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(回答先: 「報道洪水」が隠しているもの 投稿者 カマヤン 日時 2004 年 6 月 07 日 21:42:15)
佐世保は言うまでもなく、戦前は日本海軍の、戦後は米海軍(と海自および陸自)のための、基地の街です。
佐世保川の河口、中州に開けたわずかな平坦地に基地が存在し、住民は傾斜地に、へばりつくように暮らしています。都市と基地の拡大につれ、住宅地まで僅か 160m に弾薬庫が迫る状況にあります。
日米地位協定によって米軍の都合が 最優先されている長崎県佐世保港 |
係船池の岸壁にある移動式クレーンのレールすれすれに、さる六月、米軍が高さ一・三メートルのフェンスを立てた。理由は「テロ対策」。この日以降、佐世保重工業(SSK)のクレーンは移動できなくなった。
× × ×
佐世保は軍隊の街だ。一八八九(明治二十二)年、旧海軍鎮守府の設置で、人口四千人の寒村がいきなり市に昇格した。立神地区には海軍工廠(しょう)が建てられ、戦後は米軍が接収した。
一九六二(昭和三十七)年、クレーンなどが日本に返還され、構内に誕生したSSKに払い下げられた。だが、岸壁は日米地位協定に基づき、米軍が優先使用する。
現在、SSKが使用できるのは、九つある岸壁のうち、第四、第五岸壁だけ。それも米軍の都合で明け渡しを迫られる。
昨年七月には二週間にわたり、米軍の強襲揚陸艦が交代作業で荷物の積み替えを行った。SSKは岸壁を明け渡し、損失は八億円に上った。加えて、今回のクレーンの“立ち往生”である。
佐世保港には海上自衛隊佐世保地方総監部も置かれ、米軍、SSKと複雑なモザイク模様を形成する。一昨年、防衛施設庁はモザイクの中から、立神地区の東側を米軍用岸壁として埋め立てることを決めた。これで第四、五岸壁などが返還される見通しになったが、埋め立て終了は最短で二〇一〇年と九年後。SSKには遠い先の話だ。
問題は係船池だけではない。一九九六年一月、米軍は立神係船池の西隣にある第三ドックの明け渡しを要求した。「七日前に通告すれば無償で使用できるはずだ」との主張。SSKの強い反対に、防衛施設庁が別の造船会社から浮きドックを借り上げ、米軍に提供した。
佐世保では、構内の通行権も米軍が握る。米軍が保有する第二ドックへの通行に必要だからだ。
すべては日米地位協定に基づく使用協定が根拠。協定改定がSSKの悲願だが、防衛施設庁の担当者は「米軍がテーブルに着かない以上、どうにもならない」と話す。
米軍は戦後、一度は基地縮小を表明した。だが、九二年にフィリピンのスービック基地が廃止されると、佐世保の役割を「後方支援」(補給)から、戦闘部隊の「前方展開」へと転換。基地の重要性は再び高まった。
四月、南シナ海で米軍のEP3偵察機が中国軍の戦闘機と接触し、海南島に不時着した。米中間で返還交渉が始まり、海上輸送を想定して佐世保基地に出入りする艦船は一気に増えた。
SSKには米軍関連の受注に支えられてきた側面もある。とはいえ、羽辺康男・同社顧問は「佐世保では、周辺有事に米軍の施設使用を認める周辺事態法の先取りが日常的に行われている」と漏らす。「占領時代は終わっていない」のだと。(「日米安保50年」取材班)
日米地位協定 1960年の日米安保条約改定に伴い、旧日米行政協定を改変した。第二条4項a(通称2−4−a)には、米軍が協定に基づく施設などを一時的に使用しないときは、日本政府か国民が使用できるとあり、SSKの場合、これに当てはまる。
[2001年8月29日]