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一般投稿欄ヤシン師の死の衝撃の中、喪に服しながら・・・2004/3/24 長壁満子
第三次世界戦争渦中にある今、ヤシン師の死の衝撃を機に、今、改めてこの世界のおどろおどろしい戦争構造、悪魔がとりしきる恐怖を感じている。
今まで、ハマスの存在はしっていても、精神的支柱とされるヤシン師は、ほとんどの人々はしらないのではないだろうか。否、ハマスだって、ふつうの日々を営む人々はしらないだろう。知る人も、単なる過激武装集団、テロリストというイメージでしかわからない。
日本の全てのメディアが、彼の死をまえにして、初めて、温厚な車椅子のヤシン師を称え、彼の平和へのなみなみならぬ熱意を喧伝しているが、遅い。
今までに、生きている間に、ブッシュとシャロンと同程度に、とりあげるべきであったろう。ビンラディンもそうである。パレスチナ問題が世界の戦争の根源にあることが自明の理でありながら、全てのメディア、全ての政党は及び腰であった。戦争の根源を直視せず、ネオコンブッシュの垂れ流すままの米国製報道の上っ面をなでる程度の扱いであった。
テロはあくまで憎むべきものとして戦争のターゲットにしておかなければならず、「テロリスト」の大義が解明されては、ブッシュの戦争及び米国の犬・日本にとっては都合がわるいのである。
だが、もう、逃げるのはやめよう。
戦争のうそシナリオに騙されるのはやめよう。悪魔に加担して、惨めな属国に甘んじるのはやめよう。
いまこそ、改めて、私たちは、今おこなわれている戦争の真実を知る権利と義務がある。シャロンの狂気でつぎつぎ犠牲になる子供や女性、ハマス幹部たちの遺志を私たちは受け止めよう。
シャロンの蛮行が理解できたなら、蛮行の犠牲になっている、これからも犠牲になりつつあるパレスチナの人々の側に立って、声をあげなければならない。 戦争の根源にたちかえって、日本のメディアを、新聞を検証しなおさなければならない。そうすれば見えてくるものがある。「無差別テロ」などという安易な言葉、人間を「捕獲」するなどという非常識な単語、出兵を派遣、占領を人道支援、イラク人殺しを治安などというメチャメチャなごまかしに気付くだろう。
否、そんな大げさに考えなくてもいい。
たとえば、手足をなくした女の子、飲み水を奪われたパレスチナの女性に思いを馳せれば、見えてくるものはごまんとある。どうして、彼女等の体が傷つき、飲む水さえもなく、自由に祖国を移動することもできないのか。どうして、巨大な壁が、立ちはだかるのかということを、ほんの少しの心と頭で考えれば、よほどのケダモノでない限り、理解できるというものだ。
私たちは、ほんとうにいま、この国が何をしようとしているか、どこに行こうとしているか、私たち自らが誰を殺そうとしているか、人間をやめてケダモノに変身しようとしているのだということを、胆に命じる必要がある。
今、自衛隊は、日本軍隊となって、「イラクの人たちの人道支援」と銘打って、イラク人皆殺しの武器をあまた携え(たとえば、拳銃、小銃、機関銃、無反動砲や個人携帯対戦車弾まで装備し、毎分400発〜600発を連射できるのだという)、現地にでかけている。
例の三浦珠門は「もし戦死者がでれば、それは憲法改正のための尊い犠牲なのだと考えたい」と、自衛隊の戦死を待ち望む。石原も同じようなことをいっている。支配層の言うことは、だいたい、同じである。人間の言葉でないのだから、戦争のためのマニュアルどおりのうつろな不気味な言葉が跋扈する。私たちは、家畜小屋から飛び出そう。煮えたぎりつつあるゆで釜から飛び出そう。あなたが人間としてありたいならば。