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June 21, 2004
佐世保女児死亡事件:マスコミによる少年法「改正」勢力の拡張手法
佐世保女児死亡事件で、いま「長崎新聞」という地元紙に着目しているのだが、この新聞の記事を読んでいると、マスコミによる少年法「改正」勢力の拡張手法が浮かび上がってくる。
以前、私は具体例として、同紙12日付の田島泰彦氏(上智大学教授)の『・・・少年法に縛られ、事件の情報が発表されないことも陰でさまざまな憶測を呼ぶ一因』とのコメントを紹介したが、もう一つの具体例が出てきた。
それは、17日付の「真相解明に県教委苦悩 少年法など厚い壁」という見出しの記事。
この記事は、長崎県教委の立石暁教育長が、県議会の一般質問(8日)で事件後の対応を問われ、『少年法や児童福祉法の厚いベールに覆われ、事実解明に困難な面がある』と回答したというもの。
また、立石教育長が次のようにも発言したとも伝えた。『報道で情報を得る毎日。警察や児童相談所に事件を照会しても回答がない』
一方、長崎新聞は、県警が情報源としか思えないようなニュースを「分かった」「分かった」として何度も報道してきた。(辺境通信『日本の「わかった・ジャーナリズム」』『続・「わかった・ジャーナリズム」』参照。)
立石教育長は、新聞に載った怪しげな捜査情報を盲信しなかった一方で、田島氏のコメントに影響された可能性がある。
ここで考えられることは、マスコミは次のような手段で少年法「改正」勢力の拡張を狙っているのではないかということだ。
(1) 警察の思惑に沿った、ニュースソースのはっきりしない情報を「分かった」「分かった」として流す。
(2) 田島氏のようなマスコミ御用文化人に、少年法への疑念を喋らせる。
(3) (1)(2)などで行政の責任者やその周辺を不安にさせて、少年法への疑念を誘導する。
(4) (3)の結果としての行政の責任者による公的な発言を記事にする。
(4)は言葉の「リサイクル」の回収・再処理過程であり、それがまた別の人間の発言を誘導することにもなるだろう。こうして、行政の責任者による公的な発言ばかりが確かな事実として残ることになる。ゴミのリサイクルは必要かつ重要だが、少年法「改正」のためのこのようなマスコミによる言葉の「リサイクル」には厳しい監視が必要だろう。
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