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すぐわかるネットで学ぶイスラム教
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投稿者 金十字架 日時 2004 年 4 月 19 日 21:25:54:mfAWtS4GF8MpY
 

・スンナ派、すなわちイスラム教の正統派を代表する神学
・スンナ派の特徴は、見解のわずかな違いは寛大にあつかい調停すること、教義にかかわることは共同体の合意の必要性を強調すること
http://www.cable-net.ne.jp/user/terao-ji/tera9B.htm

>Islam
アラブの預言者ムハンマドの教えにもとづく、主要な世界宗教のひとつ。「イスラム」は、アラビア語で「服従すること」あるいは「帰依すること」を意味し、コーランにおいては唯一の神(アッラー)の意志や法にしたがうことを意味する。

イスラム教徒は「ムスリム」といわれる。コーランには、イスラム教は天地創造以前から存在する普遍的な宗教で、人類だけではなく自然もムスリムであるとしるされている。なぜなら、自然もその中に深く浸透している神の法におのずとしたがっているからである。また、自由意志をもつ人間にとって、イスラム教の実践とは機械的に神命にしたがうことではなく、自由にそれをうけいれることであるとされる。

ムスリムは、ムハンマドによってつたえられた啓示(コーラン)にしたがう者であり、イスラム教徒の共同体を構成する。ムスリムという名称は、コーランの中でムハンマドにしたがう者たちに対してあたえられているが、ムハンマドへの個人崇拝を禁止しているイスラム教では、ムハンマド教徒とよぶことには強く反対している。

世界のイスラム教徒の人口は10億人以上と推定されている。イスラム教は、気候、文化、民族のことなる多様な地域で繁栄した。イスラム教徒の共同体を構成する主要な人々は、アラブ人(北アフリカと中東)、アフリカの南サハラの人々(セネガルからソマリアまで)、トルコ人およびトルコ語圏の人々(トルコ、中央アジア)、イラン人(イラン)、アフガニスタン人(アフガニスタン)、インド人(パキスタン、インド、バングラデシュ)、東南アジアの人々(マレーシア、インドネシア、フィリピン)、そして中国人(中華人民共和国)のごく一部である。また、ヨーロッパではキリスト教につぐ第2の宗教となっており、アメリカでも急速に勢力を拡大している。

>イスラムの教義
イスラムの教義と実践における2つの基本は、コーランおよびスンナ、すなわち預言者ムハンマドの慣行である。

>コーラン
イスラム教徒にとっては、コーランは大天使ジブリール(ガブリエル)を通じてムハンマドにさずけられた神の言葉であり、したがってコーランの著者はムハンマドではなく神であり、コーランは誤りのない完全なものであると信じられている。コーランは、ムハンマドが預言者と自覚してからのおよそ22年間(610〜632)に神からさずけられた啓示をあつめたもので、114章からなり、各章はもっとも短いものはわずか3節、もっとも長いものは306節からなる。イスラム教徒の研究者だけでなく非イスラム教徒の研究者も、コーランはその歴史を通じて完全にうけつがれてきたことをみとめている。

>スンナ
イスラムの第2の基本はスンナである。それはハディースとして知られる、さまざまな問題に際しての預言者ムハンマドの言行に関する伝承である。コーランとはちがって、ハディースはムハンマドの教友たちの記憶を収集、記録したもので、かたりつたえられて9世紀にまとめられた。

コーランとちがって、ハディースは完全とはみなされない。初期には、預言者ムハンマド自身が完全であるか否かの論争もあったが、その後、ムハンマドや彼以前のすべての預言者は完全であるということでイスラム共同体の見解は一致した。しかし、ハディースは主として口頭でつたえられたものであるため、伝達の際に誤りが生じうると考えられた。このため、ハディースはコーランより下の第2の基本とされているが、大部分のイスラム教徒にとってほとんど根本的なものとなっている。

大部分のイスラム教徒にはまだうけいれられていないが、最近の研究では、ハディースの多くはムハンマドに由来するものではなく、むしろ、イスラム教徒の初期の世代の見解や、のちにムハンマドのものとされた見解をあらわしているものといわれる。ムハンマドの真の言葉がのこされている場合もあったが、のちに論理学的あるいは法学的な意見の発展をのぞんだイスラム教徒たちによって書き換えがおこなわれたりした。

>神
イスラム教の根本的な教えは、アッラーが唯一の神であるということを信じることである。したがって、複数の神々を信じることや神性がだれかにやどると信じることは断固として禁じられる。イスラム教の教えによれば、神は慈悲からあらゆるものを創造し、その創造したものにそれぞれ固有の性質をあたえ、法がそれを支配するようにした。その結果、すべてが神のもとに統一され、あらゆるものが一つの秩序の中に位置づけられた。この神の支配する自然の中には、もはやあらゆる混乱や破壊はみられず、そのことがまた神が存在し、神による統一がおこなわれていることの証(あかし)でもある、とされている。

>道徳規範
コーランは、人間を高慢で、卑小で、心のせまい、わがままなものであるとしている。「人間は生まれつき臆病である」とも、「人間は、わるいことがおこるとうろたえるが、よいことにであうとそれをひとり占めしようとする」ともいっている。そして、この卑小さは個々の人間が自然の中に埋没してしまい、創造主をみうしなってしまったためであるとしている。またコーランは、人間は愚かにも他人に対する慈善や献身によって自身が貧困におちいるのをおそれるが、それは彼が、神は貧者に対する寛大な行いの見返りに繁栄を約束していることを知らないからである、ともいっている。

そこでコーランは、人間は卑小さを超越し大きくなれと主張する。そうすることで、人間はタキーヤ(一般的には「神の恐れ」と訳されるが、本来は「危険から身をまもること」を意味する)という内面の道徳性を高められるとしている。この特性によって、人間は真偽を識別でき、ごまかしや危険からのがれて自身の行為を評価できるのである。人間はしばしば、重要な行為もやがては重要さをうしなってしまうと考えがちである。しかし、個人の行為の真の価値はタキーヤを通じてのみ判断できるのであり、個人のめざすものは人類の究極的な利益であるべきであり、個人的な喜びや野心であってはならないとコーランは説いている。

>預言者
イスラム教では、人類は道徳的に弱い存在であるため、神は個々の人間やあらゆる民族にただしい道徳と精神的な態度をおしえるために預言者をおくったとされている。多くの人間は、ときとして真偽の判断能力をうしなうため、預言者の導きが必要となるとされたのである。この導きは全世界的で、すべての人間がうけるべきものとされた。
コーランには、28人の預言者の名があげられている。その中では、旧約聖書に登場するアダムが最初の預言者とされている。ただし、彼はエデンの園から追放されたが、イスラム教では神にゆるされたとし、原罪の教義をみとめていない。つづいてノア、アブラハム、イサク、ロト、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン、ザカリヤ、バプテスマのヨハネ、イエスなどの聖書中の人物やフード、サーリフ、シュアイブといった預言者が登場し、最後にムハンマドがおくられたとされている。

また、すべての預言者の啓示は同じ神から発せられたものであるとされ、コーランではそうした啓示のことを「守護された碑板」「純聖な書巻」「神の書の母」などとよび、たとえばモーセには律法(トーラー、モーセ五書)、ダビデには詩編、イエスには福音書、そしてムハンマドにはコーランがさずけられたとされている。したがって、すべての宗教は組織的にはことなっていても、基本的には一つと考えられている。すべての預言者は独立した存在ではなく、一つの総体であり、人はそのすべてを信じなければならない。というのは、ある預言者をみとめ、別の者をみとめないのは神性を否定するも同然だからである。あらゆる預言者は人間であり、神性を有してはいないが、人類のもっとも完璧な模範であると説かれている。

しかし、預言者の中でも、とくに試練にたえる力には優劣がある。コーランはムハンマドを「すべての預言者の封印」とよんでいる。つまり、イスラム教において、ムハンマドはこの世におくられた最後の預言者であり、コーランは最後のもっとも完成された神の啓示であるという立場をとるのである。

>審判の日
イスラム教では、創造からはじまる神の営みは審判でおわる。審判の日には、あらゆる人間がよびあつめられ、ひとりひとり生前の行為にしたがってさばかれる。神の手元にある帳簿にもとづく決算の結果、善行が黒字になった者は天国にいくことができ、赤字になった者は地獄におとされる。しかし、慈悲深い神は、赤字になった者でもゆるしに値する者はゆるすとされている。

最後の審判は個々の人間にかかわるものばかりではなく、歴史の中で民族や人間集団もそれをうけなければならない。民族もまた、個々の人間と同様に、富、権力、プライドに幻惑されるが、そのことに気づかないと、こうした民族はより徳の高い民族によってほろぼされるか征服されることになるとされる。

>信仰と実践
イスラム教の信仰と実践は、六信五行(五柱)として定型化される。
六信とは、イスラム教徒が信じるべき6つの信仰内容のことで、
(1)神(アッラー)、
(2)天使、
(3)啓典、
(4)預言者、
(5)来世、すなわち現世が終末をむかえたのち、神の審判によってすべての者は天国または地獄にふりわけられること、
(6)予定、すなわちこの世界におこる出来事はすべて神によって予定されたことであること、
の6つである。
これら六信を信じたうえで、イスラム教徒はみずからの信仰を行為によって具体的にしめさなければならない。そのために
(1)信仰告白、
(2)礼拝、
(3)喜捨、
(4)断食、
(5)巡礼、
の5つの儀礼を実践することがさだめられており、これらは五行(五柱)とよばれる。

>信仰告白
五行の最初にあげられるのが、信仰告白(シャハーダ)である。すなわち、礼拝のたびごとに「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはその使徒である」ととなえることである。イスラム教徒に入信、改宗する者は、この告白を証人の前でおこなわなければならない。

>礼拝
第2の義務は1日5回の礼拝である。それは、夜明け、正午ごろ、午後、日没直後、夜におこなうものである。礼拝は、どこにいてもカーバのほうをむいておこなわれる。カーバは、メッカにある聖モスクの中庭の中央に位置する立方体の建物である。礼拝は、モスクにおいて集団でおこなうことがのぞましいとされる。しかし、その時間に都合のわるい者は、次の礼拝までの間に1人でおこなってもよい。

金曜日の正午の礼拝は、各都市の中心的な大モスクでおこなうことが推奨される。礼拝は、イマーム(指導者)によって指揮され、説教壇にのぼった彼の説教ではじまる。年2回の宗教的大祭はイードとよばれ、ひとつはラマダーン(断食)月の断食明けに、もうひとつはメッカ巡礼の直後におこなわれる。その際、朝の説教につづいて特別な礼拝がおこなわれる。

>喜捨
イスラム教徒の第3の義務は喜捨(ザカート)である。これはもともと、ムハンマドや、のちにはイスラム国家が、主として貧者を救済するために裕福な人々に課した税であった。それはまた、イスラム教への改宗者のため、戦争捕虜を解放する身代金のため、負債にくるしむ者を援助するため、ジハードとよばれるイスラム世界を防衛する戦争のためにもつかわれた。

イスラム教徒は、喜捨をするとみずからが所有する財産が浄化され、正当化されると考えている。現在、大部分のイスラム諸国では喜捨を慈善行為とみなし強制的にあつめることはないが、すべてのイスラム教徒にとってそれは本質的な義務のひとつとみなされている。また、こうした義務としての喜捨に対し、自発的な喜捨をサダカといって区別する。

>断食
第4の義務はラマダーン月の断食である。イスラム暦(→ 暦)は太陰暦なので、イスラム教の行事は変動し一定の季節にかぎられない。このため断食が真夏にあたる年もあるが、ほとんどのイスラム教徒は厳格にこれをおこなっている。ラマダーン月の期間は、夜明けから日没までの間、いっさいの飲食、喫煙、性的行為をつつしまなければならない。また、期間中は罪深い考えや行動をさしひかえなければならない。この期間に病気や旅行中の者は断食をしなくてもよいが、あとで埋め合わせのための断食をしなければならない。→ ラマダーン

>巡礼
第5の義務はメッカのカーバ神殿への巡礼である。身体的にも経済的にも巡礼をおこなえるすべてのイスラム教徒は、一生に一度はおこなわなければならない。巡礼の儀礼は、ズー・アルヒッジャ(巡礼)月の初旬におこなわれる。巡礼者は縫い目のない白布をまとい、そのあとは血をながすこと、髪や爪(つめ)を切ること、あらゆる俗悪な振る舞いをさしひかえ、清浄な状態にならなければならない。

主要な儀礼は次のようにおこなわれる。カーバ神殿の周囲を7回まわり、神殿の近くの2つの丘を7回小走りではしる、翌朝ミナーまで約5kmの行進、つづいてアラファートまで約10kmの行進をして、午後はそこで説教を聞き、メッカにもどり、アブラハムが神への忠誠をちかうため息子を神にささげた故事にちなんで犠牲をささげ、そしてふたたびカーバ神殿をまわる。最近では、巡礼をおこなうために世界じゅうのあらゆる地域からイスラム教徒が飛行機でやってくる。その数は、1977年の統計で、200万人近くにのぼっている。→ 巡礼

>イスラムと社会
イスラムの社会哲学は、精神的、社会的、政治的、経済的な日常生活のあらゆる領域はイスラム的価値観が完全に浸透した不可分の統一体を形づくるという信念にもとづいている。この考えは、「イスラム法」や「イスラム国家」のような概念となってあらわれ、イスラム教が社会生活や社会的義務に力点をおく理由にもなっている。イスラム教の五行にさだめられた基本的な宗教的義務でさえ、明らかに社会的意味をふくんでいる。

>信仰共同体
イスラム社会の基礎は、イスラム教の五行を実践することで強化される信仰共同体である。共同体は穏健であり、あらゆる極端なものは排除されなければならない。中世には、イスラム教の宗教権威者たちは、共同体にある程度の完全性をもとめはじめた。しかし、ヨーロッパによってイスラム諸国が植民地支配されるようになると、共同体が過ちをおかしたために罰せられているのだという考えが生まれた。その結果、20世紀になると、イスラム世界の思想家たちはイスラム社会をさまざまな観点から検証し、その改革案を明らかにしている。

>教育
イスラム世界の大学制度は、イスラム文明の発展に貢献してきた。大学は宗教教育の機関として設立され、ウラマー(宗教学者)、カーディー(裁判官)、ムフティー(法判断者)などの宗教職につく者を養成した。彼らは、とくにトルコとインドではひとつの重要な階層を形成し、国家のさまざまな政策に多大な影響をあたえていた。しかし、今世紀のイスラム諸国の多くでは、ウラマーは以前の影響力のほとんどをうしなった。とくに、それは宗教法をのぞまない西洋的教育をうけたイスラム教徒の間でいちじるしい。トルコでも、ウラマーは法的な権限をすべてうばわれた。

9世紀にアッバース朝のカリフ、マームーンは、バグダードに世俗的分野の学問、およびギリシア哲学と科学の文献を翻訳するための機関を設立した。10世紀になるとファーティマ朝のカリフはカイロにアズハル大学を設立したが、この大学は今日でもイスラム教育のもっとも重要な機関となっている。支配者や裕福な援助者は、学者たちが常に利用できるよう資金を用意した。中世イスラム世界の学者は、哲学、医学、天文学、数学、自然科学の分野で重要な貢献をした。9〜13世紀に、イスラム共同体は世界でもっとも創造力にとんだ文明を生みだしたのである。

その他の有名な高等教育機関には、セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクによって1067年にバグダードに設立されたニザーミーヤ学院がある。そこでは、法学、神学などがおしえられ、高名な思想家ガザーリーも教授陣のひとりであった。

>イスラム法
イスラム法は、アラビア語ではシャリーアといわれ、いわゆる法律だけではなく共同体の道徳目標もふくんでいる。そのためイスラム社会では、法という言葉は現代西洋におけるよりも重要性をおびている。

>4つの法源
イスラム法は4つの法源をもっている。最初の2つは、コーランとスンナ(ハディース)で、文書として記録されているものである。

しかし、コーランやスンナで直接的に対応できない問題がおこると、法学者による合意や類推によってその問題を解決するようになった。それが第3、第4の法源イジュマー(合意)とキヤース(類推)である。

第3の法源とされるイジュマーは、法学者たちによる協議をへてえられるイスラム共同体の合意で、さまざまな意見を取捨選択しながら徐々に形成されるものである。しかし、イスラムにはキリスト教の公会議のようなものがないので、合意の形成にはさまざまな人々を通じて長い期間を必要とすることもめずらしくない。

イジュマーによっても解決しえないような場合には、イジュティハードとよばれる「自由裁量」によって、すなわち法学者がコーランやスンナにもとづく類推によって結論をだすことがある。これが第4の法源キヤースである。こうした類推は、諸地方を征服した際に、神学者や法学者がその土地の慣習や法とコーランやスンナとを統合する必要にせまられてはじめられた。

のちに、イスラムの権威者は、こうしたコーランやスンナからの合意や類推を脅威とみなし、その使用をきびしく制限した。今でもシーア派はこれらを法源とはみとめていない。しかし、ここ数十年の間にイスラム世界の共同体に急激な変化がおとずれたため、ふたたびイジュティハードの行使の必要性が主張されている。

>法学派
イスラムには5つの法学派があり、4つはスンナ派に、1つはシーア派に属する。スンナ派の4法学派、すなわち、シャーフィイー派、ハナフィー派、マーリク派、ハンバル派はイスラム教成立後2世紀の間に台頭した。いずれもコーランないしスンナでは対応できない法領域には推論をもちいたが、典拠と類推(キヤース)のどちらに力点をおくかは派によってことなる。しかし、どの法学派もたがいの結論が完全に合法で、正統派の枠組みの中にあることをみとめている。

各法学派は、それぞれことなる地域において支配的である。ハナフィー派はインド亜大陸、中央アジア、トルコ、エジプトの一部、ヨルダン、シリア、イラク、パレスチナにおいて、マーリク派は北アフリカにおいて、シャーフィイー派は東南アジアにおいて、ハンバル派はサウジアラビアにおいて、支配的である。また、シーア派の法学派は十二イマーム派またはジャーファル派とよばれ、イランにおいて支配的である。

>ジハード
ジハードは「神の道のために努力すること」をあらわす言葉だが、ふつう「聖戦」と訳され、必要があれば軍隊をも動員して「地上の改革」をめざす戦いを意味する。しかし、ジハードの使命は、領土の拡張やイスラム教への強制的な改宗ではなく、政治権力が公共機関を通じてイスラム教の諸原理を実行することなのである。それにもかかわらず、ジハードの概念は、政治的野心しかない戦争を正当化するためにたびたび利用された。

>家族
コーランにしたがえば男女は平等だが、男性は家計をささえなければならないため、その地位が一段高い。コーランには女性がおかれた状況を改善する方法がしるされている。たとえば、ある部族で流行していた女児殺しの禁止や、配分は息子の半額ながら娘にも相続権があたえられたことなどである。

コーランは、くりかえし女性には親切に接するように強調し、夫に虐待された場合に離婚する権利についてもふれている。コーランは4人まで妻をもつことをみとめているが、同時に、「すべての妻を公正にあつかえないなら、ただ1人だけにせよ」とも説いている。しかし最近では、一夫多妻の弊害や、たとえ妻に落ち度がなくても妻を離縁できる伝統的イスラムの夫の権利がみなおされ、大部分のイスラム国家では新しい家族法が制定されている。

>生活習慣
男児に割礼をほどこす習慣が古くからおこなわれている。しかしコーランにはとくに規定はなく、アブラハムがその子イサクを割礼した伝承にしたがっておこなわれている。また女児にも割礼をほどこす地域もある。

イスラム教徒の女性は、ベールやチャドルで顔や身体をおおう風習があるが、これはコーランの中で他人に自分の身体をあらわにみせることが禁じられているためである。
ほかに日常生活において、禁酒や豚肉の食用禁止、賭博(とばく)や利子をとることの禁止といった宗教上の理由による規制がいくつかある。

>祝祭日と行事
シャッワール月1日の断食明けの祭りイード・アルフィトルと、ズー・アルヒッジャ(巡礼)月の供犠(くぎ)の祭りイード・アルアドハーが、コーランやスンナによってもさだめられ、宗派を問わずおこなわれている二大祭りである。このほか預言者ムハンマドの生誕をいわうマウリド・アルナビーをはじめとする、聖者たちの生誕祭マウリドがある。また、シーア派では、フサイン殉教を追悼するアーシューラーや、歴代イマームの生誕祭などがおこなわれている。

>歴史
ムハンマドの時代(570頃〜632)のアラビア半島には、遊牧や山賊行為をおこなうベドウィンと、交易に従事し都市に在住するアラブ人がすんでいた。アラブ人の宗教は多神教だったが、一神教の古い伝統や、少なくとも卓越した神に対する信仰も存在していた。おそらく、ユダヤ教徒やキリスト教徒の共同体が、アラブ人が一神教の教義をうけいれていくのに影響をあたえたものと思われる。しかし、ユダヤ教もキリスト教もアラブ人をひきつけることはなかった。

>ムハンマド
ムハンマドは40歳のとき、大天使ジブリール(ガブリエル)が彼のもとにあらわれ、預言者となったことを自覚した。ムハンマドは、家族としたしい友人にこの出来事をうちあけた。4年後には、およそ40人を彼の説く教えに改宗させ、故郷メッカで公然と布教を開始した。しかし、メッカの人々の猛反対にあい、622年にメディナに移住した。この出来事をヒジュラといい、イスラム暦の起点となった。

メディナでムハンマドは、すぐに政治と信仰の両方の権威者となり、立法者であり預言者であることがみとめられた。そして、彼に反対するアラブ人やユダヤ教徒がしりぞけられると、メッカに対する戦いがはじまった。アラブ諸部族がムハンマドとの同盟を宣言し、630年にメッカは降伏した。632年にムハンマドが死んだときには、彼が指導者だったアラブ国家は急速に政治権力を強化しつつあった。

>古典期
イスラム教の最初の数世紀(7〜10世紀)に、法と神学すなわち正統イスラム教の基本原理が発展した。イスラム教において神学は法についで重要なものだが、キリスト教神学ほど本質的ではない。神学的思考はムハンマドの死後すぐにあらわれた。

最初の主要な論争は、第3代カリフ、ウスマーンの暗殺によってひきおこされ、政治的抗争に発展した。問題は、殺人などの大罪をおかした者はイスラム教徒のままでいられるかどうかということだった。ハワーリジュ派とよばれる過激な集団は、大罪をおかした者はイスラム共同体から除外すべきであるという立場をとった。彼らは、ただしい信仰ではなく善行をイスラム教の本質とみなしたのである。ハワーリジュ派はほとんどすべての政治権力者に異端とみなされ、たび重なる反乱ののちに、弾圧され最終的に消滅した。しかし、イバード派とよばれるハワーリジュ派の中の穏健派は、現在でも北アフリカ、東アフリカ、シリア、オマーンにのこっている。

8〜9世紀にギリシア哲学がアラビア語に翻訳され、ムータジラ派とよばれる理性と厳格な論理を強調する学派が台頭した。これはイスラム世界ではじめて体系的な神学を確立した学派だった。

ムータジラ派は、善行の重要性の問題では、大罪をおかした者はイスラム教徒と非イスラム教徒の中間的な存在であるとした。また、彼らは神の唯一性と正義を力説し、神はいかなる属性ももたない本質であると主張した。属性をみとめることは多神崇拝につながるからである。神の正義はまた人間に自由意志を要求する。神は人間が自由に選択した善または悪の行為の結果にしたがって、賞罰をあたえるからである。神は完全だから、善者がむくわれなかったり、悪者が罰せられなかったりすることはない。また、ムータジラ派は合理主義の立場から、人間の理性は善悪を区別する能力をもっていると主張するが、その能力は啓示によっておぎなわれる。ムータジラ派の神学は、アッバース朝カリフ、マームーンによって公式神学として採用された。

しかし、10世紀に哲学者アシュアリーとその弟子たちはムータジラ派と対決した。彼らは、人間の自由意志は神の絶対性の概念とあいいれないとして否定した。また、彼らは人間の本来的な理性は善悪を識別することができず、倫理的な真実は神にゆだねられ、人間は啓示によってのみ知りうるとした。アシュアリーの思想とその学派はしだいにスンナ派、すなわちイスラム教の正統派を代表する神学となり、今日にいたるまで優勢をたもっている。しかし、スンナ派の特徴は、見解のわずかな違いは寛大にあつかい調停すること、教義にかかわることは共同体の合意の必要性を強調することにあった。

>中世の哲学
おそらくムータジラ派は、その思想を発展させるにあたり、ギリシア哲学の方法をもちいた最初の集団であろう。同じ方法をもちいて彼らに反論した者たちもあったため、その論争は、マームーンによって奨励されたギリシア哲学や科学のアラビア語への翻訳と研究に重点をおくイスラム哲学運動を開花させるにいたった。

最初の重要なイスラム哲学者は、9世紀のキンディーである。彼はギリシア哲学の真理と彼が哲学的理性にまさるとみなしたイスラム教の啓示的真理とは一致すると説いた。この時期の一連のイスラム哲学者がそうであったように、彼は主としてアリストテレスと新プラトン主義の影響をうけた。10世紀に活躍したファーラービーは、啓示と宗教法を哲学より下においた最初のイスラム哲学者だった。彼は哲学的真理は普遍的であるということと、それぞれの宗教はひとつの理想的な世界宗教の象徴的表現であると主張した。

11世紀に、イラン人の哲学者で医者のイブン・シーナー(アビセンナ)は、ギリシア合理主義とイスラム思想を体系的に調和しようとこころみた。しかし彼はその過程で、人間の来世における復活や世界の創造のような、いくつかの正統派の信仰箇条を否定した。彼はまた、宗教は、哲学的真理を理性的に明確なかたちで理解できない民衆にうけいれられるように比喩的にあらわした哲学にすぎないと主張する。このため、イブン・シーナーだけでなく哲学全般が正統派の思想家たちのきびしい批判にさらされた。とくに思想家ガザーリーは、著作「哲学者の矛盾」の中でイスラム教の教義に矛盾した哲学者たちの説を批判した。12世紀の哲学者で医者のイブン・ルシュド(アベロエス)は、ガザーリーの哲学批判に反論し、アリストテレスと新プラトン主義の哲学を擁護した。彼はスコラ哲学に影響をあたえ、西欧文化史の中でもっとも偉大なイスラム哲学者と位置づけられた。


>スーフィズム
スーフィズムとよばれる神秘主義運動は、8世紀にはじまる。最初は敬虔(けいけん)な信者の小さな集団だったが、イスラム共同体が世俗化することに反発し、精神の内面や道徳的純化を強調しはじめた。9世紀に、スーフィズムは神との直接対話や神との合一をめざす神秘的教義を発展させた。この神との神秘的合一への熱望は、一神教を旨とする正統派イスラム教と対立した。922年スーフィーのハッラージュは、神との合一を主張したことを非難され、バグダードで処刑された。すぐれたスーフィーたちはしだいに穏健なスーフィズムと正統主義を総合しようとつとめた。そして11世紀に、ガザーリーは正統派の枠組みの中にスーフィズムを位置づけることに成功した。

12世紀にスーフィズムは、知識人だけのものから民衆の中へと広がっていった。スーフィーが強調する直感的な認識と神の愛は、民衆をイスラム教に強くひきつけることになり、イスラム教は中東だけでなくアフリカや東南アジアにまで広まった。スーフィーの教団は急速に大西洋からインドネシアにかけて拡大した。教団は全イスラム世界に広がるものもあれば、地域単位のものもあるが、こうした教団の大成功は、創始者や指導者の能力と博愛によるものである。彼らは弟子たちの精神的なよりどころとなったばかりでなく、信仰をもたない者をたすけたり、しばしば民衆と国家の間の仲介者としての役割もはたした。

>シーア派
シーア派は、スンナ派に対立する主要な党派の中で唯一生きのこっているものである。シーア派は、預言者ムハンマドの政治的継承をめぐる争いの中から台頭した。イマーム・アリーにはじまる12人の最高の指導者を信じるため、十二イマーム派としても知られている。スンナ派とは対照的にシーア派は、共同体の合意よりも奥義についての知識を強調する。

>その他の党派
シーア派からはいくつかの小さな党派が発展したが、もっとも重要なものはイスマーイール派である。イスマーイール派の神学的思想は、シーア派よりも過激で、ほとんどはグノーシス主義と新プラトン主義から派生したものである。現在、インドとパキスタンでおもにみられるほか、最近では東アフリカからカナダに移住する者もあらわれてきた。イスマーイール派の分派のひとつにドルーズ派がある。イスマーイール派のファーティマ朝カリフ、ハーキムがカイロで謎めいた失踪をしたのちに出現し、ドルーズ派の多くはハーキムが神の化身であると信じている。

1844年、シーア派の若者、シーラーズ出身のイラン人セイエド・アリー・ムハンマドは、みずからを「バーブ(神への門)」であると宣言し、救世主の役割をはたした。しかし、彼の弟子のバーブ教徒たちはシーア派の聖職者によってきびしく迫害され、彼自身も50年に処刑された。彼の弟子で、バハー・アッラーフとして知られるミールザー・フセイン・アリーは、バーブ教徒を中心として人類の平和と統一をめざす教義を生みだし、独立した宗教であるバハーイー教を創始した。そして、アメリカで多くの信者を獲得した。

>現代世界のイスラム
中世に大発展をとげたイスラム文明は、その後停滞する。そのため、社会や道徳を改革しようとする宗教改革運動が台頭するようになった。その最初のものはワッハーブ運動とよばれる。この運動は、18世紀にアラビア半島でおこり、イスラム世界の各地に分派をもつ広範な復古主義運動となった。ワッハーブ運動は、反イスラム的影響、とくに一神教の信仰をあやうくするものをとりのぞくことと、盲目的に伝統をうけいれるのではなく各自が考えることがイスラム教徒の責任であることを強調して、イスラム教の復興をめざした。→ ワッハーブ派

それ以外のイスラム教の諸改革は、西欧思想の影響をうけたものである。そのうち、もっとも影響力のある19世紀の改革者は、エジプト人のムハンマド・アブドゥフであった。彼は、理性と現代西欧思想はイスラム教の真理を台無しにするどころか、むしろ強固にするであろうし、イスラム教の教義は現代の言葉におきかえられると信じた。また、インドのムハンマド・イクバールはイスラム教の教義の再解釈をこころみたもっとも重要な現代哲学者である。

エジプト、トルコ、インドの知識人は、コーランの教えを、憲法にもとづく民主主義、科学、女性解放といった思想と調和させようとした。コーランは合議による支配の原理をおしえているが、彼らの議論によれば、それは現代において君主国ではなく代議政体においてもっともよく実現されるのである。彼らはまた、コーランは自然の研究と開発を奨励しているが、イスラム教徒たちはかがやかしい科学的業績をのこした数世紀後にそれをヨーロッパにひきわたし、放棄してしまったのだと指摘している。さらに、コーランは女性にも同等の権利をあたえたが、一夫多妻を悪用した男たちによってうばわれてしまったともいっている。

近代主義者の考えはコーランの解釈に基礎をおくものだったが、彼らはとくに1930年代以後イスラム原理主義とはげしく対立した。原理主義者たちは、現代的教育や科学技術それ自体には反対しなかったが、西欧の道徳までもたらす近代主義者たちを非難した。彼らは、西欧が生みだした女性解放は、家族の崩壊やみだれた性道徳をまねいた責任があると考えている。原理主義者の中には民主主義をもうたがう者がいる。彼らは民衆の道徳観念を信用しないからである。さらに、イスラム国家における近代主義者の指導者や官吏たちが自国の貧困や人口増加といった問題の解決に失敗していたことも原理主義者による批判の論拠となった。最後に、おそらくもっとも重要なことであるが、イスラム教徒たちが西欧植民地主義に対していだいたはげしい憤慨が、彼らの多くに西欧のすべてを悪であるとみなさせたのである。

現代において、イスラム教は新しい信者を獲得しつづけている。とくにアフリカとアメリカの黒人社会で顕著だが、その根本的な平等主義が彼らの関心をひいているのである。

>イスラム教とその他の宗教
イスラム教の絶対的真理を確信していたため、イスラム教徒は伝統的に他宗教の代表者たちとの対話をもとめなかった。最近になってイスラム教徒たちは、イスラム教が「啓典の宗教」であるとみとめるキリスト教やユダヤ教の代表者たちとの対話をおこなうようになった。しかし、西欧植民地主義のさまざまな記憶が疑念を生み、世界的な活動となることをさまたげている。

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