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戦争の真実を隠す日本の大手メディア
ベルナール
2004/06/21 11:53
みなさん、こんにちは。
下掲注 [1] の URL は、ジャーナリストの志葉玲さんのイラク報告です。まず、小泉政権が自衛隊に関して喧伝している「給水活動」については、以下のような報告(6月18日付)があります。
> 今日も、自衛隊宿営地から車で2、3分ほどの村で給水活動について聞いたのだが、やはり不評であった。何と、目と鼻の先にあるこの村に1〜2週間に一度しか、水を配りに来ないらしい。当然、それで足りるわけはなく、少ない収入の中から水を買い、水を買うお金が無い時は、河の水を飲むそうだ(当然、病気になることもある)。おまけに給水の際に来るのはイラク人ドライバーだけで、村に来た日本人は私が初めてなんだそーな。
一日の滞在費用に億単位の公費を費やし、210 万円の給水しかできず、フランスの NGO の給水量 [2] に、文字通り「水をあけられ」ている自衛隊は、何でも、学校施設の補修に当たっているそうです。しかし、6月17日付の報告には、こうあります。
> 自衛隊が老朽化した学校を修復するという報道を見ていて違和感があったのだが、サマワには、イラク戦争の時の空爆で被害を受けた学校があるのに、何でこれらの学校はほっとかれているワケ?サマワ中心部の「アル・ムサンナ中高等学校」(画像)は昨年4月3日の空爆で校舎の半分近くが壊されているが、約4ヶ月前に取材に来た時からずっとほったらかしにされているらしい。同校教頭のサーレさんによると3週間前にやっと佐藤復興業務支援隊長が視察に来たらしいが、それで修復工事が始まるかというと、そんな気配すらないとのこと。空爆前は750人の生徒が通っていたが、現在この学校に通っているのは350人で、他の生徒達は近くの小学校の校舎を午後、小学生らが帰った後で教室として使っているとのこと。それでも、アル・ムサンナ中高等学校は教室が窮屈で大変らしい。サーレ教頭も「優先順位が違うのではないか」と不満げだった。サマワ市内には他にも米軍に破壊された学校があり、明日以降見てまわることにするが、多分、状況は同じだろう。日本語的に「復興」というとまず戦争で壊されたものを直すイメージがあるのだが、米軍が破壊した学校を修復することに何か不都合でもあるのかしらん?そういえば空爆された住民の家も、劣化ウラン弾で攻撃・汚染された高射砲もほったらかしなのだが。
このレポートには、バグダッドの現地校の写真も貼付されていますから、ご覧下さい。米軍の空爆で破壊された学校を日本が補修しなくてはなせないなどということ事態が筋の通らない話でしょう。野党は、イラクにおける自衛隊の活動と実績の詳細を議会で報告するよう、小泉政権に求めるべきでしょう。
「川中島合戦場」(# 1108)においても述べましたが、『朝日新聞』は、アブ・グレイブ刑務所における尋問で殺害された捕虜の写真に関して、英語版ではそのまま写真を載せているのに、日本語版では遺体にモザイクを施す修正処理をしています。この点に関して、本日の『朝日新聞』(6月21日付)において、以下のように述べられています。
> 朝日の一般写真の基準では遺体写真は原則として扱わない、ただし、読者に不快感、醜悪感を与えないでしかも事件の全容、核心を人道的な立場から表現できるときは弾力的に考える、となっている。戦争の実態を伝えるため戦争写真の掲載基準を別に検討すべきだと社内でも指摘がある。
これは、朝日新聞社の「報道と人権委員会」(PRC)の定例会の報告書ですが、社内異論の指摘は、正鵠を得たものでしょう。この委員会中でも、尾崎行信・元最高裁判事(弁護士)の意見は、とりわけひどいものです。
> イラクの映像では、米国の市民が悲惨な写真に持つ感覚と、日本人が持つ感覚は全く違うだろう。現状では日本ではそれほどみんなが強い関心を持っていないとも思うから、一般の報道では遺体を載せないという原則があるのに、他国の戦争で例外だといって載せる必要があるのかという気がする。ただ、世界ではこういう野蛮なことが行われている、愚かなことを何とかやめさせたいというメッセージを送るために載せるなら、明確にそう言って掲載すればいい。何のためかよくわからないまま載せている部分があるのではないか。
「米国の市民」やら「日本人」の感覚を忖度する恣意が、なぜか尾崎氏だけには許容されているらしく、日本の自衛隊が派遣されている戦争を「他国の戦争」と言ってのけるあたりが、「日本人の感覚」なのでしょうか。キャプションに掲載目的を明示したりすれば、そもそも写真は本文の「付け足し」になってしまいます。写真には写真固有の価値があり、記者の信念を読者に強要するための方便であってはならないでしょう。写真に必要なのは、「撮影者は誰か」「配信元はどこか」等メディア・リテラシーにかかわることであり、本文の主張に説得力を持たせるために感情的強度を高めるたるの「付け足し」であってはならないのです。また、読者には常に記事の論調と異なる「読み」をするフリーハンドを与えられるべきであり、キャプションは、読者に余談と偏見を与えるような性質のものであってはならないでしょう [3]。
尾崎委員の見当違いの意見に対して、ジャーナリスト(元共同通信編集主幹)は、「『残虐映像 米世論に影』という朝日一面トップ記事が映像なしでいいのか。何がもとになったのかを知らせるために映像は必要だ」という、 -- 皮肉に満ちた -- もっともな意見を寄せられています。
ここ数ヶ月のイラク関連報道に際して、日本の大手紙やテレビなどのメディアに携わる報道者の非力とジャーナリストとしての無責任な姿勢を露呈したことはなく、今月号の『世界』誌では、石田英敬・東大教授(情報学環)は、「国内の公的メディア」の「失効」を厳しく批判しています。
> じっさい今回のイラク人質事件の報道で失効が確認されたのは、国内の公的なマス・メディアである。世界的規模でも情報の流れは、日本のマス・メディアでの報道にはついにまとまったかたちで反映されることはなかった。(…)政府を窓口にしてぶら下がることにより「情報」をとるという、もともと戦争報道を出発点に発達した「記者クラブ」方式の官製報道の流れの仕組みによる情報伝達のもつ無意味さと有害さが今回ほど露呈したことはなかったように思えるからだ。
石田氏の意見は、バクダッドに特派員を送り、優れた記事を世界に送り続けて来た欧米主要紙と日本の大手メディアの歴然たる力の差を見せつけられて来た日本の新聞読者の失望を要約するものでしょう。
ハブル期以前の日本のジャーナリズムには、筑紫哲也氏が編集長を努める『朝日ジャーナル』という伝説的なクウォリティ誌があり、知的に早熟な高校生や大学生のバイブル的存在でした。事実、有名大学の生協(購買部)では、同誌が初上げトップなどということも珍しくありませんでした。そうした、日本のジャーナリズムの黄金時代もあったのです。クリック一つで誰でも読める『ニューヨーク・タイムズ』や『ル・モンド』のパクリ記事でお茶を濁している体たらくが今後も続けば、「日本のリーディング・ペーパー」から良質な読者がどんどん離れて行くでしょう。米軍による組織犯罪を犠牲者の顔のモザイク処理で隠すのは、読者から戦争の真実を隠すに等しい行為でしょう。「読者に不快感、醜悪感を与えない」ように世界的事件の真実を隠し、「日本ではそれほどみんなが強い関心を持っていない」などという理由で編集方針を決定するなら、読者の嗜好におもねる娯楽紙(誌)や低俗なワイドショーと変わりがないでしょう。朝日に限らず、日本の大手報道紙は、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ボスト』の取材力、18頁にもわたる圧巻というべきイラク特集で『ル・モンド』紙が見せた分析力、『DAYS JAPN』[4] のカメラマンたちの技量と勇気、『東京新聞』や『日刊ゲンダイ』の反骨精神とジャーナリスト魂に学んで頂きたいと思います。
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[1] cf. http://www.doblog.com/weblog/myblog/10644
[2] http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~hirakawa/diary/archives/200405/281555.php
[3] 7月号、106頁。
[4] cf. http://www.daysjapan.net/index2.html