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世界社会フォーラムに連帯した市民運動はグローバル公正運動(global justice movement)と呼ばれ、企業グローバリゼーションとネオリベラリズムに抵抗し、戦争のない世界、より自由で平等な世界を求めています。
ヤパーナ社会フォーラムでは、世界社会フォーラムに関する記事を三つ公開しました。
http://japana.org/start.html
ノーム・チョムスキー
──よりよい世界が可能だと考える理由はいくつかあります。ひとつは、世界が以前よりよくなっていることです。ずっと昔と比べて言うのではなくて、少し前の時代と比べても世界はよくなっている。すべてがよくなったとは言えないかもしれません。以前より武力による攻撃が激しくなっていますから。しかし数多くの進歩を手に入れました──
──世界はどのようにしてよくなったのでしょうか。誰もが知っていますね。神様からの贈り物ではありません。どこかの寛大な独裁者からの施しでもない。よりよい世界を求めて懸命な努力をつづける人びとがいたからです。いつものように、最も厳しい迫害に苦しみ抜いた人びとでした──(本文より)
この記事はラジオ・ハバナ・キューバのインタビューを翻訳したものです。チョムスキーのインタビューは数多いけれど世界社会フォーラムについて質問するインタビュアーが今までいなかったので、これは貴重でしょう。アメリカによるキューバへのテロ攻撃や経済制裁など、歴代アメリカ政権ががキューバに対してどのような政策を取りつづけ、キューバがそれにどのように抵抗してきたかを簡潔に説明しています。
この記事を読むと、ハイチのクーデターを画策したアメリカの政策は、なにも現ブッシュ政権に始まったものではないことがわかります。
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世界社会フォーラムと新しい社会
ノーム・チョムスキー
インタビュアー/バーニー・デュワイヤー
http://japana.org/peace/chomsky/interview_radio_havana.html
Q いま世界で何が起きているのか。教授はそれをいつも見つめています。そして分析して説明する。評論を書く。世界が直面する問題を解決する方法があると人びとに伝える。こうした活動をつづけるのには、どんな理由があるのでしょうか。
A それとは逆の質問をするのがいいと思いますよ。なぜ活動するのかと聞くのではなくて、どうして活動しないのかと尋ねてみましょう。
「特権は責任を伴う」という言葉がありますね。心に止めておくべき教訓として、これ以上わかりやすいものはありません。高い地位を与えられ多くの恩恵を受けるほど、果たすべき責任も大きくなる。当たり前のことです。そして、別にこれといった理由もないのに知識人と呼ばれる人びとは実に恵まれています。
私たち知識人は教育や研修を受けています。かんたんに資料や情報を得ることができるし、いろいろな機会を与えられる。アメリカのような国では弾圧されることもないと言っていいでしょう。アメリカは、世界の水準からすると異常なまでに自由がある国です。だから私たちは、自由に行動する機会を持たない人びとよりも、ずっと大きな責任を果たさなければなりません。
アメリカに踏みつけらている諸国を含め、他の国に生きる人びとにとって、自由に活動するのは難しいことです。だからこそ私たちの責任は大きい。アメリカの中に限っても、私たちはほとんどの市民よりも恵まれた立場にいるのですから、それだけ大きな責任があります。
これがわかれば、後はただ選択の問題です。当たり前の責任を当たり前に果たすのか。それとも何もしないのか。もし責任を果たすつもりなら、しなければならないことは自然に決まります。当たり前のことですから、何も感心されたり褒められたりするようなものではありません。人として生きる上で当然のことです。自分に与えられた機会を有益に使いたいと思います。
Q 今年の初めブラジルのポルトアレグレ市で開かれた世界社会フォーラムに参加なさいました。「よりよい世界は可能だ」という呼びかけがフォーラムのスローガンでしたが、これは将来の目標となって教授の活動を支えているのでしょうか。よりよい世界が可能だと本当に信じているのですか。
A よりよい世界は可能か。もちろん可能です。では、よりよい世界を実際に手にすることができるか。それはまた別の問題です。ここで最初の質問に戻ることになります。もし人びとが自分に授けられた責任を真剣に果たそうと思うなら、よりよい世界を実現する可能性は高まるでしょう。ただ残念なことに、自由に活動できる機会が多い人ほど、献身する度合いが低く責任感も弱いものです。
一般に言えることですが、よりよい世界を築こうと懸命に活動を続けているのは、自由を奪われ弾圧を受けている人びと、何の特権も持たず投獄の危険にさらされている人びとです。その一方で、あらゆる機会に恵まれ、あらゆる特権を与えられいる人びとは、歴史を見れば明らかなように、権力に従うという傾向があります。
いや、これは私が言い出したことではありませんよ。近代国際社会論を創設したハンス・モーゲンソーの見解です。この高名な学者が「権力を握る者に追従し卑屈におもねる私たち」を厳しく批判しています。
モーゲンソーがいう「私たち」とは米欧の知識人のことです。妥当な見解でしょう。歴史の記録が示すように、賞賛される知識人はいつの時代でも、権力を握る者たちに追従することによって地位を得ています。どんな社会の歴史を振り返っても、この事実に変わりはありません。それに反して、人間としてのごく基本的な責任を真面目に果たそうとする人びとは、さまざまな弾圧や迫害を受けて苦しむことになります。
ソ連に制圧されていた時のチェコスロバキアだったら、投獄されていたかもしれない。同じころのエルサルバドルなら、銃で頭を吹き飛ばされていたことでしょう。社会の違いによって弾圧の方法もいろいろです。
アメリカやヨーロッパなどの先進諸国ではどうでしょうか。当たり前の責任を果たそうとする人びとに対する懲罰といえば、無視したり軽んじたりすることがありますね。それから誹謗や中傷のたぐいですか。いづれにしても、他の諸国の人びとが受けている迫害に比べれば、口に出すのもためらわれるほど小さなことに過ぎません。
これが社会の実情です。例外は少ない。世界中のどんな社会でも同じでしょう。もう普遍的な文化となっています。
よりよい世界が可能だと考える理由はいくつかあります。ひとつは、世界以前よりよくなっていることです。ずっと昔と比べて言うのではなくて、少し前の時代と比べても世界はよくなっている。すべてがよくなったとは言えないかもしれません。以前より武力による攻撃が激しくなっていますから。しかし数多くの進歩を手に入れました。
世界はどのようにしてよくなったのでしょうか。誰もが知っていますね。神様からの贈り物ではありません。どこかの寛大な独裁者からの施しでもない。よりよい世界を求めて懸命な努力をつづける人びとがいたからです。いつものように、最も厳しい迫害に苦しみ抜いた人びとでした。
Q 「権力は腐敗する」という公理は正しいと思いますか。たとえば、選挙キャンペーンの演説や活動組織のリーダーが話すのを聞くと、自分を犠牲にして人びとの利益をために働くと訴えていますが、いったん権力を手にすると態度が変わってしまうでしょう。
A よりよい世界が可能だと本当に信じている人びとは権力を手に入れようとは決して思いません。そればかりか、どこかの機関が権力を与えてやろうといってきたら、その機関を打ち破ろうとするでしょう。
何らかの権威が必要なことがあるかもしれません。代表を立てて権限を委任するようなときです。しかし、よりよい世界を心から願う人びとは、そういう権威を最小限に抑えたいと考えます。さらに、権威主義に基づくすべての仕組みや機関に挑戦してゆくでしょう。そして、ひとつひとつの権威には正当な根拠があるのか、権威を持つ機関が自ら明らかにするように求める。
権威に根拠があると証明できることもあるでしょう。ただし証明する責任はあくまで権力を持ち支配する側にあります。権威のある組織だから正当だとは言えません。権威と正当性は別のものだからです。これは国家の機関や組織だけに限りません。家族という小さな組織から国際社会という大きなものまで、みんな同じことです。
ブラジルの話をしましょう。アメリカや他の先進諸国ではまったく考えられないような選挙がブラジルで行われました。北側の世界は、この選挙の成果を教訓として謙虚に受け止めるべきです。
もちろんブラジルでは、極めて少数の人びとに財産や資本が集中しています。異常に思えるほどです。社会では耐えがたい迫害がつづき、いつも警察を恐れていなければなりません。貧民街に住んでいるならなおさらです。
こんな厳しい状況の下で、民衆運動が広がってゆきます。こんな厳しい状況の下で、民衆運動が広がってゆきます。貧しい人びと、土地を持たない労働者、都会の工場で働く労働者、地方の農園などで働く労働者が団結しました。大きな流れとなった民衆運動は、資本家とメディアの強大な権力に立ち向かい、弾圧をついに打ち破って、民衆のための政府を選出しました。
アメリカでこんなことが起こるでしょうか。いいえ、想像もできません。アメリカの選挙で候補となるためには、資本家階級の支持を得て、財力と権力を後ろ盾としなければならない。それができなければ、政治システムの中に入ることは無理です。
厳しい迫害を受けながらも、貧しく虐げられた人びとが、私たちが恐ろしくてできないことを成し遂げました。私たちにとって、これほど恥ずかしいことはありません。先進諸国の市民は屈辱を噛みしめるべきです。
このような出来事が世界中で起こっています。そうして反グローバリゼーション運動と呼ばれる流れに連なってゆく。ああ、この呼び方はよくないですね。グローバル公正運動という名称がふさわしいでしょう。国境を越えて広がる新しい連帯を求めている運動だからです。
グローバル公正運動はシアトル[で99年に開かれたWTO会議に対する抗議運動]から始まったと思われているでしょう。それは北側の国での出来事だったので注目を集めたということです。たとえ数千人の農民がインドの国会へ押しかけたとしても、誰も気にはしません。
2001年の[米州サミットとも訳され、キューバを除く34カ国が参加した]アメリカス首脳会議では、アメリカが自由貿易圏協定を強引に締結しようとしたために、大きな抗議デモがありました。これも報道されています。会議がカナダで開かれたからです。もし同じようなことがアルゼンチンなど南側の国で起こったとしたら、たぶん何も報道されなかったでしょう。
たまに南側での出来事が北側で報道されることがあると、事実が大きく歪められて伝えられます。興味深いことですね。キューバへ向かう飛行機の中で、アメリカの外交政策に関する専門誌の最新号を読んでいたのですが、ある記事に世界社会フォーラムのことが書いてありました。滅多にないことなんですよ。アメリカで世界社会フォーラムのことが話題になることはほとんどありませんから。
今年の世界社会フォーラムでは10万人がデモ行進をしました。私はじかにこの目で見ています。さて、その記事のことなんですが、次のような書き出しでした。
──世界社会フォーラムでは「よりよい世界は可能だ」というスローガンが唱えられた。このスローガンは適切ではない。むしろ「古い世界へ戻ろう」と呼びかけるべきだった。反ユダヤ主義とファシズムとナチス主義の世界である──
こんな調子で話は進みます。さらに続けて、
──デモ行進をした2万人(実際には10万人でした)の人びとは、かぎ十字章をかかげて「ユダヤ人を殺せ」と声を合わせていた──
まあ、10万もの人びとがいたわけですから、目をこらして探せば、こんな変わった人間を3人くらいは見つけられたかもしれません。
これがアメリカに伝えられている世界社会フォーラムの姿です。アメリカの教養あるリベラルな知識人が読む専門誌ですから、このように事実を歪曲しなければ記事にすることができない。北側の諸国で起こった出来事は無視するわけにはいかないから、シアトルの抗議運動については、窓ガラスを割って暴れている人びとの姿が報道されました。南側での出来事は[無視することができるし、報道する場合でも]好きなだけウソを並べて伝えることが許されています。
Q 新しい社会を築く上で、こうした民衆の運動が左派政党の組織的な運動にかわって大きな役割を担っていくとお考えですか。会議【注】でもこの点がたびたび取り上げられ、左派の組織は足並みが乱れているという指摘がありましたが。
A そうですね、政治上の目的に関する限り、左派の足並みがそろっていると思ったことは実はありません。左派政党はそれぞれが権力組織です。いいものもあれば、悪いものもある。新たに生まれた民衆運動は、何かの役割を肩代わりするために現れたのではなくて、まったく新しいものです。世界社会フォーラムのようなものはこれまで存在しませんでし。
近代に誕生して以来、左派はつねにインターナショナルの創設を目指してきました。左派が本当の意味でのグローバリゼーションに反対したことはありません。だからどの労働組合もみんなインターナショナルという名称をかかげて、国際間の連帯と支援を求めてきました。けれどもそれは実現していません。現在では労働組合の活動範囲はすっかり狭められ、互いに孤立しています。組合の中に権威主義がはびこっているからです。
新しい民衆運動は違います。国境を越えて、社会の幅広い層の人びとが参加しています。農民や労働者、環境活動家、知識人、詩人など本当にさまざまです。この運動がどこへ進もうとしているのか、まだ誰にもわかりません。
運動の内部に混乱がみられ、外部からの圧力も強く、いろいろな問題をかかえています。この運動はうまくいかないかもしれない。でもうまくいかなくても失敗ではありません。次に来たるべきもののために基礎を築くことになるからです。
大切なことが一日にして成るとは思わないでしょう。奴隷制度の撤廃にせよ女性の権利にせよ、みんな同じでした。こうしたことには時間がかかります。先進国で運動を組織するときの問題の一つがここにあります。活動家でさえ、すぐに満足のいく結果を求めがちになる。
「デモをしたけど、戦争を止められなかった。もう一度やっても無駄ではないか」。こういう話をいつも耳にします。けれども地に足のついた生活をしていれば、物事はそんなふうにうまく行くものではないということがわかるでしょう。成果を得たいなら、まず基礎から築くことです。
たとえば、そうですね、選挙に勝つという目標を立てたとしましょう。勝てば大きな変化が期待できるような大切な選挙です。その場合、地域ごとにあらゆる層の人びとが参加できるような団体を、何十年もかけて組織する必要があります。豊かで抑圧が少なく、自由に活動できる機会に恵まれている国なら、ずいぶん簡単でしょう。それでも一朝一夕にはできません。
ですから、世界社会フォーラムは左派政党が果たそうとしてきた役割を肩代わりするものありません。世界社会フォーラムの役割は本物の左派政党をつくることかもしれない。でも、私たちは政治政党を求めているのでしょうか。私にはわかりません。もしかしたら、私たちが求めているものは地域ごとの協同組合や共同体なのかもしれません。それが交流を深め連合してゆき、まったく新しい社会を築くのです。
Q アメリカが世界を支配している現代において、キューバはどんな役割を果たしているとお考えですか。
A キューバは、勇気ある抵抗のシンボルになっています。1959年以来、同じ西半球にある超大国から攻撃を受け続けている国ですから。
キューバは侵略を受け、テロにさらされてきました。世界中の国をあわせてもキューバほどの被害を受けていないかもしれません。少なくとも、私が知っている他のどの国よりもひどい。またアメリカはキューバを経済の面で締めつけていますが、これは該当するすべての国際機関が違法行為だと認めたことです。テロと抑圧と非難を一方的に受けながら、キューバは耐え抜いてきました。
キューバの何が問題で、なぜ政権の転覆をはかる必要があったのでしょうか。閲覧可能になった記録を調べてみると、情報局のある分析官がこう報告しています。
──カストロ政権の存在そのものが、150年にわたるアメリカの政策に対する有効な挑戦である──
挑戦しているのはキューバです。ソ連ではありませんよ。政策というのはモンロー・ドクトリンのことです。1823年、モンロー大統領が「西半球の支配者はわれわれだ」と宣言しました。
さらに分析官は、カストロ政権の存在はきわめて危険だと主張しています。他の国が目標とするモデルとなるからです。これが「共産主義の攻撃」と呼ばれるものの正体でした。モデルとなる国の後を追う国が出てくるかもしれません。これは伝染病のようなものですから、[共産主義との闘いという名目で]病原菌を排除しなければならない。
たとえば、もう一つの9・11事件[と呼ばれる1973年の軍事クーデター]に至るまでキッシンジャーが心配していたのは、チリのアジェンデ大統領による民主主義の勝利と社会保障の制度が南アメリカだけでなくイタリアにまでも広まるのではないかということでした。そのころアメリカは、イタリア政府を転覆させるために大規模な工作を行っていました。イタリアの民主主義を打ち砕くために、ファシストの政党を後押することさえしています。
確かにキューバは、アメリカに対する挑戦が成功するというシンボルです。だからこそアメリカは悪意に満ちた攻撃を続けてきました。キューバの政権が何をしようと関係ありません。権力に服従せず独立を守っているキューバの存在そのものが、挑戦のシンボルとなって全世界に示されます。アメリカはこれを許すことのできない。
過激な手段に訴えることなしに何ができるのか、キューバはこのことを教えてくれます。ここでもまた、もっとも厳しい状況にある人びとが私たちにはできないことをしました。
たとえばアフリカの解放のためにキューバが果たした役割を見ましょう。驚くべきことが成し遂げられたのに、私たちの耳に触れることはほとんどありませんでした。今はアカデミックな文献で読むことができます。アフリカ諸国が自らを解放できるように、キューバは支援をつづけました。すばらしい貢献です。
それは世界の勢力に対抗する闘いでした。帝国主義の権力はみな、アフリカの解放を阻もうとしていた。ついに解放を勝ち取ったとき、キューバの貢献は比類ないものになっていました。これも憎まれる理由のひとつです。
キューバから来た黒人部隊が、アンゴラに侵略した南アフリカの軍隊を追い散らすことができた。この事実がアフリカ大陸全土に衝撃をもたらしました。黒人運動はこれに触発されます。南アフリカの白人は、南アフリカ軍が黒人の軍隊に敗れることがあるという事実にうちひしがれました。アメリカは激怒し、その後数年間、キューバに対するテロ攻撃を増大させています。
キューバは成功した挑戦のシンボルです。キューバの社会がどうとか、政権が何をしているとか、いろいろ議論はあるでしょうけれど、それはキューバの人びとが決めることです。世界にとって、シンボルとしてキューバが持つ意味は決して小さくありません。
Q 5人のキューバ人が政治犯としてアメリカの刑務所に収監され、虐待を受けているのはよくご存知ですね。これは法律上の問題があるだけでなく、人としての権利を踏みにじる行為です。また、妻たちと5歳の女の子イヴェットが面会に行こうとして拒否されるなど、囚人としての権利さえ奪われていす。EUや国連を始めとする国際機関は、民主主義のあり方に目を光らせているはずなのに、このような人権抑圧が見逃されているのはどうしてでしょうか。
A あっけにとられるほど簡単な理由ですよ。マフィアの親分に反抗しようという人はだれもいませんね。危険だからです。みんなそれは分かっています。マフィアの力は絶大で、だれも逆らうことはできません。何か嫌なことを親分がしても、蔭でぶつぶつ言うしかないでしょう。それが主な理由です。
次の理由は、ヨーロッパのエリート階級がアメリカで実権を握る人びとと利害を共有していることです。アメリカが権力を振りかざすのを彼らは快く思っていないかもしれません。特に自分たちに干渉してくるような場合には、嫌な気がするでしょうね。でも、もともと意見が違うわけではないんですよ。
アメリカとヨーロッパはどちらも、同じ経済統合政策を支持しています。いわゆるネオリベラリズムの政策です。これに刃むかって邪魔するような者どもをアメリカがやっつけてくれる。それを嫌がる理由はありません。
「キューバ・ファイブ」と呼ばれる5人の問題は信じられないようなスキャンダルで、もう何と言っていいのかわかりません。テロ組織がアメリカに拠点を置いてテロ活動をしている。どこから見ても犯罪です。キューバは、この組織に関する情報をFBIに提供していました。ところがFBIはテロリストを逮捕するかわりに、情報を提供した5人を逮捕したんです。めちゃくちゃな話で、言葉もありません。
アメリカ政府は彼らをきわめて厳しい条件のもとに拘束していますが、このことが報道されていません。何の記事も出ていない。5人のことが一般に知られるようになれば、政府も不法行為を続けることが難しくなるでしょう。
確かに、いくつか簡単な報道はありました。「武装していない航空機がハバナ上空を飛ぶという情報を5人はキューバ政府に伝えた」などというものです。実際に起こったことが秘密にされているわけではありません。ただ、まともに報道されていないので、だれも事実を知らないままでいます。
アメリカ政府がキューバとの貿易を禁止している問題を見てみましょうか。世界中がこれに反対しています。実際にEUはWTOで異議申し立てをしました。それに対してアメリカはただ「黙れ」と叱りつけた。当時のクリントン政権は、アメリカ政府がそれまで30年にわたって続けてきた重要な政策にヨーロッパは挑戦するとのかと反論しています。
この政策はキューバ政府を転覆させることを目的としていました。しかし、それを公然と認めることはできませんから、ヨーロッパに向かって「いかにもアメリカ政府は国際犯罪組織である。われわれの邪魔をするなら、お前たちには何もいう権利がない」などというわけはありません。結局、アメリカは交渉から降りてしまいましたね。「だれか文句のあるやつはいるのか?」というところでしょう。
アメリカは巨大な債務国です。世界の国々に対して莫大な借金をかかえています。そのアメリカが借金を返すつもりはないと言い出したら、どうなるでしょう。アルゼンチンが債務を返済できなくなったとき、国際通貨基金(IMF)がすぐに介入しました。でもIMFはアメリカには何も言わないでしょう。実際あれはアメリカ財務省の一部局みたいなものですから。もし何か言ったとしても、アメリカはまた「黙れ」と叱りつけるだけです。
記録をたどって、アメリカが関わった重大事件を検討してみましょう。まずベトナム戦争です。世界中が戦争に反対しました。ところがこの問題が国連で議題にのぼったことはほとんどありません。国連のある高官から聞いた話ですが、これを持ち込めば国連はひとたまりもなく崩壊してしまうと考えられていたからです。
セルビア爆撃のとき、国際司法裁判所がNATOの犯罪を取り上げるような動きを見せました。まあ、ほんの5秒ほどのあいだのことです。その時、アメリカの下院議員が、右よりの報道で知られるカナダのナショナル・ポスト紙からインタビューを受けています。もし司法裁判所がこの件を取り上げたらどうなると思うか、と尋ねられた彼は、「ニューヨークにある国連ビルのレンガを一つずつはがして、大西洋に投げ込むでしょうよ」と答えました。もちろん、これは象徴的な言い方です。
当初、国連はアメリカが動かしていました。これは拒否権の記録を調べればわかります。力の配分が偏っていたからですね。60年代になると、国連は世界世論ともいうべきものを反映するようになりました。数多くの植民地が独立して、国連に加入してきたからです。すると60年代の中ごろから、アメリカが拒否権を行使する回数が多くなってゆきます。アメリカに次いで多いのがイギリスです。
他の国と比べると、アメリカが拒否権を行使した回数は圧倒的に多い。これは大きな問題なのに、だれも論じることができないでいます。アメリカが世界の意見を拒否するたびに、国連が麻痺するという事実が論じられたことはありません。
昨年、イラクが国連決議で示された要求の一部にしか従っていないことが問題になりましね。あれは空騒ぎにすぎません。もちろんイラクは全面的に従うべきだったかもしれない。しかし、イラクがもし拒否権を持っていたとしたら、国連決議に従う必要など最初からなかったことになります。
つまりね、国連決議を木っ端みじんにしようと思えば、拒否権を発動すればいいんです。だから決議に従わないことを問題にするなら、まず拒否権の問題を議論しなければなりません。決議違反に関するアメリカの記事で、この点を取り上げたものは一つもないと思います。
アメリカの拒否権によって潰された国連決議は、どうでもいいような決議ではありませんでした。すべての国家に国際法を守るよう求める決議に拒否権を行使しています。国際司法裁判所がアメリカの行為は明白な国際テロであると判決を下し、これを承認した安保理の決議にも拒否権を行使しています。
だれもこれについて語りません。知らないんです。意識の片隅にも入っていない。大学の教授クラブや新聞の編集部へ行ってごらんなさい。こんな話はだれもしていないでしょう。強大きわまりない権力と、それに付き従う知識階級を持てばどうなるか。それがよく分かります。モーゲンソーが指摘した通りです。都合の悪いことは歴史から消され、なかったことになります。
1〜2週間前にバグダッドで世論調査が行われました。ギャロップに調査をさせたのは右派のアメリカ企業研究所です。これを主流メディアが報じています。ニューヨーク・タイムズの見出しは「サダムが去って喜ぶバグダッド市民」となっていました。
どうです。世論調査なんかしなくても、そのくらいわかるでしょう。でも調査の結果をよく見ようと読んでゆくと、最にこう書いてありました。「印象の一番いい外国の指導者はだれか」という質問に、ジャック・シラクと答えた人がもっとも多かった。これは何を意味しているのでしょうか。
2週間後にこの記事を書いた記者が、なぜシラクを選ぶのか「わけがわからない」とコメントしています。つまり、
──アメリカがイラクに出向いて解放してやったのに、一番人気の外国人は戦争に反対した人物だというなんて、彼らはよほど頭が変になっているのだろう──
という意味です。この記者によればバグダッドの民衆は頭のおかしいアラブ人だということになる。しかし、人びとが侵略に反対していたと考えるべきでしょう。それ以外の解釈はできないはずです。
このような形で事実が報道されています。政府が検閲しているわけではありません。でも注意深く読んで意味をよく考えようとしないなら、検閲されているのと同じことです。こんなことは常にあります。
Q 会議に参加するためキューバを訪問されるにあたって、アメリカから許可をとるのにやっかいな問題があったようですね。帰ってからも問題はつづきそうですか。
A アメリカのような国では、何らかの特権を持っている人がたくさんいます。私もその一人です。そういう人びとは、他の国々と比べると、まったくといっていいほど政府から迫害を受けることがありません。
ニクソン時代に私はブラックリストに載っていました。しかし何も迫害されることはなかったし、されるとも思いませんでした。長期の禁固刑を受けそうだったこともあります。それは[ベトナム戦争に抗議して]納税反対運動を組織したり、他の抵抗運動を支持していたからです。私の活動はだれもが知っていたことですし、迫害されたとはいえません。
人が本当に怖いと感ずるのは警察ではなくて、まわりからの侮辱です。権力を握る者に追従し卑屈におもねることを拒むなら、激しい怒りに会い、いつわりを投げかけられ、際限のない中傷に苦しむことになります。
うそも長く繰り返していると真実になってしまう。さまざまな汚名を着せられ、ユダヤ人虐殺の事実を否定する悪人だと呼ばれることもあります。愉快なことではないでしょう。しかし世界中で人びとが直面している苦難に比べれば、こういう不愉快さは語るに足りません。
2003年 10月31日
Noam Chomsky and Bernie Dwyer, "Interview with Professor Noam Chomsky," Radio Havana Cuba (Oct. 31, 2003).
http://www.radiohc.cu/ingles/especiales/features31oct.htm
インタビュアー/バーナデッテ(バーニー)デュワイヤー。 アイルランドの活動家・ジャーナリスト。キューバ市民との連帯を求めてキューバに渡る。現在、ラジオ・ハバナ・キューバで英語放送を担当している。
この翻訳は月刊『自然と人間』2004年1月号に掲載された。
【注】チョムスキーは10月末に開かれた第3回ラテンアメリカ及びカリブ海諸国社会科学会議に出席するためにキューバを訪れていた。
著作権(2003年)
原文に関するすべての権利はチョムスキーとデュワイヤーが留保する。
翻訳に際しては両人の許可を得た。
翻訳/荒井雅子・安濃一樹・別処珠樹
編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
http://japana.org/start.html
mailto: kazuki@japana.org
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