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3人の日本人が拘束された場所については確認されていない。ただバグダッド市内のホテルを調べたところ、宿泊名簿には3人の名前はないため、彼らはアンマンからバグダッドへ向かう途中で襲われた可能性が高いと思われる。
私は、4月8日の朝、その高速道路をバグダッドからアンマン方面へ進み、米軍と激しい衝突を繰り返しているファルージャを取材した。午前10時ごろ、ファルージャの手前にあるアブグレイブ刑務所で、米軍のコンボイが襲われ、タンクローリーやタイヤを運ぶトレーラーが炎上している現場に遭遇した。襲撃現場には付近の住民が集まり、攻撃成功を祝いながら祝砲を撃っていた。また炎上するタンクローリーに向かって石を投げながら、「ファルージャの報復だ」と叫ぶ住民もいた。
ファルージャ市内への道は米軍により封鎖されており、検問所には市内へ入ろうとする2〜3,000人のイラク人たちが集まっていた。人々は米軍とにらみ合いを続けており、反米デモも始まった。中には私の顔に石を投げたり、体をぶつけてくる者もおり、外国人に対するむき出しの敵意を感じた。「日本人も米国と同じ。お前たちは出て行け!」とば声を浴びせられた。
1年に及ぶイラク取材でこれほどの敵意を見せつけられたことは初めての経験だ。それほど占領当局とそれを支援する日本への反感は高まっている。
3人の日本人たちはこの付近で拉致された可能性がある。
4月9日午前1時 綿井健陽(所属:アジアプレス・インターナショナル)