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(回答先: 理想を捨てずに 投稿者 真理を愛する者 日時 2004 年 5 月 21 日 07:59:51)
>真理を愛する者さん 真相ハンターKと言います。宜しくお願いします。
レスが付かないのが良いのか、レスが付かないのは寂しいのか?特にこの様な一種の理想論的なものには色々と問題があるのですが・・・
とりあえず
>これ以上の言葉はないでしょうね。
には同意できません
少なくとも、このローマの信徒への手紙にはいくつかの矛盾と状況の見落としがある気がします。「悪を憎み」として「汝の敵を愛せよ」(今回は「迫害者を祝福しなさい」という意味の表現ですが)とも言っています。もっとも、「復讐は神にまかせなさい」と反撃を戒めているのですが・・・
ある意味では聖人君主であるならば「自分に対する迫害」には耐えられるかもしれません、しかし、自分の愛する者(妻、子供、友人)などへ対する迫害を耐える事はできるでしょうか?また、その場合は耐える事は「本当に正しい道」でしょうか?
この世の戦争の多くは「キリスト教の拡大政策」によって起こってきました。一見して正しいと思われる言葉でも、宗教や思想が関係するならば「無批判に受け入れる」のは危険です。
今回のイラク戦争などはキリスト教によってインディアンを駆逐して建国された合衆国がさらに、イスラエル建国を支援し、イスラム世界の人達の同士討ちを画策した事の清算という意味合いの高い戦争です。
言葉は言葉でしかありません、宗教や思想を宣伝することを目的にした言葉ならば、商品の広告と同じです。それは、綺麗な美句に飾られています。その様な場合は疑ってみなければいけません
「主を疑ってはいけない」と言われるかもしれません。しかし、主は預言を禁止したはずです。この「ローマの信徒への手紙」が本当に主の言葉かは疑問です。多分これは主ならばこう言われると思った預言者によるものです。しかも、時の権力者によって改竄されていないとも断言できません
言葉は概ね正しいと思いますが、あくまで概ねです。確かにこの言葉が世界中の人に実践されれば争いは減るでしょう。しかし、この言葉を一番無視して来たのがキリスト教徒であることも事実です。この言葉を実践していれば今頃キリスト教は滅んでいます。お人好しは滅ぶのです。
ならば、この言葉はキリスト教に敵対する者に向けられた「呪いの呪文」ではないでしょうか?