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(回答先: 手記「人質」となって 今井紀明 2.占領への抵抗 大衆支持 民兵と対話 高遠さんが仏教説く【東京新聞】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 5 月 18 日 22:12:03)
手記「人質」となって 今井紀明 3.帰す約束…裏切られた期待 叫ぶ高遠さん『ただのアリババ』【東京新聞】
http://www.tokyo-np.co.jp/hitojichi/txt/20040519.html
拘束二日目の夜は、真っ暗で狭い、物置のような部屋に閉じこめられた。見張りの民兵Bがランプを持ってきて、自分の家族が米兵に殺されたことなどを語りだした。彼は手りゅう弾二つと自動小銃カラシニコフを持っていたが、他の民兵に比べて明らかに使い慣れていないようだった。
外のトイレから戻ってきた郡山総一郎さん(32)が「ノリ、外で戦闘が見えるぞ。光だ」と言った。私も続いて「トイレ」という名の「見回り」に出かけた。
遠くの街で、銃弾らしき光が飛んでいる。「タタタタタ」という発射音も聞こえる。部屋に戻ると郡山さんが「車の移動時間から考えると、ファルージャの周りを回っているのだろう。だからあれはきっと、ファルージャの戦闘だ」と言う。私は、監視役だった民兵Aが別れ際に言った言葉を思い出していた。
「おれはファルージャに行く。おまえたちは明日、きっと帰れるよ」
身ぶりとアラビア語でそう言いながら見せた、優しい笑みを忘れることができない。彼は今も生きているだろうか。眠りにつきながら「複雑な思いだね」と言うと、郡山さんは「それが戦争なんだよ」と答えた。
■ ■
鳥の鳴き声が聞こえた。三日目の朝、目覚めるとすぐに私たちは移動することになる。ジェネラルと名乗った男との約束では、今日帰ることができるはずだった。
暑い日だった。車で一時間ぐらい走っただろうか。目隠しを取られて周囲を見ると、そこは何もない砂の道だ。目の前には拳銃を持った、知らない数人の男たち。「バグダッドには行かない」と言っているようだった。
高遠菜穂子さん(34)が泣き叫んだ。「私たちを帰して。今日、帰す約束だったでしょ。荷物も返して」。郡山さんも言った。「何が『ムスリムはいい』だ。やっていることは、アメリカと同じじゃないか」。私は泣きそうになった。
砂の道をしばらく歩くと、私たちは周りに何もない一軒家に着いた。連れて行かれたのは、屋根は木製で、壁は粘土で作られた南国風の部屋。「別のグループに売られたのか」と危ぐした。
高遠さんの怒りは収まらない。「ムジャヒディン(イスラム戦士)と言うけど、あなたたち、ただのアリババ(盗賊)じゃない」。すさまじいけんまくに五人ほどの男たちは困った顔を見せ、「三日待ってくれ」と言い残して部屋を出て行った。
■ ■
結局、三日たっても彼らは戻って来なかった。期待はまた裏切られたのだ。拘束の間、私たちは八回、場所を移動させられたが、この南国風の部屋で三日目から八日目までを過ごすことになる。
なぜ解放が遅れたのかは分からない。ただ、私たちが拘束されていたのは、ファルージャでの米軍と地元武装勢力との停戦合意が、崩壊の危機にさらされながら、延長を繰り返していた時期だった。彼らの安全を確保する上で、こうした情勢が関係していたのではないかと思う。
顔に深いしわを刻んだ年配の男性と、目のきれいな青年の二人が世話をしてくれた。食事はぜいたくだった。「市場で買ってきた」という、高価な鶏を使った料理が日に二回も出された。
だが、「本当に帰れるのか」という不安に駆られながら解放を待つのは苦しかった。太陽の昇り沈みで時を計りながら、私たちはじっとその時を待った。
(2004年5月19日)