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どちらが犯人なのかについて、見極めてゆかねばなりません。
マスコミをはじめとして、ヒステリックになっておりますが、それに同調してはなりません。
イラク人は、湾岸戦争の時もそしてイラク戦争の時も人質や人間の盾の人達を人道的に扱い、
武士道にも通じる義理がたい態度をとり、最後には戦闘に巻き込まれずに開放しました。
イラク人はもともとそういった人達なのです。
犯人が抵抗者であれば、三人が侵略者の手先でないNGOであるとわかれば、人道的な対応を
取ってくる可能性があります。
ただ日本に裏切られたとの思いが強ければ暴走する危険はあります。しかし、それを思い止ま
らせるためには、三人が侵略者の手先でなく、イラク人の仲間であることを犯人達に訴えて
ゆかねばなりません。
しかし、犯人が侵略者である場合は人質をとる目的が全く異なるため、三人に対して冷酷無情
の態度を取るでしょう。この場合三人は人とは見なされません。
冷酷無情に扱ってそれをテロリストのせいにして、日本人の憎しみを煽ることが目的となっている
でしょう。更なる自衛隊員の派遣と実戦への参加、そして国内で憲法を改めさせることを目的と
するでしょう。そうであれば三人はあえて犠牲者とされるでしょう。
この場合でも、三人が侵略者の手先でないNGOであることを訴えてゆかねばなりません。
いくら訴えても、三人を冷酷に扱うようならば、犯人は侵略者であるか又は裏切りへの憎しみ
が強い抵抗者ということになります。しかし決して仲間を冷酷に扱ってはならないと訴えて
行けば、抵抗者ならば日本人のうちのいまだ少ないイラク人の仲間を失うことを避けるのでは
ないでしょうか。そうなるよう努力しましょう。
しかし侵略者が相手なら努力しても結果は同じでしょう。しかし努力はしなければなりません。
助けるためにも、
見極める為にも。