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浅田農産会長夫婦自殺…責任感じ対応追われ
豊富町の鶏舎近くで首吊り
鳥インフルエンザ問題の記者会見で、終始視線を落とし沈痛な表情を見せていた浅田農産の浅田肇会長(左から2番目)=7日午後、兵庫県姫路市
京都府丹波町の鳥インフルエンザをめぐる対応で、家畜伝染病予防法違反の疑いが持たれている浅田農産(兵庫県姫路市)の会長夫妻が8日早朝、同社の鶏舎近くで命を断った。捜査の網がせばまる中、同農産船井農場などで死亡したカラスから鳥インフルエンザが検出されたことも判明、野鳥を介して全国に広がる恐れも高まっている。猛威を奮う鳥インフルエンザは食卓や食肉業者を直撃するばかりでなく、当事者の自殺という最悪の結果も招いた。
【鶏舎近くで】
姫路署の調べだと、8日午前7時50分ごろ、兵庫県豊富町神谷の浅田農産鶏舎付近で、同社会長の浅田肇さん(67)と妻の知佐子さん(64)が首をつっていると従業員から110番があった。2人は病院に搬送されたが死亡が確認された。
夫妻は鶏舎から約100メートル離れた立木にロープをかけ、背中合わせに首をつっていた。浅田会長が残したとみられる遺書らしきものも見つかっているという。
【協会役員を更迭】
浅田会長は7日午後、姫路市内で秀明社長(41)と記者会見を行い、「世間にご迷惑をかけたことを深くおわびする」「(鶏の大量死は)鳥インフルエンザとの認識はなかった」と釈明していた。
浅田会長は終始下を向き、沈痛な表情だっただけに、責任を痛感していたとみられる。ここ数日間、報道関係者の質問にも口数が少なくなり、疲れた様子だった。
浅田会長は日本養鶏協会(東京)の理事と副会長を務めていたが、同協会は責任を重くみて役員解任を通告していた。
【一代で築く】
民間信用調査機関などによると、同社は浅田会長が昭和32年に1500羽で創業、48年に法人を設立。採卵用の鶏の飼育と地元では「浅田の卵」として知られる鶏卵販売を主に、肥料用の鶏ふんも扱っている。
船井農場のほか、兵庫県に3カ所と岡山県に2カ所。計約175万羽を飼育し、卵は関西を中心とする大手スーパーなどに出荷。養鶏業の中で売り上げは昨年11月現在で全国24位。従業員は感染判明前で約135人。
【ごっつう苦労した】
25万羽が袋詰めにされて“埋葬”されている=京都府丹波町の浅田農産船井農産隣り
浅田会長は生前、報道陣に一代で6養鶏場まで築き上げた苦労を語っていた。
浅田会長は11年5月、専業農家の二男として生まれ、小学校卒業後、すぐに養鶏の仕事を始めた。養鶏業を始めた理由について、「米や麦を作っても、収入は年に2、3回。卵やったら日々の収入があるから。採算の取れる年は少ないから、ごっつう(とても)苦労したなあ」と振り返っていた。
問題発覚後、疲れた体にムチ打って、取引先や行政との連絡の合間に自ら車を運転して兵庫県和田山町の養鶏場を訪れ、野鳥が付近にいないかどうかを自ら見回っていたという。
会見では「創業して50年になるが消費者に安心で安全なものを食べてもらおうと思い、365日休まず精いっぱい努力してきたのにこのような結果になってしまって悔しい」と、涙を浮かべながら深々と頭を下げていた。
【社長は逆ギレも】
今回の鳥インフルエンザ問題では、鶏の大量死を知りながら、府に通報することなく、加工業者に出荷を続けた浅田農産。浅田会長が無責任について頭を下げる横で、秀明社長が逆ギレする場面が目立った。
2月20日ごろに大量死が始まったのに、「26日は卵の出荷に追われ、27日朝に検査要請しようと思っていた」(秀明社長)と言い訳に終始。
「20日の死亡は羽の生え変わりが原因の通常死だと思った。22日死んだ10羽前後を解剖。内臓などはきれいだったので、腸炎と判断した」(秀明社長)と話したが、獣医による解剖は行っていなかった。
業界のモラルに反し、「駆け込み出荷でないと断言できる。インフルエンザと知って出荷したことは決してない。養鶏業者は鶏が死に始めたら(生きた鶏を)出荷するもんや」とまで開き直っていた。
【捜査は着々】
京都府警は家畜伝染病予防法(届け出義務)違反の疑いで、同農場の複数の従業員からすでに事情聴取。京都府と農水省の告発を待って、同法違反の容疑で同農産の浅田秀明社長らの立件する体制を整えつつある。
一代で築いた城。会長は死をもって、責任を償おうとしたのか。
ZAKZAK 2004/03/08