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(回答先: Re: 自己責任社会の寒々しさ 投稿者 南青山 日時 2004 年 5 月 09 日 20:28:23)
私は、この認識を他人に押し付けようなどとは微塵も思っておりませんし、
≪年金掛け金うっかり不払い≫を他人に押し付けようなどとも思っていません。
しかし、わたしの周辺には、この国の年金制度、年金政策への不信から
年金掛け金の不払いを、うっかりでなく、意識的に続けている人達が
何人かいることも確かです。
この人達は、確信犯的に「未払い」を続けているといってよいでしょう。
私もこの人達に近づいていっているのかもしれません。
ただ、若し仮に、年金制度が根本的に改められる見通しが立つのであれば、
もちろん「不払い」の姿勢は撤回するつもりです。
もっともいつになったら根本的な年金制度の改革に動き出すのかは、
まったく不明ですが‥。
現在の与野党の動向の中に、抜本的改革への展望を見出すことは、
できないと思っています。
それから私は「自己責任」論の肯定・推進派ではありません。
厳密な意味で「自己責任社会」とはどのような社会を言うのかは
分りませんが
「自分で招いた」自分にとっての不利な問題は、
自分で始末する、というようなことを「自己責任」で対応する
というのだとすれば、
この国の<棄民>政策は、
厳密に言ったら「自分で招いた」とは言えないようなことまで
「自分で招いた」ことにされ、自分で後始末させられる、
それが精神的な面までのものも含んで暴力となり
国民に襲い掛かってきている、と思っています。
(このとき<棄民>の対象となるのは、全ての国民でないことは言うまでもありませ ん。経済的格差が進む中での下層の国民です。)
毎年3万人を超える自死者である、とか
サラリーマンの間に精神疾患が増えてきている、とか
犯罪が増えている、とか
子どもへの虐待があとをたたない、とか
‥
そういった社会問題の背景に、小泉の<棄民>政策があると思っています。
<棄民>政策の自己正当化が、すなわち「自己責任」論なのだと、
思っています。
「自己責任」論は、偶々、イラクでの3邦人人質問題で出現したようになっていますが、小泉の「構造改革」がスタートしたあたりから、これは既にこの政策の根底に孕まれていたのではないかとと思っています。
ご指摘のように、制度が確立していないと、救われない人達が沢山いることも十分
わかります。
しかし、<棄民>政策がスタートしてまっている、この国で、そのような弱い立場の人達も含め国民のための、まともな年金制度の確立を期待できるとは、到底思えません。
ですから、
ひとつの想定できる方向性として、
国家が<棄民>政策を進めるのであれば、
国民のほうから<国家を捨てる>ことは、できないのか、
ということが問題となっても良いわけでしょう。
国家が保障する年金制度をあてにしないで、
自己防衛的に、老後の生活を助け合うというような、
システムを国家の介在させないで作り出すことはできないのか、
ということです。
これは、民間の保険会社などが提供するような、
年金制度のことを言っているのではありません。
それは結局は利潤を得るためのに存在しているだけですから‥。
政党の思惑からも、資本による収奪の対象となることからも、
もちろん天下り官僚の受け皿となるとも、
拒否して、全くの相互扶助的な組織をつくり、
老後の生活を維持・防衛するというようなことはできないのか、
ということです。
それから、<不払い>が大規模な集団的ボイコットとなって拡大していき、
政権の交代、
もしくは現政権に根本的な政策の転換を、
齎すようにせしめることはできないのかと、
と思ったりもします。
勿論その場合、政権交代してみたけれど前と同じ
とか、
政策転換も全くの名ばかりとなってしまって、無意味の訳ですが‥。
以上、長くなってしまいましたが、
私としては、現在の政治の動向に対して、
小泉・自民・公明党支持か、
民主党支持か、
それとも他の野党支持か、
という選択ではない、
別の異議申し立て、別の民意の示し方はないものか、
という問題意識がある中での、
<年金掛け金うっかり不払い>(うっかりは小泉への皮肉です)
という決意表明となった次第です。
様々異論反論もおありでしょうから、
レスがあれば、よろしくお願いします。