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摩多羅神はどこから来たのか? 〜ダビデの子孫〜
第一章・・・・ Last updated on 01/11/2003 18:22:18.
序文 (Since 4/1997)
「集合的無意識の元型は神話的モチーフのなかに現れる。あらゆる時代、あらゆる民族に、同一ないし類似のやり方で現れるし、自然に現代人にも生じうる。」
C・G・ユング
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はじめに
古来、さまざまに信仰されてきた対象の淵源はすべて永遠のマンダラに招来されている。このテーマは膨大で奥深い。しかも、文献的に傍証されうるものは少ない。なぜなら、多分に本質的なことは、なぜ?、という問いに隠されている。むしろ、古代の叡智を失いかけて久しい今日、きらりと光る断片を見つけることがとても難しい。しかし、ユングがいう神話のモチーフが民族に類似した形で現れるという優れた洞察が、これからの書かれることのすべてを支えている。
京都市 太秦 大酒神社(元名 大辟神社)
太秦明神・漢織神・呉織神の三神名が見える。
漢織神・呉織神(あやはとりのかみ・くれはとりのかみ)は中国の神仙の神
○謎の京都太秦 大酒神社の摩多羅神 (マタラシン or マタラジン)
京都右京区太秦(うずまさ)蜂岡町にある大酒神社(おおさけ)の牛祭は京都三奇祭の一つ。かつては神社祭であったが、現在は、広隆寺が行っている。そのため、広隆寺の「牛祭」と広く言われるようになってきている。十月十日(夜8:00頃)に奇妙なお面をつけて牛に乗った摩多羅神がお出ましになる。赤鬼、青鬼、二人づつ先導にして、広隆寺西門から出て行列をする。やがて、山門の前を通り、東門より境内に戻る。薬師堂の前の祭壇を牛に乗ったまま三周したあと、祭壇に登り、赤鬼・青鬼とともに祭文を読みはじめる。独特の節回しで長々と厄災退散を祈願する。その間も、祭の世話役や見物人などから、やじが飛ぶ。最後に、祭壇から薬師堂の中に駆け込んで終わりとなる。摩多羅神の祭りは、かつて「おどるもあり。はねるもあり。ひとえに百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)に異ならず。(太秦広隆寺祭文)」と言われ、昔は、かなり乱痴気な祭と言われているが、今は整然とした儀式である。摩多羅神のいでたちは白衣装束に紙をたらした冠をかぶり、その頭巾には北斗七星を載いている。この奇相でおかしな摩多羅神、サンスクリットないし、インドの俗語であるといわれるも、その語彙は特定できない。また、仏教の守護神とされているが教典にも定かではな い。どちらかといえば道教神のようだ。しかし、この神名はどこを調べてもよくわからない。天台の学僧であった覚深(かくじん)は、将軍・徳川吉宗のころ(1738年)に、「天竺・支那・扶桑の神なりや、その義知りがたし。支那の神にあらず、また日本の神にもあらざれば、知らざる人疑いを起こす輩もあるべきことなり。」(摩多羅神私考)と述べている。摩多羅神の本性はすでに謎に包まれていたのである。