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党員用討論欄「戦時下の弾圧は当たり前」2004/3/5 長壁満子、40代、金融
3月5日、しんぶん赤旗は昨日に引き続き、共産党ビラを配った公務員を逮捕したとして、「言論・政治活動の弾圧」を抗議しています。一面から半分ほどのスペースを割き、文化人に証言させ、小林多喜二まで(ようやく)声欄に登場させています。が、普通の人はおそらく、こうしたことは気にもせず、知ろうともしないまま、日々をすごしていくのでしょう。
「民主主義社会でこんなことがあっていいのか。ーー誰もがびっくりするような人権侵害・自由抑圧事件です。
その「犯人は」警視庁公安部。
・・・
掘越さん不当逮捕は、警察による人権侵害、思想・信条の自由抑圧の憲法違反行為です。警察が憲法違反の国民弾圧に血道を上げることは、国民にとって、二重、三重に危険にさらされることを意味します。絶対に許されません」(しんぶん赤旗)より
確かに、そうでしょう。共産党の主張は正しい。大仰に、まるで、イラク戦争が開始されたときのような紙面で、この国家犯罪を糾弾するのは間違っていません。良識ある地方紙(高知新聞等)がとりあげるのも当然のことです。
ですが、同日、朝日新聞の主張「ビラ配りでなぜ逮捕」は、非常に分かりやすいものでした。
「自衛官、ご家族のみなさん
自衛隊イラクは兵反対! いっしょに考え、反対の声を あげよう!」
と書かれたビラを配布した市民団体三人が警視庁に逮捕、家宅捜査されている。・・・自衛隊に反対する内容だたからこそ、逮捕に踏み切ったのだろう。
私は最初、共産党のビラのことを朝日が主張としてとりあげたのかと、驚いたが、共産党のことは一行たりともかかれていなかった。
しんぶん赤旗も、朝日新聞も愛読者の私には忸怩たるモノがある。はらはら、いらいら、時に怒り心頭に発すなんてこともある。社会事象から世界戦争まで、安心して読めるなんてコトはめったになく、胃がいつもキリキリしているような昨今だが、何とか、この2紙は購読中である。
「温度差」ということを私は何度か口にしてきたが、私がふれるメディアから国内の人々まで、そうとうな温度差を感じ続けて現在進行形である。
しんぶん赤旗を例にすれば、一、二年遅れの戦争論が語られ、文化欄や一面に、ようやく、今の戦争を危惧する肉声が登場するといった感じである。数日前からようやく、奥平氏の戦争からみた国家認識論といったものが掲載されている。
昨今は、政治活動も言論の自由も、教育・思想・信条の自由も、ザックザックと軍靴が踏み潰している最中ではないだろうか。
こと、共産党に関しては、他党特に自公の反共作戦は頻繁になされてきたし、何度も言うが私が入党のきっかけになったのは、選挙の際の公明・創価学会の謀略ビラである。
この民主主義の時代に、赤狩りよろしく怪文書の横行、しかも、政権党の側からのそれに私は何倍もの怒りを禁じ得ず、小林多喜二がよみがえったからこそ、党員になったのである。支部長の勧めからでもなく、党のビデオを見たからでもない。不破氏のかざすグロテスクな反共ビラの映像をテレビでみたからである。
選挙のたびごとに毎年繰り返される謀略、選挙違反、政治家の暴言、先にはヤフーの情報漏えい、何百万の個人情報が一手に権力の手に不当に集められる。首謀者は共産党・もと宮本議長盗聴事件の犯人だというではないか。盗聴法に賛成した公明党・創価学会員であったというではないか。
その他、辻元逮捕も然り、学生時代のレイプ事件コイズミの罪もそうだが、コイズミの秘書という姉をはじめとしていったい、政界で何人が秘書詐欺で」引っかからないといえるのだろうか。その暴言において、一体何人が政治家にあるまじき人間として、断罪され、本来、議員辞職せねばならないか。
子どもの教育現場での軍国主義復活はどうであろうか。自衛隊ビデオが小・中学生向けに配られ、自衛隊研修もあり、こうした最近の国家権力の介入は、まさに戦時であろう。
「国家のために犠牲になれる精神を養う」と豪語したのは自民党議員である。この期に及んで、これら国家権力の麻酔薬に酔いしれているものがこの「さざ波」にもごまんといるが、いい加減にしてもらいたい。
ゆでがえるが気にいらないなら、家畜でどうであろうか。最近の家畜は、そうはいっても、人間に体当たりするサルがいたように、あるいは病気となって、仕返しテロ行為に及ぶ鳥や牛が続出中である。
何がいいたいかというと、今回のビラ撒き事件は、共産党のそれも市民団体のそれも、根っこはおなじであるということだ。平時の弾圧ではなく、はっきりと戦時国家の国策のそれであるということだ。国家に逆らうものへの弾圧、反逆罪のひとつである。
ならば、共産党はなぜに、こうした事件の数々にもっと、党として、きちんと対処してこなかったのだろうか。
もっとも基本とする、綱領問題においても、
自衛隊活用然り
天皇制問題然り
国旗法整備然り
共産党はこうした国家権力に拮抗するべく問題を、今までどうしてきたのか。本来闘うべき指針とでもいうべき綱領の骨組みを壊し、矛盾を糊塗し、追及するものを排除するという常套手段で、何をどうしようというのだろうか。共産党の今日までなしてきたこと、80年を越える歴史の資産(遺産)はいまや、戦時の前には吹けば飛ぶような「ゆでがえる群」なのであろうか。
自らが撒いた「種」の行方に責任もとらず、その芽が身内への不利ととるや、声高に主張し、身内だけで結束するこうした姑息なやり方が無党派層の連携を呼び込めず、3月20日、日比谷ではなく、芝公園でーーとなるのだろう。さきの私の真摯な党を思う「日比谷への呼びかけ」は無視され、返事さえもない。
共産党のこうした傲慢さと狭量、それと企業系メディアの朝日の臆病さを私は指弾する。
どっちもどっちである。