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小泉首相を見ていると「合理主義者」による政治は「生活者にとっては非常に危険」と感じてしまう。小泉氏には「人間の温かみ」が感じられないのである。私がそんな感情をもった政治家は旧社会党の赤松書記長に続いて2人目である。
赤松氏は左派を切るとして「人間的に魅力のある温かみのある人材を切り捨てた」これは赤松氏の合理主義だと思われる。そこには「社会党への貢献度」とか「彼等こそ市民の叫びを聞く事のできる人材」等という人間的な感情を一切排除した冷徹な合理主義を見る事ができる。結果的に社会党は壊滅した。赤松氏は実際に亡党の士なのである。
小泉氏も日本を滅ぼしかねない存在と思っている。史上最低の首相になる可能性は高いと思う。小泉氏が失業者対策に悩んでいるのを見た記憶がない。イラクの邦人人質事件の事を思い出してみれば「人間的感情は稀薄」と思わざるおえない。
「改革が進めば良くなる」は大間違いである。「改革が進めば、自然淘汰によって弱者は滅ぶようになる」のである。詭弁と使う首相に騙されてはいけない。小泉氏は詐欺師の才能だけは高いと思っている。
小泉氏は「(彼の)理想」のためならば、「失業者が溢れて自殺」しようが、「犯罪者が増大」しようが、「労働基本法が破られて過労死、過労自殺まで発生」しようが全く気にしないのである基本的に現場の苦労を知らない二世議員なのである。小泉氏を役場の総務課(実質労働時間は14時間とも聞いている)あたりで一ヶ月くらい働かせてみるべきである。その上で合理化的町村合併が可能か判断させるべきである。おそらくは3日で逃げると私はみている。(実際には役場の者が手助けしてしまうので保つだろうが)
もともと政治家は代議士であり地方や集団の代弁者だったはずである。
利益代表が頑張るためには見返りもある程度は必要であるかもしれない。人間には人間の弱さがあり欠点がある。賄賂は良い行為ではないが、過度な取り締まりは問題かもしれない。ハンドルの遊びと同じようにある程度は「甘さ」を認めるのは必要でないかと最近感じ始めている。
完全な無菌室で子供を育てる事は一種の理想であるが、完全に良い事とは思えない。
陳情、利益誘導、賄賂の一連の行動は悪であると思われる。しかし、それは政治の原点であり国民(地域、組織)の意見を吸い上げる窓口の一つでもある。
日本の歴史は「人とのつながり」が重視されてきた。その中で談合や癒着もおこってきている。良い事ではない。が、西洋文明と違う進化であるから悪即斬はやりすぎかもしれない。全てにおいて盲目的に西洋的合理主義を追従するのではなく日本の文化として検証することも必要だと思う。
色々な日本の良い点が失われている気がする。それは西洋的合理主義によって失われている気がする。
終身雇用制、護送船団方式、企業貢献度合い・・・、歳を取れば衰えるのはあたりまえと言う考えすら「今の利益(実績)のみを問題にする成果主義」の前に消え去ろうとしている。「弱肉強食の弱者切り捨て徹底的合理主義政策」こそが小泉政策の目指すモノである事だけは間違いない。「気の抜けないが、アメリカンドリームもありえる。」その様な世界に住みたい者ならば自民党に投票すべきである。
しかし、それに反対ならば「自民党に投票」だけはしないでほしい。誰が好きとか公明党が協力しているとかでは無いのである。自民党は今は「小泉独裁党」なのである。旧実力者も市民の味方議員も反対勢力として「所属」しているだけで場合によってはその議員が発言したからという理由だけで没にされる可能性すらあるのである。
今度の参議院選挙は事によっては小泉氏の失策に待ったを掛ける最後のチャンスかもしれない。次期選挙時には全てが手遅れになっているかもしれないのである。