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俵孝太郎の辻斬り説法
ここまで似ている三菱自と旧陸軍の体質
http://www.gendai.net/contents.asp?c=023&id=15010
三菱自動車グループの底なしのデタラメぶりを見ると、似たような末路をたどったもう一つの組織を考えないわけにはいかない。その組織とは旧日本軍部、特に旧陸軍だ。
彼らはお話にならない戦略思想のもと、個々の作戦でも戦術的失敗を重ね、国家を敗戦に導き、国民に惨憺(さんたん)たる被害をもたらした。しかし降伏するまで、自らの間違いは決して認めなかった。
覆い隠しようのない破綻はすべて他の責任にした。国民の努力不足で兵器が増産できないから。海軍が弱くて海上補給が確保できないから。占領地の現地民が非協力的だから。こういう具合だ。サイパンや硫黄島が奪われ、そこから発進するB29が落とす焼夷弾(しょういだん)に東京などが焼き払われても、水の入ったバケツをリレーする消火活動が不徹底だったから、といった。ポツダム宣言受諾を決めた御前会議でも、海軍はほとんどの軍艦を沈められて戦争に負けたが陸軍は負けていない、として本土決戦を主張した。
それと、タイヤが外れたのもシャフトが抜けたのも、エンジンから出火したのも、すべて整備不良、つまりユーザーの責任だと言い張った三菱自動車の手口と、どこが違うか。実は彼らは自社製品の欠陥を知っていて、一部はヤミ改修していた。きっと三菱グループが使う社用車だけは最優先で改修していたろう。そうだとすると、国民を焼夷弾にさらし窮乏を強いながら、自分は安全な場所に身を隠して軍用糧食を飽食していた、旧軍幹部と姿がダブる。
三菱重工は敗戦まで旧陸海軍と密着した民間兵器廠(みんかんへいきしょう)だった。その重工から三菱自動車が分離独立したとき、経営の中心になったのは、あの東条英機の息子だった。一連の事件の背景に、旧陸軍と東条のDNAの影響はなかったか。