度も父親の名前を挙げた。まだ22歳と若い師が、シーア派イスラム教徒の尊敬を集めた亡父サディク・サドル師の権威を後ろ盾に、新たな指導者として名乗りを上げたように映った。
シーア派の開祖アリーが眠る聖地ナジャフで、イラクの新体制をにらんだ各勢力の主導権争いが激化している。
発端は米軍が同地を攻略した後の今月10日だった。同派有力指導者の1人アブデルマジド・ホイ師(41)がモスク内で刺され、死亡したのだ。2日後には、ナイフや銃を手にした武装集団が、シーア派最高権威「大アヤトラ」のアリ・シスタニ師の自宅を包囲、国外退去しなければ殺害すると脅迫した。武装集団は、モクタダ師が率いる過激組織「ジャマアト・サドル・サーニ(2代目サドル・グループ)」との見方がある。2つの事件はモクタダ師が裏で糸を引いている――隣国クウェートの同派聖職者たちはそう非難した。
モクタダ師が二世であるように、死亡したホイ師も、イラン革命指導者の故ホメイニ師と並び称される「大アヤトラ」アブカシム・ホイ師の子息で、それぞれに系譜があり、シーア派が1枚岩でまとまっていたわけではない。ホイ、シスタニ両師は、フセイン政権によるシーア派弾圧を免れるため、ともに外国に拠点を置くなど、これまでは活動が停滞していた。
一方、「頭がよく野心的」(住民)なモクタダ師はナジャフにとどまり、貧困地域の若者を集めて過激組織を作るなど着々と地歩を固めてきた。モクタダ師の動きは、いわば「シーア派中央からの反乱」なのだ。
「戦後」のイラクで多数派シーア派の聖地を押さえることは、中央政府での影響力確保へと直結する。外国在住のシーア派長老たちはモクタダ師について「未熟だ。父親が偉大だからと言って高位につけるものではない」と批判するが、市内のサダム病院がサドル病院と改称されるなど、モクタダ師の存在感は確実に強まっている。
「シーア派は一つだ。内紛などあり得ない」。ナジャフの住民たちは言う。シスタニ師宅の包囲事件について尋ねても口をつぐむ人が多い。あら探しはされたくないのだろう。伝わってくるのは、スンニ派主体のフセイン政権の抑圧から解放された高揚感だけだ。
ナジャフの街では、他の都市のように武装した米兵が辻々(つじつじ)に展開する光景が見られない。宗教色の強い住民感情に配慮して、米軍が郊外にとどまっているためだ。「長年の権力の空白が混乱を生み、各派の間で緊張が高まっている」(駐留米軍)ことで、米軍も警戒しているのだ。
「対立は深まっている。しかし、タブーなんだ」。黄金のドームが目を引くイマーム・アリー・モスクの路地裏で記者と話をしていた男性が、突然、顔色を変えたかと思うと、逃げるように歩き去った。後ろを振り返ると、いつの間にか、目つきの鋭い男が2人立っている。この街のシーア派内の抗争が、イラク全土の激動を予兆しているような、不気味な光景だった。
(ナジャフで 佐藤 浅伸)
( 2003年4月21日付 読売新聞 無断転載禁止)