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(回答先: 岡本首相補佐官の辞任、30日の閣議で了承へ【asahi.com記事】たぶん命が惜しくなったのだろう。 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 3 月 29 日 20:17:46)
小泉内閣の外交アドバイザーだった岡本行夫首相補佐官の辞任申し出を小泉純一郎首相は了承、30日に退任手続きが取られる。顔の見えるイラク復興支援を目指し苦心する岡本氏の行動力を評価する声がある一方で、最近は出身官庁の外務省とすき間風も吹き始め、民間企業との関係をめぐり批判も受けていた。テーマだった文民支援が道半ばだが、自ら潮時と判断したようだ。
「イラク復興支援で一区切りついた。振り返り充実した2年半だったが、奥さん(克彦大使)の件は衝撃的だった」。岡本氏は29日、記者団に首相補佐官職を振り返った。外務省OBとしての経験と行動力を買われ内閣官房参与の肩書で01年9月に官邸入り。イラク戦争中の昨年4月、首相補佐官となり復興支援の調整にあたった。
合計4回、イラク入りし「岡本氏が狙われている」とのテロ情報もある中、病院や学校復旧の必要性を現地で確かめ、首相に報告した。
しかし、現地で危険を顧みず岡本氏を案内した奥氏らの殺害事件(昨年11月)は、最大の誤算だった。進行していた文民支援プロジェクトのほとんどは凍結。「すべて白紙になった」と周囲に語る姿は、苦渋に満ちていた。事件後、橋本龍太郎元首相の手助けを得てエジプト、仏、独と共同事業を立ち上げるなどしたが、支援策は限定された。
一方で部下も持たず独自に支援策を練る岡本スタイルには、古巣の外務省から「スタンドプレー」(幹部)との批判もつきまとった。復興支援の必要性を訴えようと積極的にテレビに出演したことも、逆に反感を募らせた。今年1月には国会で、岡本氏が社外取締役を務める民間企業の社員がイラクのセメント工場を調査していたことを野党が追及。月刊誌でも取り上げられ、風あたりは厳しくなっていた。
「頑張りすぎて逆に迷惑をかけることもあり反省している」。こう周囲に語る岡本氏について首相は29日「助かりました。感謝しています」と記者団に語った。引き続き「外交顧問」としてアドバイスを受ける予定だ。【古本陽荘】
[毎日新聞3月29日] ( 2004-03-29-20:02 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/seiji/20040330k0000m010049000c.html