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幕末から明治初期までの時代は、現代とはまるで違っていて、変化に対応できる活力のみなぎっている時代だったのです。それで、明治維新を行う事ができたのです。明治維新は行き過ぎと間違いを含んではいました。公武合体論を排除してしまった事がその最大の物であり、それにより、多くの大切な失ってはならないものを失いました。
それはさておき、大きく変化に対応する事は出来ました。
明治時代の人は、実は江戸時代の人なのです。江戸時代人が衣裳(政治・社会のスタイル)を変えたと言うことなので、「人」は同じなのです。
明治時代は「メイド・イン・エドジダイ」なのです。従って、この明治維新と言う変化は実は見かけとは違って、「大きな変化ではなく」、その後の近代日本の変化の方が実は大きなものだったのです。
戦前から唱えられていた「昭和維新」や、また「平成維新」といったものが実現しなかった理由は、この近代日本の変化にあります。明治維新のような大きな改革をやれる力のない社会に段々となっていってしまったのです。社会が劣化し、それで、人の活力が低下したのが、その理由なのです。
平安時代と近代(明治から平成まで)は共に、亜流帝国主義体制であり、その共通する特徴に「社会が段々と劣化して行き、それに連れて、人々の活力か低下して行く」と言う事があります。
それで、平安末期には劣化が極端に進み、一旦は崩れ去って、甦った人々の活力によって、鎌倉時代が出来たのです。
平成の今も同じで、極端に劣化しており、平成貴族達は劣化の塊になってしまいました。
それで、これは崩れて、やがて甦る人々の活力により、新しい時代、亜流帝国主義ではない時代が出来てくるのです。
平安時代と近代とでは、亜流帝国主義が崩れた理由が異なります。前者では海の隔たりにより、大陸の中華帝国の影響が薄れていった事によります。単純な理由によります。ところが、朝鮮半島は影響を受け続けました。
近代では海の隔たりは大して役に立たず、いつまでも影響を受けています。
それが崩れてきたのは、本体の帝国主義がもたなくなって、世界的規模で崩れて来ているからです。日本自身がしっかりさえすれば、もっと早く影響から逃れる事はできるのです。しかしともあれ、本体にくっついて亜流も崩れつつあります。本体に頼ってきた平成貴族達はなすすべもなく、ボー然としています。
明治維新は王政復古でこれは奈良・平安の時代に倣った事で、すなわち過去の亜流帝国主義に倣ったと言う事なのです。
この体制は先の敗戦の後も米国の影響の下に形を変えて続きました。
ちなみに、鎌倉時代は天皇の権威を軽んじた事などを除けば、元々の我国本来の体制に近かったものであろうと考えています。後で、天皇の権威の問題から南北朝の動乱がおこりました。
また神武天皇の東征の完了から奈良時代の直前の時代までは比較的に落ち着いた時代で本来の我国の姿の時代であったと考えております。
神武天皇の東征は穏やかなフキアエズ朝の時代が少しずつ乱れていって、やがて我国は内乱に至り、それをやっとのことで収めて、安定を得たと言う出来事だったのでしょう。
律令体制から国の形が整ったとは考えられず、それは人工的に帝国主義体制が導入された事と解すべきでしょう。無理なものだから崩れたのです。
これは、皆様の参考にしてください。
次の時代はこれで行きましょう。
世界協調の
非戦・平和の
現(平和)憲法を変えずに守り通し
イデオロギーに拠らず
軍国主義を排除する
新政党をつくれ
聞くところでは天木直人さんが21日に新刊本を出されるそうです。
ヒト ハ ヒ ノ モト ニ イキ マス