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(回答先: 上映中止の映画公開へ 映画「コンクリート」で制作委(共同通信) 投稿者 エンセン 日時 2004 年 6 月 02 日 12:21:30)
凄まじいばかりの暴力。
男の性欲を満たすエロス、バイオレンス!
4月17日の新聞発表直後、2ちゃんねるを中心に流れた印象はこんなところでしょうか? これでは上映反対運動が起こるのも無理はありません。確かに被害者も浮かばれないでしょう。この作品の脚本を担当した私も、このような映画は見たいとは思いませんし、作りたいとも思いません。
映画「コンクリート」はこんな作品ではないのです。この映画は、女性にも見てもらえるような作風を目指した作品なのです。
この作品は、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」をモチーフにした青春映画です。当然、爽やかな話ではありません。悲痛な青春映画です。最初は、犯人側の視点ですが、途中で被害者側の視点に変っていきます。犯人側ばかりを描く話でもありません。
ネット上に公開されている裁判記録は、目を覆うばかりです。その凄惨な内容をそのまま描くのではなく、作り手としてきちんと伝えたいことがあるからフィクションなのです。
この事件の犯人たちは、鬼畜と断罪されました。その犯した行為は、まさにその通りです。でも、果たして彼らはそんな特別な人間たちなのでしょうか?
ここで話は変ります。映画「コンクリート」の主人公・大杉辰夫には、結婚を誓い合った恋人がいました。鬱陶しい母親は殴っても、惚れた恋人には頭が上がりません。暴力団の幹部には従順になり、自分より年下の子分たちには先輩風を吹かせて従わせます。強いものには従順で、弱いものへは鬱憤をぶつける。今の自分にとって、楽な道を選んでいるだけです。信念など何もなく、主体性を失った生き方です。
人間は主体性を喪失してしまうと、時には残虐な行為に走ってしまうこともある。
これは、私たちの奥底に眠っている本質なのかもしれません。
おそらく、裁判資料などを読んだ方がご覧になると、この作品に軽さを感じるかもしれません。事件に対してあまり知識のない方でもそうかもしれません。でも、見終わってふと考える。これは実際に起こった事件なんだ……と。じっとりとした重さが伝わってくるのではないでしょうか?
『長いものには巻かれろ』のような風潮の軽さと、犯罪が陰湿になっていくとてつもない重さ。相反する二つの現象や、安易な生き方の危険性を表現するために、現実の事件を下敷きにしているのです。
インターネットが、この世のすべてではありません。ネット上にあるこの作品の情報は間違ったものが多いです。インターネットで仕入れた情報だけで、上映反対の声を上げた方もいるでしょう。でも、ここはちょっと冷静になってください。
特に遺憾に思うのは、心無い人たちが、勝手に監督の実名を名乗り、悪態をつくような発言を繰り返し、ますます虚像を膨らませてしまったことです。身内の者でさえ、監督がこんな発言をしていると誤解してしまうほどです。一般の方が誤解されるのも無理はありません。
これは作品への批判ではなく、悪質な悪戯なのです。この人たちは、次のターゲットが見つかると、また同じように集中的に攻撃するのでしょう。
本人たちは、ちょっとした憂さ晴らしのつもりでも、その影響は計り知れず、重大な結果を招いてしまう。
罪の重さは歴然と違いますが、その短絡的な行動は、女子高生コンクリート殺人事件の犯人たちと、まったく同類の過ちを繰り返しているのです。これこそ、映画「コンクリート」の中で描いていることなのです。
間違った自己表現
2ちゃんねるで虚偽の情報を流す人たちも、映画「コンクリート」の主人公・大杉辰夫も、自己表現をしているという思いが強いのでしょう。それは、精神が不安定な思春期の特徴でもあり、犯罪に加担しても、「悪いことをした」という自覚が生まれにくいのかもしれません。作品は、現代人の心の闇を切り抜いているのです。コンクリートのような無機的な状態に、人間性が退化していく話なのです。
青春とは未来があるだけ幸せである
映画の冒頭に、ロシアの文豪、ゴーゴリの言葉を引用させてもらいました。
ゴーゴリという人は、今から200年近く前に生まれた人です。この永遠ともいえる青春の命題を、忘れてはいけないのではないか? 未来を奪うことの残酷さ、命を奪われることの無念さ、それを強く訴えたいのです。
銀座シネパトスでの公開は中止になりましたが、作品がこの世から消えたわけではありません。映画「コンクリート」は、監督を始め、その他大勢のスタッフ、及びキャストが渾身の力を込めて作った作品です。私たちの分身です。魂そのものなのです。
この作品は、すべての方から賛同が得られるとは考えていません。しかし、テレビのように不特定多数の人へ配信される類でもありません。見たいと思われる方だけ、ご覧になってください。
平成16年 5月 6日
脚本家 菅乃 廣
映画はフィクションである。本作「コンクリート」もそうであるように、どんなに調査し、リアリティにこだわったとしても、原作、脚本、監督らによって創作されるのである。
15年前に起きた、少年犯罪史上最悪の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」をリアルタイムに知った世代は、もう既に30代以上であり、過去の事件である。
事件を知らない世代には、「コンクリート」として映画化、同時に悲惨なこの事件も知り、考えさせられることになるであろう。この事件を風化させることなく、目を背けずに直視することで、その先に見えて来るものがある筈である。
人は基本的に知らないこと、観ていないことを理解することはできないからだ。
平成16年 5月 12日
エグゼクティブプロデューサー 倉谷宣緒
映画はスタッフ、キャストを始め、実に多くの方々の苦労が結実して完成する製作物です。そしてわれわれの願いはひとつ、多くの方々に完成した作品をみてもらいたいということです。
この作品は不幸にも劇場公開を中止せざる得ない状況に追い込まれましたが、我々は決して諦めたわけではありません。プロデュサーチームとしては必ずやこの作品を世に出したいと思っております。この作品を見たいと思った方が、見れる環境をあたえていくのが我々の使命だと思っております。
いろいろな意見があると思います。そしてそれら意見にはそれぞれの正当性もあるのかと思いますが、「私が見たくないものは、他人にも見せない。」という意見とは相容れることができないと思います。
表現の自由が戦いの末に得られるものであるとすれば、我々もそうしていきます。
平成16年 5月 24日
企画・製作 小田泰之
http://www.benten.org/concrete/message03.html