現在地 HOME > 掲示板 > 昼休み3 > 1067.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
去年の夏でした。
アルファンドさんの投稿です。
また、読みたくて探したのですが、これだったかなぁ、、、
ずいぶん昔に感じます。
http://www.asyura2.com/0306/idletalk2/msg/367.html
以下、再掲いたします。
「日本を覆う霊性(八百万の神々?)に対する信頼感」と書いてくれたが、俺はもっと大きなものへの根本的な信頼感があるんだ。それは“俺たちみんな”の「おっかさん」。時に厳しく、時に優しく、俺たちみんなを包み込み、決して見放さない存在。そう、「地球」だ。この星だ。
『奴ら』もまた、この星の「子供」なんだ。分かるだろ? どういうことか。 ・・・『奴ら』は独り占めしたいんだよ、「お母さん」を。ずっと甘えていたいんだよ。誰にもとられたくないんだよ。
俺にはよく分かる。俺も昔はそうだった。
『奴ら』は可愛いヤツらなんだ。
だから「決着」をつけてやらなけりゃいけない。
深い深い、闇の中から引きずり出して、この腕に、この胸に抱いてやらなけりゃいけない。
俺たちにはそれしか出来ないし、きっとそれで十分なんだ。
俺は「ロンドン」が現代の「バビロン」であると考えている。
「ロンドン」の「ロン」は「バビロン」の「ロン」だ。そしてその「ロン(LON)」は「ローン(LOAN)」に通じるものであり、「バビロン(BABY LON)」は即ち「金融魔術の揺籃の地」、「ロンドン(LON DON)」は即ち「世界に君臨する金融魔術都市」だ。
・・・その場合、「バビロンの大淫婦」は「エリザベスU世女王」になるのかな? まあその辺はよく分からないし、どうでもいいや。
そこであんたは戦っている。あんたの文章の背後には確かに『奴ら』を直に肌で感じ、それと渡り合ってきたという「気迫」が感じられる。あんたの明晰な文章は頼もしい。
だからあんたの予感は正しいのかも知れない。俺が『奴ら』を怖れないのは、「『奴ら』の本当の恐ろしさ」を知らないだけなのかも知れない。
だが、それでも俺は『奴ら』を怖ろしいとは、もう思えないんだ。
「『奴ら』の恐ろしさ」に直面したら、多分俺は怯えるだろう。泣き叫ぶだろう。小便をちびり、腰を抜かし、一目散に逃げ出したくなるだろう。
しかしそれでも、『奴ら』は俺を「支配」することはできない。俺から何かを奪っても、俺はまた新しいものを手に入れられると知っている。どんなに俺を傷つけても、俺は全ての傷は癒されるものだと知っている。たとえ俺を殺しても、俺は今度は『奴ら』のど真ん中に生まれて内側から全てを切り崩すことに決めている。
この宇宙で起こることは、全て「愛の営み」だ。
俺は「愛し方」を知っている。
そして、その知り方も知っている。
ただ、愛すればいいんだ。
愛したいと想い、ただあきらめなければいいんだ。
そうすれば、自然と、愛せるようになる。
「八百万の神々」に悪魔的な力を跳ね返す力は、「無い」。
ヤツらはそもそも、そんなことをする必要が無いんだ。
「悪魔的な力」を“跳ね返せる”のは、「より悪魔的な力」だけだ。
俺たちは、「悪魔的な力」を抱きしめる。
1億2千万の民、60億の民が“みんな”で『奴ら』の「悪」を、「自ら」の「悪」を抱きしめる。
どうせ死ぬなら、「喜び」とともに死のう。
どうせ生きるなら、「喜び」とともに生きよう。
「反撃の機会」は、“与えられる”ものじゃない。
「家畜人」を「家畜人」たらしめているのは、そいつら自身の「意志」なんだ。
捻じ曲がった昏い「喜び」に浸かる、そいつら自身の「願望」なんだ。
俺はとっくに「反撃」を始めてる。
これが大きな奔流となって『奴ら』の闇を押し流すのは、まだまだ先のことだろう。
しかしもう、時は流れ出したんだ。
「川床」があるから「水」が流れるんじゃない。
「水」が流れるから「川床」が出来るんだ。
“創り出す”のは、俺たちだ。
それに、立場は逆なんだ。
「容赦しない」のは俺たちの方なんだ。
俺たちは、『奴ら』を骨の髄まで愛してやるんだ。
逃がしはしない。
必ずとっ捕まえて、思いっきり抱きしめてやる。
キッスの雨を降らせてやるんだ。
『奴ら』に逃げ場は無い。
この丸い地球でどこまで逃げても、決して逃げられやしないんだ。
「追い詰められてる」のは、『奴ら』の方なんだ。
俺は信じる。
俺が死んでも、この星はきっと“生き返る”。