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(回答先: 高橋信次・高橋佳子の「GLA」の名付け親は一体だれなのか。 投稿者 罰天使 日時 2004 年 4 月 28 日 12:06:36)
すでに1977年3月号のGLA機関誌において、「GLAという名称はいかにして
つけられたか」を検証して、経済界の佐藤正忠氏の証言と弟子の証言との食違いを指摘
しました。
ところが、こんどは、同じ教団の15年後の同一人物による、同一事項に関する証言
が食い違っているのです。もう、アタマが混乱してきました。真相なんてどこにあるの
でしょうか。もともと、こういう「藪の中」体質が、高橋信次時代からのGLAなんで
しょうか。
*「GLAの成り立ちと歴史U」(GLA誌1992年4月号)
今月のテーマ:GLA発足時を語る
GLA発足に至る経緯や、GLA初代教祖先生との出会いの数々について語り合って
頂きながら、GLA発足当初より今日に至るまで脈々と受け継がれてきた「GLAの原
点」とは何であるのかを、共に辿ってゆきたいと思います。
参加して頂くのは、佐藤要氏、小柴敏雄氏、村上有恒氏、高橋興和総合本部講師、関
芳郎総合本部長、そして高橋一栄会長です。(P64)
佐藤:会の名称は、当初は「大宇宙神光会」でしたね。
関 :「GLA」と改称されたのは四十五年十二月二日でした。
小柴:こういういきさつがあるんです。ある朝私が用があって、先生とある方が話して
おられた。「小柴さん、いい考えが浮かんだんだ。前から考えておったけれども、
今この方と話をしながら、『神光会』というのは日本流だし、似たような名称が
他にもあるかも知れない。だから、その英語読みの『ゴッド・ライト・アソシエ
ーション』の頭文字を取って、『GLA』というのを考えたんだ。どうだろう」。
そうおっしゃいました。
会長:日本読みを英語読みにして、その頭文字を取って『GLA』となった。日本だけ
ではなく、やがて世界に神理が広まる。そのことが既に先生のお気持ちの中にあ
って、世界に通用する名前にしたのですね。(P74-75)
ところが、先にもあげた通り、
高橋信次・高橋佳子の「GLA」の名付け親は一体だれなのか。
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/336.html
上記で、この小柴さん、同誌1977年3月号において、こう語っています。
小柴:先生(注・信次)も腹案をお持ちでした。ある日、「ゴッド・ライト・アソシエ
ーション」と「ゴールド・ライト・アソシエーション」とどっちがいいでしょう
と、おっしゃった。これは八王子のお医者さんの奥さんで英語に堪能な方が、世
界に通用するという名前ということで考えられたものです。
この二つのうち、どちらがいいでしょうかと、先生がイエス様にきかれて、こ
っちがいいということで、ゴッド・ライトの方に決まったように記憶しています。
前世が釈迦の弟子「スブティー」といわれる小柴氏、現世の15年間で、記憶が入れ
違ってしまったのでしょうか。佐藤正忠氏のことも、まったく出てきませんし、どこを
とっても解せません。
今回の記事は、教団機関誌での1992年4月時点での「GLA」という名称に関す
る公式発表ということになりますね。これだと、八王子の英語に堪能な主婦やイエスは
関与せず、信次が発案したことになっています。しかしながら、1977年3月の記事
も、また当時にあっては「公式発表」のはずですから、15年をへだてて、公式発表が
同一案件に関して「2種類」あるという、大変奇妙な事態になっています。
これが「GLA」の機関誌ですから、信次時代の古い弟子たちがこれでは、それを
受け継いだ佳子とその弟子達に至っては、もはやなにをかいわんやでしょう。
とにかく、だれかホントのことを言ってくれ。
GLA・高橋信次関係・「骨抜童子/阿修羅」投稿集(URLリスト)
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/318.html
三宝出版( 高橋信次著作リスト)
http://www.sampoh.co.jp/st/st.html