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バグダッドが深い暗闇に包まれた17日夜8時30分頃。私はイラク主要人物に対するインタビューの件でホテルを訪れていたアバス(56)氏を見送り、ちょうど部屋に入っていた。
「カン、ウルルー」
凄まじい轟(ごう)音が鳴り響き、ホテルの部屋の窓が大きく揺れた。側で大型爆発物でも爆発したかのような感じだった。その瞬間二次爆発があるかもしれないと思い、私は急いでしゃがみ込んだ。心臓が休む暇なく脈を激しく打った。
しばらくして注意深くホテルの部屋を出た。人々は私に「やぁ、アラー(おぉ神様)」と煙が立ちのぼる方向を指差した。
私が宿を構えるアルアラビヤ・ホテルから200メートル程離れたフィルドス(天国)広場周辺のマリク・ファイザル寺院の後方から、濃い白色の煙が黒い空に立ちのぼるのが見えた。続いて撃たれた2発の銃声に身体がおのずと震えた。
イラク人が現場に走って行くのが見えたが私は躊躇した。既に通訳と運転手を帰しているこの時間に、一人で無法地帯の事故現場に駆け付けるのは、4度のイラク出張経験上“自殺行為”であることを知っていたためだった。今回の出張を心配していた家族のことも頭によぎった。
爆弾車両テロか、抵抗勢力のロケット攻撃か。気になったが、ホテルでBBC放送にすがらざるを得なかった。しばらくしてソウル時間の午前6時40分に、私はまだ寝ているソウルの妻に衛星電話をかけ、「爆発事故があったが、私は安全だ」と知らせた。
続いてアル・アラビヤ放送でニュースに接した通訳のファリス(36)から私の安全を尋ねる電話がかかってきた。彼は「一人で絶対外に出るな」と何度も念を押した。
翌日の18日午前9時、現場には米軍HMMWV(ハンビー)車両1台が要所を守る中、米英による暫定行政当局(CPA)から発行した記者のプレスカードを確認された後、やっと現場への接近を許可された。
昨年11月の出張時に記者も一泊したが、治安が懸念され翌日に他の宿に移した場所で、現在泊まっているホテルからもわずか800メートルしか離れていなかった。
ホテル前の幅20メートルの道路の真中には、幅10メートル前後のえぐられたような深い穴が開き、中には水が一杯たまっていた。目標物とされた「マウント・レバノン」ホテルはコンクリート作りの前面が崩れ、半分崩壊している状態だった。
前日、テレビでは「車両爆弾テロ」と報じられていたが、人々は一様に「空で何かが光り、続いてロケットか小さなミサイルのようなものが道の真ん中に落ちてきた」と口をそろえた。
ホテル1階のレセプションの棚にはAK47小銃3丁がそのまま置かれていた。「爆発テロに小銃は何の役にも立たないだろうに…」という思いがよぎった。エレベーターは1階と2階の間に止まったままで、壁には真っ暗な中で出口を探したと思われる宿泊客の血の跡があちこちに残っていた。
さらに被害が深刻だったのは道の向かいにある一般家屋2戸と2階建ての建物だった。人々は建物が崩壊したがれきの下から何かを取り出そうとしており、隣の2階建ての建物からはまだ煙が噴きあがっていた。
犠牲者も一般住宅の方で多く出た。この近くの住民らは「こんな爆弾テロには慣れている」というような淡々とした表情だったが、誰かが「イスラエルか米国がわざと小型ミサイルを爆破させたのだ」と話すと、皆その言葉に頷いていた。
バグダッド=イ・チョルミン記者 chulmin@chosun.com
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/18/20040318000072.html