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『多国籍軍参加は問題なし』 “お墨付き”出した内閣法制局
なし崩し解釈 露払い
日米首脳会談で、小泉首相は国連安保理のイラク新決議に基づく自衛隊の多国籍軍参加を早々と表明した。多国籍軍への参加は、集団的自衛権の行使の観点から論議を呼んできたが、あっさり一歩を踏み出した。その“露払い役”が、内閣法制局の「限定的な任務なら憲法上問題ない」という新見解だ。内閣法制局といえば、かつては集団的自衛権の行使で厳格な解釈を貫いたこともあったはずなのだが…。
■各省庁から人材集結 『行政府の最高裁』
「暫定政権にも歓迎される形で自衛隊派遣を継続する」
日米首脳会談でのこの小泉発言には伏線があった。今月一日、秋山収内閣法制局長官が「他国の武力行使と一体化しないことが確保されれば憲法上問題ない」と国会で答弁したことだ。
野党の一部は「従来の政府見解は、武力行使の有無で区分けせずに多国籍軍参加は憲法上できないとしてきた。(内閣法制局長官が)憲法違反の行為を正当化するのは許せない」(福島瑞穂社民党党首)とすぐにかみついた。本来なら、国論を二分しかねない問題に“お墨付き”を与えた格好だ。
露出度も低く、「知られざる官庁」ともいわれる内閣法制局は、定員わずか七十七人の小さな役所だ。その任務は「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」と内閣法制局設置法に規定されている。
法制局の歴史や実態に詳しい明治大学の西川伸一助教授はこう解説する。「法制局は法律を解釈して意見を述べるだけで、それを守るかどうかは行政府に任されている。しかし行政府は慣例として法制局の解釈に従う。この結果、法制局長官の国会答弁に重みが生まれ、『内閣法制局=行政府内の最高裁』ともいうべき権威が確立されてきた」
■審査した法律で違憲判決はゼロ
政府が国会に提出する法案はすべて事前に法制局の審査を通される。戦後の国会で法制局を通って成立した法律で、最高裁から違憲判決を突きつけられたものはただの一つもない。
七十七人のうち法律審査に当たるのは、他省庁の課長職に相当する参事官で計三十人足らずだ。全員が他省庁からの出向者で、法務省四人、財務省三人、外務省二人などと各省庁に割り当てが決まっている。環境省、防衛庁などにはポストが回ってこず、「霞が関のランク付けが反映されている」(西川助教授)。
法務省出身の検事併任者を除けば法律専門家はおらず、秋山長官も通産省(現経済産業省)出身だ。出向期間はおおむね五年間で、この間にエキスパートとしての特訓を受ける。
内閣法制局は二つの顔をもつ。「時代が変わろうとも法の解釈は変えずに守り抜くという『憲法の番人』と、時の政権の政策を擁護する『内閣の法律顧問』だ」と西川助教授は言う。
■官邸の便利な『知恵袋』
法制局が法治国家としての整合性を保つために政治的圧力と戦ったこともある。イラクがクウェートに侵攻した一九九〇年、多国籍軍支援のための自衛隊海外派兵を盛り込んだ国連平和協力法案(廃案)が起草されたが、当時の工藤敦夫長官は「武力行使と一体となった行動への参加は憲法上許されない」と強調し、法案に抵抗した。与党幹部からは「法制局長官は罷免してしまえ」と激しい言葉が浴びせられるほどだった。
しかし、その一方で法制局は政権の都合のいいように憲法解釈を行ってきた歴史も厳然としてある。
その端的な例が、憲法九条の解釈だ。憲法制定直後の四六年六月、吉田茂首相は「憲法は自衛権を放棄していないが、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄している」との立場だったが、警察予備隊発足後の五〇年七月には「治安維持の目的で軍隊ではない」と同首相は答弁している。首相の発言は当然、法制局の見解に基づいている。その後、自衛隊に改組され、年々増強されていく現状に合わせ、六九年には高辻正己長官が「わが国民の生存と安全を守る限度を超えないならば、核兵器の保有もできないことはない」と踏み込んだ発言をした。
自衛のためならば、どのような自衛力を持つことも事実上可能になったのは、まさに法制局が「便利な知恵袋」としてなし崩し的解釈を行ってきた結果だ。もちろん「法制局は解釈の変更とは認めない。法律を論理的に展開していった結果だと主張している」(西川助教授)が…。
■与党内タカ派と対立のケースも
自民党と社会党が二大政党として対立した五五年体制時下では、憲法九条をなし崩し的に解釈する法制局対野党というのが、基本構図だった。それが湾岸戦争以降は劇的に変化した。
「今や『法制局の硬直的な憲法解釈が国際貢献を阻む』と考える政府与党内のタカ派にとって法制局は目の上のたんこぶだ。矢が飛んでくる方向が逆になった」と西川助教授は話す。
では、今回の“新見解”について、内閣法制局の担当者はどう説明するのか。「今回の多国籍軍で、他国の武力行使と自衛隊が一体化されないことが確保され、人道支援ができるという制限が満たされれば、憲法上問題ないということ。従来の判断が変化したわけではない。一体化されてしまうなら当然、違憲という判断にもなりますよ」と強調する。
多国籍軍参加は憲法解釈上はどうなのだろうか。「参加は自衛隊の武力行使に非常に近い形になる。行使が現実となれば、当然、国際紛争の解決手段として武力行使を永遠に放棄することをうたった憲法第九条に違反する」と指摘するのは東京大学の奥平康弘名誉教授だ。
「現実となれば」と注釈を付けるのは、政府が多国籍軍では武力行使を行わず、人道支援に特化した活動を参加の条件に挙げているからだが、奥平氏は「自衛隊のサマワ派遣から始まって小泉首相は、常に違憲の疑いを含みながら進んできた。今回も正面から違憲性を指摘されるのを巧みに避けながらブッシュ米大統領への意思表明という形で決定を先行している。違憲を自覚しながら文言で切り抜けるのが彼の常とう手段」と説明する。
■「法治国家で国会を無視」
法政大学の永井憲一名誉教授は「多国籍軍への参加は、憲法で認められていない集団的自衛権の行使に踏み込むことにつながり、当然、国会や国民の間で議論が必要な案件。日本は法治国家であるはずなのに小泉首相は完全に国会を無視している」とした上で、内閣法制局の立場について「政府側に立って官邸のおぜん立てをするのが仕事。憲法の番人たる裁判所とはほど遠い存在だ」と言い切る。
今の現状について、奥平氏はこう懸念する。「人道援助の名のもと、違憲性のある既成事実が次から次へと先行しているが、小泉首相の最終目標は改憲。『現状が憲法にそぐわないから、合わせましょう』との論法だ。私たちが声高に叫ぶ違憲の声も逆に利用する狡猾(こうかつ)さが小泉首相にある。多国籍軍への参加は、まず一度、自衛隊を引き揚げさせ、国会で論議した上で決めるべきだ」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040611/mng_____tokuho__000.shtml