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3.11再検討(事実関係編 その1)
しつこいようですが、昨年の暮れから3月14日のスペイン総選挙に至るまでの過程を、もう一度洗い直してみようと思います。3.11から3.14までの経過は、あっしらさんがおっしゃるように「合法的クーデター」の可能性があり、また佐藤雅彦さんのご指摘のとおり「デマクラシー(扇動支配)統治」の実験場となった可能性もあります。したがってここにいたるまでの具体的なプロセスを再検討することは、今後の他の「民主的」な国々での政変の起こり方を予測し、見抜き、流れに対抗していくための重要な資料となる、と思います。
「事実関係編 その1」は3.11までの過程、「事実関係編 その2」は3.11から14日の選挙当日までの事実関係、そそて「分析編」で再度これらの事実関係を分析していく予定にしています。この3部連作を今週中に阿修羅に投稿する予定です。もし、これをご覧になられて抜けている大切な情報などがありましたら、ぜひともフォローをお願いいたします。
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2003年12月11日にカタルーニャ州で社会労働者党を中心とした「左翼政権」誕生が決定し、長年州政府を支えてきた民族主義中道右派「集中と連合」党、および同党と連合政権を組んできた国民党が下野することになりました(選挙は11月16日)。一方、12月13日に、フランス・ドイツが推し進める「欧州憲法」がスペインとポーランドの抵抗によって「流産」させられ、また「フセイン捕捉」のニュースがマスコミをにぎわせました。このあたりから、スペインではアスナールが野党(左派政党、民族主義政党)に対する悪意と敵愾心を剥き出し、バスク州政府のイバレチェ代表を刑務所に放り込むと息巻きます。20日にはアスナールがイラクのスペイン軍を電撃訪問し、野党から「ブッシュの猿真似」と揶揄されました。23日にはカダフィが国連の核査察を受け入れることを発表し以後欧米との「和解」が演出されていきます。
そして26日にスペイン国民に衝撃が走ります。ETAが25キロの爆薬を用意して大晦日に「マドリッドの駅を爆破する」計画を立てていた、と警察が発表したからです。この計画は1週間ほど前にフランスで逮捕されたETA幹部の証言から分かった、とされるものですが、このあたりからぼちぼちと怪しげな雰囲気が漂い始めます。そして次の日には北部アラゴン地方の道路上で別の爆弾が発見され、またスペイン政府はバスク州政府を「テロリストの協力者に支えられている」と非難します。
「テロ」に対する恐怖は2004年1月2日の英国航空のワシントン行きの飛行機が「襲撃の恐れ」から飛行中止したことでも高まり、アメリカは約150カ国からの訪問客の顔写真と指紋の登録を正式に開始しました。8日にアスナール政府はアメリカ行きの飛行機への「警備員」搭乗を認める用意があることを発表しました。19日にはブレーマーが国連が暫定政府を助けるようにアナンと会談を持っています。そしてアメリカも正式に国連の支援を要請しました。
一方、1月19日にはアスナールはサパテロとバスク民族党のイマスを非難し「社労党に投票するのは危険である」と国民に呼びかけました。24日にアメリカが欧州にもっと多くの「反テロ戦争」への貢献を求めました。1月25日の段階でエル・パイス紙による世論調査では、国民党が42.5%を得票し171から175議席を獲得する見込みで、一方、社労党は37%、135から138議席の見通しとなっています。また25日にはサパテロが国民党のラホイに1対1のテレビ討論の挑戦状を叩きつけました。また同日、米国が国連とシーア派とで暫定政府について話し合う用意があることを表明しました。
スペイン中に大ショックが襲ったのは次の1月26日です。カタルーニャで社労党などと共に連立政権を組むカタルーニャ左派共和党(ERC)のカロッ・ルビラ党首が、1月初旬にフランスでETA幹部と密会したことが新聞ABCに素っ破抜かれ、野党勢力は大混乱に陥りました。国民党政府はもちろんすぐさま社労党に「左翼連帯を解消せよ」と迫りました。カタルーニャ政府のマラガイュ代表はルビラに辞任を迫りルビラは後日これを受け入れます。アスナールは「テロに好意的である」と社労党などの左派勢力を厳しく非難。
ところが、このERC党首とETA幹部の会談の情報は、政府には国家中央情報局(CNI)がETA幹部の氏名まで明らかにして詳細に伝えたのですが、28日に公表されたこの報告書が大問題を引き起こしました。まず、この情報を第一に報道した新聞ABCの現編集長の兄弟がCNI関係者だったこと(つまり政府が発表せずに故意に新聞にリークして公表させたこと)、次に、公党であるERCをCNIがスパイしていたことが明らかになったこと、そして、そこまで詳細にETAの行動を調べることができながらETAを自由に泳がせている(というよりETAがCNIの手の内にある)という事実が白日にさらされたことです。これは国民党政府にとっても「もろ刃の剣」です。
同時に米国でも28日に衝撃が走りました。イラクの「大量破壊兵器」を調査していた責任者のデイヴィッド・ケイがCIAを非難しイラクにはそのような兵器が無かったことを明らかにしたからです。また英国でもハットン元判事がケリー博士の死についてブレアを非難しました。この日から世界がギシギシ音を立てて方向転換を開始したようです。つまり、イラク戦争に突っ走った国々の指導者に対して「嘘つき」のイメージをやっと多くの人が持ちだしたわけです。(大部分の人間にとっては明らかな形でマスコミで流されるまで「真実」ではありませんから。)
2月に入るとスペイン選挙戦は、ほとんど「イラク戦争」「ETA」で塗りつぶされます。
まず2月1日にサパテロは「政府はあらかじめERC党首とETAの会合をCNIから聞いて知っていたはず」と詰め寄りました。ところが国民党は国会の中で政府にCNIの調査を求めることを拒否し、3日には政府が「CNIの情報は新聞ABCの記事になるまで知らなかった」と発表し、CNIが所属する国防省のトリーリョは「CNIはETAとカロッ・ルビラの会談の情報を持っていなかった」と公言するまでに至りました。(これはあからさまな嘘。ETA幹部の氏名まで明らかな資料が新聞素っ破抜きの後で作られるはずが無い。)
一方イラク関連では、2月2日にサパテロがイラク戦争に関するさまざまな嘘に関して政府と米英を厳しく非難、続く3日には「サダムの大量破壊兵器」の嘘に関する釈明を求める声明を発表しました。それに対して政府側は、まず報道官のサプラナが「アスナール首相は『大量破壊兵器がある』と明言したことは一度も無い」と発言し(もちろんこれは大嘘で何度も新聞紙面やTV・ラジオで国民に流している)、アスナール自身は「戦争には国益のために参加したまでだ」とかわしています。そして極めつけは、2月4日に社労党が国家中央情報局(CNI)のイラク戦争に関する資料の公開を求めた際に、またしても国防相トリーリョは「CNIは何の情報ももっていなかった。国連で米国(パウエル)によって発表されたことしか無い。」と発言したのです。(戦争に参加するのに情報機関が何の情報も持っておらず、他国の発表した情報だけで戦争に協力する、というような馬鹿げた国があるはずは無い。)
ところで、すっかりこの激動の「主人公」になってしまったカタルーニャ左翼共和党(ERC)のカロッ・ルビラ党首は2月9日に政府を「スパイ容疑」で告訴し、さらに元首相の社労党重鎮ゴンサレスは2月11日に「政府は野党の追い落としのためにCNIを利用している」と非難します。(もっともご本人がCNIを利用してきた前歴があるので迫力なし。)また、サパテロに1対1のTV対決を申し込まれた国民党のラホイは「逃げの一手」で、さらに国民党は記者団のラホイに対する質問と討論を妨害するなど「対話なし」の姿勢を明らかにし、その上で国民党が握っている国営テレビTVEの選挙関連の報道の実に75%が国民党の宣伝に使われる、というように「一方的な情報」による作戦に徹しました。さすがに2月22日にはTVEの職員500名が情報操作に反対する調査委員会設置を求めています。
一方、イラク戦争に関しては、2月4日にアスナールがアメリカでイラク戦争を正当化する演説を行い5日には「イラクの大量破壊兵器を問題にすることは対テロ戦争に対して非常に無責任である」と発言しています。ところが、6日に報道官のサプラナは「政府が『大量破壊兵器があった』と言ったことは間違いだったかもしれない」と言ったかと思うと、翌7日には「間違っていたかもしれないが誤りではなかった」と詭弁を弄するに至りました。おまけに外相のアナ・パラシオが1年前に各国のスペイン大使に「フセインはアルカイダと関係を持っている」と連絡していたことがばらされました。
サパテロはアスナールを証人喚問するように国会に要請しましたが、もちろん国民党は拒否します。そして2月13日にサパテロは選挙に勝てば「国連が主導的な役割を果たさない限り6月30日でスペイン軍をイラクから引き上げる」事を公約にしました。逆に国民党は14日に「イラク残留」を公約に挙げました。また13日には、夏にはイラク駐留のスペイン軍が2倍に増強されるかもしれない、という報道が出ました。
2月21日、新たなショックがスペインを包みます。ETAが「カタルーニャとのみ停戦する」と通告してきたのです。これは1月のERC党首との会談の結果だ、と言っているわけですが、スペイン国民は一般にETAアレルギーが強く、選挙に大きな影響を与えるものと騒がれました。内務相のアセベスは嫌味たっぷりに「カタルーニャにおめでとうと言いたい」と言ってのけました。そして3月1日に、バルセロナからマドリッドへ向かう道路で、爆薬500キロをつんだバンが国家防衛隊に摘発され、ETAがマドリッドを攻撃する計画であった、と発表されました。
そして3月7日にはアスナールは「もし国民党の政府で無いならばデモ隊と分離主義の政府になってしまう」と国民に呼びかけています。一方、エル・パイスの調査では、国民の55.4%が「国民党はETAを選挙に利用している」と答え、51.2%が「今までの経過は国民党に有利に働くだろう」と予想し、66.7%が「今までの経過は社労党には不利に働くだろう」と答えています。そして7日の国家統計院の世論調査の発表では、66.1%が「イラクからの撤退」を求め、52.9%が「米英に協力したことは選挙に影響しないだろう」と答えています。そして65.7%が「ラホイが首相になるだろう」と予想し国民党が43.2%、社労党が35.5%の支持を受けている、という結果になっています。ただ、77.9%が「アスナールがイラク戦争協力に際して語ったことを今は信用していない」と答えており、64%が「スペインがイラク戦争に参加したことに責任を感じている」と答えています。つまり、3.11の前にも、スペインに国民の心が、相当に微妙に揺れ動いている様子がうかがわれるわけです。
そして、3.11マドリッド列車爆破。以後は「事実関係編 その2」で書くことにします。