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大型車のハブと周辺の構造
車輪と車軸をつなぐハブの欠陥によって三菱自動車製の大型車の脱輪事故が多発した問題で、死亡事故につながったハブは、マイナーチェンジ車の発売に間に合わせるため、試作品の実験途中に生産が開始されていたことがわかった。当時、国内の競合他社は大型車をフルモデルチェンジしていた。競争力の低下を恐れた三菱が低コストのマイナーチェンジで急場をしのごうとしたことが、その後の事故の背景にあった。捜査当局は、設計段階における同社の安全軽視の体質が事故に結びついたとみて、当時の同社の幹部らから事情を聴く方針だ。
三菱では83年以降、5回にわたり大型車に使うハブを設計変更した。設計順にA〜F型ハブと呼ばれ、死亡事故の車に使われたD型は93年に開発され、96年まで製造された。3年ほどの生産だったが、同社製の大型車の脱輪事故51件のうちD型は36件と最も多かった。
同社がD型ハブの設計に乗り出すきっかけは、同業他社の相次ぐモデルチェンジにあった。90年に日産ディーゼルが大型トラックのフルモデルチェンジを実施。92年春には日野自動車が、94年にはいすゞがフルモデルチェンジを計画しており、三菱は自社製トラックの競争力低下を心配していた。
同社は96年に予定していたフルモデルチェンジまでのつなぎ役としてマイナーチェンジを決断。93年5月の発売計画を開発陣に指示した。フルモデルチェンジまでの3年間で開発経費を回収する必要があるとして、上層部は「コストを抑えた効果的なマイナーチェンジ」を要求したという。
このマイナーチェンジモデルに使うハブは当初C型を想定していたが、台上実験で耐久性が不足していることが判明。92年6月にはB型ハブの破損事故も起きたことから、急きょハブの設計変更をすることになった。
新開発のD型ハブの試作品は92年末ごろに作られ、その後まもなく耐久性を確かめる台上実験を始めたが、実験が終了しないまま、計画通りの新車発売に間に合わせるため、93年2月に生産開始が指示されたという。
脱輪事故が相次ぐ中、02年1月には横浜市瀬谷区で走行中のトレーラーから左前輪(重さ約140キロ)が外れて主婦(当時29)を直撃し死亡させ、一緒にいた2人の幼児もけがをした。現在、神奈川県警と横浜地検が業務上過失致死傷の疑いで捜査を進めている。 (04/04 10:56)
http://www.asahi.com/national/update/0404/008.html