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外国人ゆえ自由奪われ 無罪拘置 チリ人被告からの手紙【東京新聞】
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040718/mng_____tokuho__000.shtml
東京拘置所から「こちら特報部」に手紙が届いた。一審で無罪を宣告されたにもかかわらず、再拘置されたチリ国籍のモラガ・アレハンドロ被告(24)からだ(昨年十一月四日本紙既報)。控訴審判決を来月に控え、丁寧な筆致で心境をつづった手紙は「なぜ」と問う。法治国家に「自由」を奪われている“外国人”の姿をたどった。 (中山洋子)
■話し方、振る舞いは全く日本人 なぜ
横浜市鶴見区のアパート二階にある教会に、毎週日曜日に日系南米人らが集う。この十カ月間、ブラジルから派遣されたアントニオ・アラウジョ牧師(44)は「息子」と呼ぶモラガ被告のために祈り続けている。
昨年五月に、無罪判決が言い渡された後、モラガ被告は、再拘置されるまで群馬県伊勢崎市にあるアラウジョ牧師の自宅兼教会で暮らした。
牧師は「もしアレハンドロが悪い人だったら、愛する家族と一緒に住まわせようとは思わないし、伊勢崎市と鶴見区にある大切な二つの教会で一緒に助けようとはしない」と言い切る。
日系南米人の多い群馬県内で仕事も見つかり、まじめに働いていたという。
「すぐ戻る」と笑って横浜市の入国管理事務所に向かったモラガ被告は、母マリアさん(40)と当時九歳の妹の目の前で、東京高裁に連行され、再拘置された。
二〇〇一年五月に、別の覚せい剤取締法違反事件で有罪(執行猶予)が確定していることが在留資格の更新に不利に働いた。
五年前に来日した牧師の通訳などを引き受けるモラガ被告の姿は、教会に通う日系南米人らには「全く日本人だ」と映る。牧師は「控えめな話し方や立ち居振る舞いは、まるきり日本人。なぜ、彼が“外国人”として扱われるのかが分からない」と嘆く。
■8歳で来日 幕張の小中学校卒業
モラガ被告は一九八七年、日本人男性と再婚する母マリアさんとともに来日した。八歳だった。千葉市の幕張小、幕張本郷中を卒業、県内の定時制高校に入学したが中退、母の離婚とともに五年前に横浜市鶴見区に移った。
モラガ被告には、日本で生まれた四人の妹と弟がいる。いずれも日本人だ。
今回の窃盗事件で、共犯として逮捕された日系ブラジル人男性らは「ツルミボーイズ」と呼ばれる不良グループで、鶴見区に引っ越してから知り合った。
日系一世で二十年前に来日した松本隆さん(50)は「鶴見に来たばかりのころは、まじめで教会の交わりしかない少年だった。飲食店でアルバイトを始め、同じ年の友達ができてから、教会から少しずつ離れていった」と振り返る。
「他の仲間はポルトガル語を話すが、アレハンドロだけはスペイン語だったので、仲間外れになっていたようでした。でも、同年代の仲間と一緒に遊びたかったのでしょう。ただ、一年ほどで教会に戻ってきた」
■東電社員殺害事件以降 常態化した
裁判で弁護側は、不良グループから距離を置こうとしていたモラガ被告に罪をかぶせようと「口裏合わせをした」と主張してきた。
都内の窃盗事件で、グループに車を貸した鶴見区の電気工男性(27)は「(共犯者は)みんな昔から知っているし、本当はかかわりたくない。アレハンドロが現場にいなかったことは、警察にも話したので」とためらいがちに口を開く。
「彼はグループの下っ端で、言いなりになっていたが、他の友達と仲良くなり、盗みを『嫌だ』と逆らった。それが仲間には“裏切り”と映った」
男性は控訴審で初めて証言台に立った。一審無罪判決後に再拘置されたことには「それはないだろう、と思った」と憤る。
今回のような無罪判決後の再拘置は、東電OL殺害事件以降、相次いでいる。ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑囚=強盗殺人罪で無期懲役が確定=に対し、最高裁が“お墨付き”を与えたためだ。
不法滞在で有罪とされたマイナリ被告=当時=は、一審の無罪判決後、釈放されることなく再拘置された。最高裁が二〇〇〇年六月、再拘置を認める初判断を下したためだ。五人の裁判官の賛否が分かれ、二人は「あまりに一審判決を軽く扱うものだ」などと反対意見を表明している。
「逆転有罪」を前提とした再拘置は、被告の人権を踏みにじるものとして、法曹界でも批判は多い。
だが、マイナリ受刑囚の支援を続けてきた支援団体の客野美喜子氏は「もはや“無罪”の外国人の拘置は常態化してしまった」と指摘する。在留資格がないことが「逃亡の恐れ」として被告に責任転嫁され、無罪拘置の根拠となっている。
客野さんは「日本で育って、家族も日本にいる若者がどこに『逃亡』するというのでしょうか」と憤る。
無罪が確定しても、在留資格が更新されないかぎり、強制退去の対象になる可能性がある。母マリアさんも同じ問いを繰り返した。
「日本の子どもたちと同じように、夏休みにはラジオ体操に行き、作文を書いて、アイスクリームの棒を集めて工作を作りました。習字が得意で賞状ももらいました。妹や弟の面倒をよくみる家族思いの優しい息子です。日本で育った息子に、家族や友人のいないチリでどうやって生きろというんでしょうか」
■『一審の無罪は何の意味が…』
特報部に届いた手紙は、「拝啓、向暑のみぎり…」と、記者の健康を気遣う時候のあいさつから始まる。
「…今回の事件で私は一審で1年と5カ月間勾留され、控訴審では今月で10カ月目となります。一審で無罪判決を言い渡されまして再び拘置所で勾留されるとは夢にも思いませんでした。今は何かと慣れてきて、それ程辛くはないのですが、最初は非常に辛く、涙を流す毎日でした」
東京拘置所に収監され、1カ月で5キロもやせ、しばらく精神安定剤も服用していたと告白する。
覚せい剤を使用した過去を悔いながらも「(無罪判決が出た)一審には何の意味があったのでしょうか」と問いかける。
手紙では「外国人」としての率直な悩みもつづられている。千葉商業高校の定時制を受験した際に、中学の担任教諭とともに就職活動をしたが「外国人」を理由に断られ続けた。
「…担任の先生は、私の就職が順調にいかないのを心配して、私を職業安定所に2回程連れて行きました。…やっとの事で面接をして頂ける会社が一つ有りました。私は先生と一緒に面接に臨みまして、採用されました」
しばらく勤務したが、指に大ケガをして辞めた。
「あれから、私が社会へ出てこの8年間、外国籍を理由に就職を断られました会社は多いです。その度に、とても複雑な気持ちになります。特に、私が外国籍である事を言わないと、面接の日にちまで決めてくれる会社で、最後に『外国人ですけど大丈夫ですか』と言いますと、すぐに断られます」
この手紙を書いてすぐに、モラガ被告は独房に移った。判決までの残り1カ月を、途中で終えた高校の英語や数学の勉強と、祈りに費やしたいとしている。
(メモ)モラガ被告・無罪拘置の経緯
日系ブラジル人男性らと2001年8月、都内のリサイクルショップでネックレスなどを盗み、その後に別のブラジル人男性らとともに長野県諏訪市で乗用車を盗んだとして起訴。昨年5月、諏訪簡裁で「共犯者の供述のみが証拠で、犯行を裏付ける物的証拠がない」として無罪が言い渡され釈放されたが、同8月、在留資格が更新されず、東京高裁が再拘置を決定。弁護側の異議申し立てに、高裁は「逃亡や罪証隠滅の恐れがある」と棄却、最高裁も特別抗告を棄却。