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遺伝子スパイ審問…岡本被告、強い口調で無罪主張
2004 年 3 月 10 日
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「後輩への屈折した思いがあった」――。最先端医療を巡る遺伝子スパイ事件の主犯とされながら、沈黙を続けてきた元理化学研究所チームリーダーの岡本卓(たかし)被告(43)が10日、事件発覚後、初めて公の場で口を開いた。
米司法当局による起訴から約2年10か月。岡本被告は、後輩研究者との人間関係の悪化が事件の背景にあったことなど、当時の心情を吐露した。一方、検察側は「被告の行為は犯罪に当たり、引き渡しが妥当」と反論した。
午前10時、東京高裁の法廷に姿を見せた岡本被告は、グレーのスーツ姿。陳述台の前に立ち、須田賢裁判長から審問の公開・非公開の希望を問われると、「公開でお願いします」と張りのある声で答えた。
弁護士の質問に、事件当時を振り返り、「後輩の研究者の実験手法に不信感があった。後輩が暴走して論文を書くと、自分の研究が出来なくなると思った」と説明。「米国で1人でやっていくことにも限界を感じ、眠れなくなるほどつらい思いをしていた」と、強い口調で締めくくった。
弁護士の主張が始まると、机上に資料を山積みにして、熱心にメモを取った。
東京高検からは検察官1人が立ち会い、「試料は研究所への助成金で購入されたもの」と指摘、岡本被告に所有権はなく、窃盗罪が成立すると、淡々と述べた。
◇
医師の家庭に育った岡本被告は東大卒業後、1992年に渡米。事件の舞台になった財団研究所には、97年2月から99年7月まで在籍した。2か月後、日本の理化学研究所に移籍したが、2001年7月に理研を退職し、医師を募集していた北海道端野町の「オホーツク海病院」に、同年9月採用された。
同病院の伊藤悟事務長(57)は、「面接の際、事件のことも正直に話してくれ、むしろ好印象を持った。患者から絶大な信頼を得ていた」と話す。患者だった北見市の会社社長(66)も、「偉ぶるところのない素晴らしい先生だった。早く病院に帰ってきて欲しい」と訴える。
同病院では先月20日、患者や医師らで「岡本卓氏を守る会」を結成、身柄引き渡し反対の署名を約3万5000人分集め、10日、弁護士を通じて東京高裁に提出した。同病院は、岡本被告を「有給休暇」扱いとし、解雇の予定はないという。
◆「裁判で真相を」◆
【パロアルト(米カリフォルニア州)=河野博子】一昨年5月、司法取引により偽証罪だけを認め、経済スパイ法違反などの起訴が取り下げられた芹沢宏明・元カンザス大助教授(42)は9日(日本時間10日未明)、読売新聞の取材に応じ、岡本被告の身柄引き渡しを望むかどうかについて、「日本政府と裁判所が判断することだが、引き渡しがなければ、永遠にこの事件は何だったのか分からないだろう。裁判で真相が究明されるべきだ」と語った。