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一昨年、長野県の田中知事は、松本サリン事件の報道被害者である河野義行氏を、長野県公安委員会の委員に任命した。河野氏といえば数々の人権や報道に関する講演をこなし、文芸春秋や潮出版などから報道被害問題の本を出版しており、多発する警察の不祥事やその体質を管理監督する役職として、まさに適任といえよう。
田中知事は河野氏について、2002年5月23日の知事会見で
「彼は現実を直視し、そしてその現実の上に立って私たちは今後私たちの社会のために何をしていくのか。何をすべきなのかということを常にご発言なさる方です。それがやはり多くのまさに社会的な弱者と呼ばれる被害者の中においてもですね、河野さんの発言というものが、いまだ、いやいまだ以上になお多くの長野県民のみならず多くの方々の心を打ち、考えさせられる言葉があるのは、彼のそうした素晴らしい姿勢であると思っております」
と述べ、高く評価している。この発言からは、河野氏の報道被害者としての経験や見識を生かして欲しいという、田中知事の意図が読み取れる。
昨年の2003年、その河野氏が真価を発揮するべき時がきた。長野県・生坂ダム殺人事件に関する事案だ。
この事件は1980年3月、長野県にある東京電力・生坂ダムで同県麻績村の会社員(当時21)が水死体が発見され、県警が自殺として処理し、公訴の時効も成立していたものだ。
だが2000年4月、別件で服役中の人物が、この会社員殺害を告白したことをきっかけに、事件から23年を経た昨年10月、県警は会社員が殺害されていたことを遺族に伝えた。警察は動機や経緯の再捜査に3年半を要しており、初動捜査や、その後の対応に疑念が残る事件である。松本サリン事件と同じく、だ。
ところが、この事件について公安委員の職にある河野氏は、予想外のコメントを長野県のエリア紙『市民タイムス』に寄せた。曰く「警察はやむを得なかった」「警察は遺族に速やかに謝罪もしている」と。
これに対し田中知事は、2003年10月10日の知事会見で「河野義行さんが、『警察はやむを得なかった』とおっしゃってるのはとても私は残念であります」と話し、失望を隠さなかった。
河野義行氏は、公安委員会で当時の警察の捜査記録というものを見る限りでは、自殺と判断したのは適切だという旨の発言を述べたという。
その理屈でいえば、松本サリン事件の時も、当時の警察が残していた捜査記録というような中において、犯人と疑われても仕方なかったとでも言うのか?被害者としての経験を生かすどころか、まるで警察の主張を鵜呑みにしているように思える。何故だろう?
そのヒントが「月刊あれこれ」2003年4月号の連載記事中にこう書いてある。
「県公安委員になって、到底私には勤まりそうもない警察職員の厳しい仕事の現況を知って、警察に対する思いが随分違ってきた」
「国や県の財政が厳しく、思うような増員が認められない状況にあって、結果、警察職員の負荷が増大し、体調を崩す警察官も多いと聞く。また、超過勤務予算に枠があり、職務をこなすために無給の残業もせざるを得ない状況もある。さらに、職務に対する懲罰規定も民間とは比較にならないほど厳しいものであることも知った」
警察の激務に同情するのは結構だが、事件の被害者遺族の気持ちにも、耳を傾けて頂きたい。
http://kaname.cc/?date=20040421
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河野情報、お待ちしてます^_^/