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(回答先: 産経新聞紙面 投稿者 エンセン 日時 2004 年 7 月 04 日 11:27:31)
■2004/07/05 (月) 野獣に人権はないは甘かった。人権じゃなくて畜権だ。
7時起床。昨夜帰国。昭和63年、綾瀬で鬼畜餓鬼4匹が女子高生を言語を絶する暴虐の末に殺しコンクリート詰めにした。当時『週刊文春』の書き手だった私はこの事件を担当したが取材を終えて帰ってくる記者たちが拳を震わせて目を赤くしていたことをよく覚えている。文藝春秋二階の編集部横の会議室でそうした記者たちの報告を前にして花田紀凱編集長は言い切った。「実名を出そう。野獣に人権はない」。この言葉は後に人権屋どもによって散々あげつらわれることになるのだがその場にいた誰もが頷き今なお私は一点の曇りもなく花田さんの判断を支持するものである。まだワープロも使っていなかった私は13字ダテの『週刊文春』の緑色の原稿用紙に一人づつ刻み込むようにして実名を書いたことを記憶している。後に至るまで少年法がらみの事件が起きると必ず引き合いに出される『綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件』での実名報道を私が断行した瞬間であった。もちろん私たちが実名報道に踏み切ったのはただ感情的に被害者の無念を思いやったがためだけではない。記者たちが口々に言う「あいつらは絶対またやりますよ」という確信をもとに少年であるが故に私たちの社会に鬼畜がほどなく舞い戻ってくることへの危惧と防衛措置を重く見たのだ。罰則規定はないとはいえ私が法として存在するものを踏みにじったことは事実であるしそのことに対する批判は甘んじて受ける。しかし今回この事件が起きたことを見て自分の判断が正しかったことを確認するのである。当時、鬼畜は小倉譲と名乗っていた。どこでどう誤魔化すことに成功したのか奴は神作と姓を変えてまたも私たちに変わらぬ外道ぶりを見せつけてくれたのだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040704-00000020-san-soci。私はこのニュースの一報をバンコクでネットで知ったわけだが帰国して一般紙があまりに報じないことに呆然としている。この鬼畜の人生を徹底的に洗い出して分析することからこそ少年法の問題点いや犯罪の処罰と更生の問題点が浮上するのではないか。戦争という現象から目をそらして妄想的な平和ごっこに遊んでいるうちにこの国が戦争も平和もできない国になったように今回の出来事もきちんと分析しないと列島は犯罪者であふれ返ることになるだろう。指弾されるべきはひとり小倉譲だけではない。奴をかばった人権屋も出て来い。私の手元の資料には当時の名前が残っている。
■2004/07/06 (火) 15年前の実名報道にはもう全ての問題が入っていた。
(略)
昨日はタイ帰りの疲労困憊の中『週刊文春』からの突然の原稿依頼に身体に鞭打って書く。綾瀬コンクリート殺人崩れの鬼畜についてである。これは私が背負うべきものだ。次号刮目して待たれたい。
http://www.diary.ne.jp/user/31174/
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