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安田純平さん「屈強な農民だった。昼は農民、夜はムジャヒディンで、組織として統率が取れていた」【東京新聞】
銃持ってたらもっと深刻に 拉致事件の安田純平さん スカーフの巻き方習い、会話つなぐ
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20040421/mng_____sya_____010.shtml
イラクで武装グループに解放され帰国したフリージャーナリスト安田純平さん(30)=埼玉県入間市=は二十日、都内で本紙などのインタビューに応じ、解放された理由について「話すうちにスパイという誤解が解けたことと、武器を持っていなかったことが大きかった」と話した。
同グループのメンバーは「イタリア人四人の人質のうち一人が殺されたのは、銃を持っていたからだ」と述べたといい、安田さんは「もし、銃を持っていたらもっと深刻な事態が起きていたと思う」と語った。
また、メンバーと日本のことを話したり、イラクのスカーフ「クフィーラ」の巻き方を教えてもらうなどしながら、少しずつ会話をつないでいった様子も話した。
拉致された初日、武装集団は安田さんから取り上げたビデオで、安田さんらを脅している様子を撮影。「(高遠さんら)三人のようなものを撮る」とアルジャジーラに流れた映像をまね、運転免許などIDカードを持たせて撮影。その後、三人の武装集団がカラシニコフを構えて脅している様子を撮ったという。
ただ、当初から「これは拘束ではなく、ゲストとして迎える。あすかあさってには解放する」と言っていたといい、メンバーは「受け入れ先のイスラム聖職者協会が休みだったため、解放が遅れたようだ」と説明した。
武装グループについては「屈強な農民だった。昼は農民、夜はムジャヒディンで、組織として統率が取れていた」という。四カ所を転々としたが、縛られることはなく、部屋の中を動いたり外のトイレにも行けた。
日本については、「ヒロシマ、ナガサキでは何十万人も死んだ。なぜ(原爆を落とした)米国に従うんだ」と聞かれた。
「日本は友人だったけれど、軍隊を送った以上、すべての日本人が敵だ」と言われ、安田さんが「イラク人には立派な人もいればそうじゃない人もいる。日本人にもいろいろいる。国単位で話しても意味がない」と話すと、納得するようにうなずいたという。
「この車はトヨタのもの」などと話すイラク人もいて、安田さんは「武装集団の根底にある親日感情は変わらず、日本の歴史や企業のイメージに救われたのかもしれない」と語った。