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[UG版] 我々は再び「人間抹殺」の愚を犯すのか
ハンセン病・元患者の宿泊拒否事件 大量の誹謗中傷文書が示す「無知と実像」
『サンデー毎日』2004/05/30 毎日新聞社 \286+税 (5/18発売) p.118-123
[ヘッダ] らい予防法廃止や国家賠償訴訟で, ようやく回復されたかに見えた元ハンセン病患者の "人間性" が, 熊本県・黒川温泉ホテルの宿泊拒否事件を契機に再び失われようとしている. またしても「人間抹殺」を行おうとしているのは我々の社会だ. 問われているのは我々自身である. 地方自治ジャーナリスト・葉上太郎
[写真] 5月5日, ホテルの閉鎖と同時にロープが張られた熊本県南小国町, アイレディース宮殿黒川ホテル
[写真] 山のように届いた中傷文書
[写真] ひっきりなしに電話がかかる. ていねいに経緯を説明する太田明自治会長
「汚い, 人前へ出るな」
「人間と同じ行動をとるからホテルに迷惑かけやがったんだ」
「豚の糞以下」
「化け物」
異様な文章の群れが目の前にある. 人間が人間に対して吐く言葉はここまで汚くなれるものだろうか. 続けざまに読むと, 胸が悪くなりそうだ.
熊本県合志町, 国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」. ここには約560人もの元患者がとうの昔に治癒したにもかかわらず,「出られない」で暮らしている. それは社会の根強い偏見が理由だと説明されてきたが, はからずも今回の「異様な文章の群れ」がそれを裏付ける形となった.
発端は阿蘇の山深い黒川温泉 (南小国町) で, あるホテルが行った元患者への宿泊拒否だった. ところがこれを契機に, 元患者で作る入所者自治会には,「言葉の汚物」とでもいうような誹謗中傷の手紙・はがき, ファクス, 電話が殺到した. 13ある国立療養所にはそれぞれ入所者の自治会がある. 選挙で選ばれた役員が運営する "閉ざされた村" の執行機関である.
恵楓園の自治会に寄せられた中傷文書は4月末までに 117通. 電話はゆうに 200件を超えた. 多くは無記名だった.
それらを自治会の事務所で読んでいると, 役員の稲葉雅彦さんが, ため息をついた.
「好きで病気になったわけではないんですけどね. いつまでたっても我々は解放されない. 江戸時代には偏見差別に基づいた身分制度があった. そのころは『無礼討ち』もできた」
「今は刀ではなく, 言葉による無礼討ちですか」
私が問うと, 稲葉さんはしばらく考えてから,「そうですねえ」とうめいた.
そうした入所者の苦悶をよそに, 宿泊拒否をした当該のホテルは, 親会社が一方的に廃業を決定, ゴールデンウイーク最終日の5月5日にさっさと閉館してしまった.
連休明けの6日, 自治会の事務所は, またもや朝から電話が鳴りっぱなしだった. 加害者と被害者は, なぜか逆転させられている.
「お前らはぬくぬくとしていて, ホテルは廃業に追い込まれたんだぞ」
自治会の役員たちは一件ごとに丁寧に説明する. 40分も受話器を離さない相手もあれば, 一方的に話して, 切ってしまう人もいる. 北海道, 東京, 大阪 …… 発信元は全国だ. これほどあからさまな憎悪が向けられたのは, 園が始まって以来のことである. そこまでの憎悪がなぜ向けられることになったのか.
■ 国家による強制的な "人間剥奪"
[写真] 園内に残る監禁室
[写真] 療養所を囲んでいた高さ 2.2メートルの壁が今も残る. 壁の多くは壊されたが, 心の壁は厚い
[写真] 入所者たちが招かれる講演会は予定表に書ききれないほどなのだが
話は昨年11月18日にさかのぼる. 「非常に残念な事態が今, 熊本県で起きております」
定例会見でこう切り出した潮谷義子・熊本県知事が明らかにしたのは, この日から2日間, 県が菊池恵楓園の県出身者を招待する「ふるさと訪問事業」で「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」が宿泊拒否をしたという事実だった.
毎年実施しているこの事業で, 県が宿泊の予約を入れたのは2カ月前の9月. 11月に入って名簿をファクスし, 恵楓園の入所者 18人と園職員 2人, 県職員 2人の 計 22人であることを伝えた. ところがホテルは1週間後に「拒否」を通告. 県は職員をホテルの本社・アイスター (東京都港区) に派遣し, 「経営陣に対しても, 再三にわたってハンセン病への理解を求め, 宿泊拒否への抗議を行ってきたところです. しかし, 一貫して拒否という態度は変わらなかった」(知事発言) という.
ハンセン病は「人らい菌」による感染症だ. 結核菌に似た細菌だが, 増殖力が弱く, ノルウエーのハンセン博士がようやく発見したのは 1873年のことだ. 感染力はごく弱い. おおむね 4〜5歳までの幼児期に, 菌を持った親などと長期間, 密接に接触しなければ感染はしない. 発病力も弱く, 免疫力が強くない人の栄養状態が悪かったり, 過労であったりした場合にしか発病しないとされる. これらはハンセン病療養所で医師や看護婦, 介護職員に発病例がないことからも実証されている.
菌は手や足, 顔など比較的温度の低いところを好み, 末梢神経で時間をかけて増殖する. これがこの病気の不幸を生んだ. 指や足, 顔面の知覚障害が起こるからだ. 高温や低温, ケガなどに鈍感になり, 指先が損傷したり, 萎縮したりすることがある. 目の障害も起こしやすい. 顔面神経の麻痺で無表情になり, 能面は患者をモデルにしたといわれている. 命にかかわる病気ではないが神経痛に悩まされることがある.
1943年に特効薬が開発され治る病気になった. 在宅治療も可能になり, ほとんどが随分前に完治している. 災いしたのは外面の後遺症の大きさだ. これを歴史的に悪用したのは仏教だった.「醜い体は前世の報い」と説き, 業病, 天刑病と流布した. 近年, 謝罪した宗派もある.
感染力の弱さは遺伝病と誤解される原因になった. 家族に迷惑をかけないよう, 物置などで死ぬまで蟄居したり, 放浪の旅に出たりする人が多かった. 明治期になって救いの手を差し伸べたのは外国人宣教師たちだ. が, 熊本では太平洋戦争中, 病院が強制閉鎖され, 開設者がスパイ呼ばわりされて出国する事件があった.
政府は明治期以来,「国辱病」と位置付け, 収容隔離政策による根絶やし作戦をとった. 1907年に「癩予防ニ関スル件」, 09年に癩予防法 (後にらい予防法) が施行され, 全国に5療養所ができた (現在は 13). 恵楓園は 09年, 九州療養所として発足した. ただ療養所とは名ばかりで, 実態は 2メートル以上のコンクリート壁に囲まれた収容所だった. 満足な医療は施されない. 所長には懲戒検束権が与えられ, 各園には監禁室が設置された.
中でも群馬県・草津温泉の栗生楽泉園には重監房が置かれ, 施設運営に少しでも異議を唱えると, ここに入れられたという. 22人が "獄死" したと記録されている. 入所時には解剖承諾書に署名させられ, 園内には解剖室があった. 恵楓園では倉庫と併設されていた. 特効薬が見つかった後も優生保護法に基づき堕胎が強制された. 堕胎児を標本にした園もある. 人体実験に近い薬の使用で, 入所者の骨は緑に変色した. 火葬は園内で行い, 入所者に作業をさせた. 無許可外泊は逃走罪とされ, 法に拘留の定めがあった. 逃げられないよう所持金は園内の通用券に交換させられ, 60年ごろまで正門には巡視がいた. 多くは入所時に家族と縁を切り, 戸籍を抜いたり, 偽名を名乗ったりした. 入所者は偏見におびえ, 壁の中で身を固くして生きてきたのだ.
■ 内密の面談申し入れたホテル側
人間剥奪とでもいうべき施策に完全に終止符が打たれたのは, 96年のらい予防法廃止だ. そして 2001年, 熊本地裁の国家賠償訴訟で敗れた政府が謝罪. 90年に及ぶ隔離政策は総括され, 法律や制度の面では, ようやく,「人間回復」がなされた. だが, 社会の中では別だった.
「解放されたと思ったのは, 錯覚ではなかったか」
入所者たちは口々に言う.
恵楓園は全国最大の療養所だ. これを抱える熊本県は, 従来から差別意識の強い県とされてきた. しかし「人権派知事」と言われる潮谷知事は, ハンセン病の資料展や映画放映など全国に先んじた施策を展開した.
ホテルの宿泊拒否を受けた行動も早かった. 熊本地方法務局とともに, ホテルを旅館業法違反容疑で熊本地検へ告発したのは, 好評からわずかに3日後だった.
自治会は当初, 公表に消極的だった. ホテル側も自治会に2度, 内密の面談を申し込んでいる. しかし, 既に社会問題化していたため自治会は断り, 表舞台でのやりとりになった.
県が告発した前日の昨年11月20日, ホテルは自治会へ謝罪に訪れた. この時, 自治会は和解のための文書を用意していた. ところが, ホテルは自治会の予想を裏切る行動に出た.
「紋切り型の謝罪文を読み上げただけ. 事前に『本社の決定事項』と言っていたのに, 総支配人は『私の責任』と言うばかりで事実と違う. トカゲの尻尾切りのような状態では, 謝罪文を受け取ろうにも受け取れませんでした」
太田明・自治会長は振り返る. この時, いらだった入所者からヤジが飛び, テレビの生中継が声を拾った. 新聞には, 深々と頭を下げるホテル側の写真とは対照的に, 自治会は「謝罪文を受け取り拒否」などとする見出しが躍った.
自治会への誹謗中傷が始まったのは翌日からだった.
「謝罪されたら, おとなしく引っ込め」
「同情していたが, それほど偉いのか」
「病気を盾に, あまりいい気にならないでください」
自治会の真意は伝わらなかった. 「弱者が弱者でいるうちは同情されるが, 少し頭を持ち上げると,『生意気』とたたかれるのが今の世の中」と受け止めた入所者は多い.
だが, それ以上に,
「恐ろしい伝染病の患者ををそう簡単に平等扱いする人は絶対にいないことをあなた方は自覚してください」
などと無知丸出しの中傷が少なくなかった.
「90年も隔離され, 社会では『いない』ことにされていたのだから, 偏見を持つなと言う方が難しいのかもしれない」とおもんぱかる入所者もいる. 確かに次のような文面を見ると, 無知と偏見は間違いなく隔離政策によって強化されたということがよく分かる.
「過去最大の伝染病として特別に扱われ法律によって島流し同然に隔離され, わずかな期間に伝染病ではないと保証される証拠はまったくありません」
■ 「ハンセン病文学」に託した思い
こんな手紙も相次いだ.
「気持ち悪いのは事実でしょ. 断ったホテルに拍手. 権利と騒ぎなさんな. 調子に乗らないの」
「身も心もいやす旅なのに台無しだ」
「湯船の中に元患者が何人かつかっていらっしゃったら, 私は風呂の中には 100% 入らず, シャワーをして引き揚げると思います」
療養所には, 閉ざされた中で感性を研ぎ澄ませてきた人が多い. そうした人々はハンセン病文学という独自のジャンルを開拓した. 歌人の畑野むめさん(94)もその一人だ.
後遺症 / ありもあらずも / 元患者 / 温泉などへ / 行くは少数なり
「私たちは手足に障害が残っているから, 歩きもきらんけんね. 温泉に行くのは, 後遺症を見られても恥ずかしくない人. どこに行くでも歩けて, 見かけのいい人しか行かないですよ. ここにおる人は, 温泉どころか, それこそ骨壺に入るのを待っているんです. だからああいう電話をいただくとね. 痛い. 胸が痛いんですよ」
この偏見が / 消ゆる日ありや / 温泉より / 骨壺に入れという電話
近く 95歳になる女性に, こんな歌を作らせるとは, なんと非情な社会であろうか.
一方, ホテルは奇妙な行動に走った. 創業社長が突然退任. 後任に座った広報室長は,
「宿泊拒否は当然. 予約の際に隠した県に責任がある」と繰り返した. 自治会に対しては, 全国の入所者 3500人にそれぞれ 3500円のおせち料理を配ることを持ちかけたり, 関連の旅行会社の格安ツアーに勧誘したりした. もちろん自治会は断った. 入所者のホテル宿泊については年明け早々に「無条件で受け入れる」としたが, その舌の根も乾かぬ2月, ホテル廃業を決定した.
「何も廃業することはない. これを機会にいいホテルにすればいいじゃないか」と男性従業員は言う. 嘱託やパートの従業員は一方的に解雇を言い渡された.
最終的に県は営業停止3日間の行政処分を下した.
熊本地検の宮地区検は退任した社長や総支配人ら3人を, 罰金2万円で略式起訴したのだが, いずれも廃業の決まった後で, 肩すかしのように感じられた.
「ホテルを潰して何がうれしいのか」
逆に自治会には, 何か動きがあるごとに手紙や電話が押し寄せ, 入所者たちは社会から集中砲火を浴びたのである.
「一通の手紙がこれほど心に刺さるのか. この痛みは一生消えないでしょう. 宿泊拒否よりもその後の方がこたえた」
という太田会長が, 胸をえぐられる思いで見つめたはがきがある.
「仏が与えた罰は一生や二生では贖罪できるものではない」などと書かれた真ん中に, テレビの画面が複写して張ってあった. それは, 詩人としても有名な入所者が初めて里帰りしたのを取り上げた番組の一コマだった. 東北地方の東北地方の農家に生まれ, 後遺症で失明し, 両手両足も不自由になってしまった. しかし, 入所 60年にして, ようやく里帰りを果たし, 雪深い故郷で同級生の町長に迎えられた. その笑顔が張ってあったのだ.
「そこまでやるか」
太田会長は涙を抑えられなかった.
■ 短時間の「里帰り」だからこそ
[写真] 納骨堂. 家族にひきとられることのない遺骨が今なお増えている
[写真] 物言わぬ大クスノキが園の歴史を見続けてきた
今回の宿泊拒否と誹謗中傷が罪深いのは,「里帰り事業」でのことだからだ. 隔離政策を徹底させた日本では, 昭和初期から「無らい県運動」が行われた. ハンセン病の患者を府県が中心になって探し出して強制収用する「人狩り」である.
これは戦後も続き, 逃れるためには自殺しかなかった. 世の偏見を増長させた一因でもあった.
その罪滅ぼしは 1964年, 人狩りの最も厳しかった鳥取県で始まった. これが県事業による「里帰り」だ. 熊本県にも広がったが,「家族に迷惑がかかるから実家の近くには行ってほしくない」という入所者の希望もあり, 里帰りの雰囲気を味わうだけのものだった.
恵楓園へ 49年に入所した沖田稔さんは県南部の実家に2度しか帰ったことがない. 一度は入所7年目. 母親から「籍を抜いてほしい」と涙のにじんだ手紙が来て,「これで故郷に帰ることはない」と思ったからだ. 昼間に戻ったものの近所の目を恐れて映画館で時間を潰し, 宵闇に紛れて家に入った. 翌日は早朝たった. 二度目は昨年, 母が死んで約15年ぶりに墓参りを果たした.
沖田さんには忘れられない光景がある. 韓国で療養所に入れられていたため, 戦後の引き揚げがかなわなかった入所者がいた. 60年代後半に帰国を果たし, 恵楓園に入ってきた. 天草の出身者だったが, 先に引き揚げた家族が迎えてくれるわけではない. その入所者は一度だけ母親に会いに行った. 失明していたため, 沖田さんが友人と2人で連れて行った. もちろん実家ではない. 天草の入り口の三角港で落ち合っただけだ.
「波止場での面談です. 本人はもうワンワンと泣いとりました. それが, ただ一度の里帰りでした」
沖田さんは, 熊本県が主催した里帰りに何度か参加した. 人目を避けて阿蘇の原野でワラビを取っただけの時もあった. それでも, 参加者は自分の故郷が近くなると, バスの中で顔がほころぶ. ほんのささやかな里帰りだった. しかし, かつて無らい県運動で患者を狩り, 実家を消毒までした県が, 逆に招待してくれる.
「それがうれしいから参加するんですよ」
と, 沖田さんは言う.
熊本県は一昨年, 日帰りだった事業を一泊にし,「ふるさと訪問事業」に名前を変えた. 初回は天草・下田温泉. 旅館の看板は担当課の「県健康づくり推進課御一行様」となっていたが, なんら問題なく終わった. ところが, 今年 …….
参加した沖田さんの目には, バスの中で行き先の変更を告げる県の職員が, あまりにもしょげて見えた.
飲食店に行ったら欠けた食器で出され, 食後は一切合切を捨てられた -- などという体験を少なからず持つ入所者は「拒否自体は案外慣れていて, 身のかわし方は上手」という. むしろ入所者が気を使ったのは, 息子ほどの世代の県の担当者だった.
「参加した全員が慰めてやろうと思ってね. 夕食ではお酒を飲まない人まで歌ったり, 職員とダンスをしたりでした. 高齢の方まで誰一人中座しなかった」
入所者たちは, 自らは拒否されても, なお他人を心遣っていたのである.
■ ヒマラヤを越えるツルのように
そうした入所者たちに浴びせかけられた中傷は, あまりに的外れだった.
「今度は金銭の要求ですか !」という手紙があった. 自治会が要求したのは, 金銭ではなく, 名誉だった. 金銭と言えば, 国家賠償訴訟で勝った原告は「園外の家族に迷惑をかけたからと, 連絡もない家族に右から左へと渡した人が多かった. それさえ拒否された人もいた」という.
「税金で運営される施設で生活していますね. 差別 (区別) されて当然です. 自己中心的な現在の日本の形をあなた方の行動で感じました」との文面もあった. 園の運営は不自由者の 24時間の世話から, 食材生産, 清掃, 火葬, 理髪とあらゆる業務が「患者作業」という超低賃金の強制労働で賄われていた. 「税金で運営」どころか, 入所者の労働で維持されていたのだ. 清掃に至っては 98年まで続き, 一部の事務は今も残っている. 重労働が後遺症を悪化させた人もいる. 事実はまったく逆である.
「無菌者なら社会のために働きなさい」これは入所者の胸を貫く言葉だ.
平均年齢 76歳. 恵楓園で障害を持っていない入所者は約500人のうち 40人程度しかいない.
13歳で入所した男性は, 50年以上たった今も社会復帰を諦められないでいる. 岡山県・長島の療養所に, 全国で唯一設けられた園内の高校分校では逸材と言われた. 外に出られさえすれば, 大学に進み, 将来への道が開けていたに違いない. しかし「投薬ミスではないか」と疑われる治療で1カ月半で失明した. その後も他の治療のトラブルが重なり, 流動食の生活となった. なのに, 社会復帰の夢は捨てられない.
「こんな体になったからこそ, よけいに言いたいんです. オレたちも人間だ. そう思うと血がたぎる」
男性は失明した時, 妻から勧められて短歌を始めた. 苦しみを刻むように歌う.
園が攻撃にさらされている時, ヒマラヤ越えするツルのテレビ番組が放映されていた. 上昇気流に乗れないと途中で引き返す. そうやっているうちに, 死ぬこともあるだろうに……. 何度も立ち向かう姿が, 生涯をかけてなお越えられない「社会の壁」に重なった.
障壁には / 諦むるなく / 挑まむよ / 彼のヒマラヤを / 越ゆる鳥もゐる
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【葉上太郎】 我々は再び「人間抹殺」の愚を犯すのか
ハンセン病・元患者の宿泊拒否事件 大量の誹謗中傷文書が示す「無知と実像」
『サンデー毎日』2004/05/30 毎日新聞社 \286+税 (5/18発売) p.118-123
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藤野豊『強制された健康 - 日本ファシズム下の生命と身体』
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