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「自分はミロクではない!」と出口王仁三郎が語る
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大本教の信者の方は出口王仁三郎はミロクであったと 考えておられるでしょうが、そうではないと、王仁三郎自身が 語った問答があります。
太陽がそれをわかりやすく解説されています。
竹問答
倒れる竹に齢を問へば、「わしの一生は六十年実のなる時がこの世の 終わり。齢の六十を逆さにすれば丁度今年が十六才、六十才迄には四四足らぬ。辛酉 (大正十年)に名残を留めて枯れて行くのも時世時節神の攝理にや勝てはせぬ」尚倒 れる竹に性来聞けば、「ワシの上面は固うてキレイなれど中身は唐(空)魂よ。なら う事なら木に化けたいが茲に木になりや木違者と人に笑はれ又なぶられて化けの皮ま ではがれにやならぬ。いや終わりも時世時節神の審判にや勝てはせぬ」 (聖師・出口王仁三郎)
原文直訳
六十年に一度、笹の実をつけて枯れて倒れてしまう竹に竹に私の齢を問へば、 「私の一生は 六十年毎に笹の実のなる頃に終わる。 齢の六十を逆さにすれば、丁度今年が十六才、六十才迄には四四足らない。 辛酉(大正十年)に名残を留めて枯れて行くのも時世時節です。 人間は一度は死ぬという神の攝理にや勝てません。 」尚、倒れる竹に性来聞けば、 「私の上面(うわつら・表面)は 固うてキレイなれど、中身は 唐(空・神はい ない)魂です。 ならう事なら、木に化けたいが茲(此の=此の方=ミロク)に木になりや木違者 (気狂い)と人に笑はれ、又、なぶられて化けの皮まではがれにやならぬ。 いや終わりも時世時節神の審判にや勝てはせぬ 」 (聖師・出口王仁三郎)
原文意訳
出口王仁三郎である私の六十年の一生について問われれば、 「私の一生は 六十年毎に笹の実のなる頃に終わる。 齢の六十を逆さにすれば、丁度、今年が十六才、六十才迄には四四足りません。 (これは 特にいみが有りません。 数合わせのようなものです。) 辛酉(大正十年)に名残を留めて枯れて行くのも時世時節です。 人間は 「一度は死ぬという」神が決めた攝理にや勝てませんので、私は 死ぬ でしょう。」 尚、死んでいく出口王仁三郎である私の性来(本性・実体)聞けば、 「私の上面(うわつら・表面)は 人間の姿をしていて固うてキレイなれど、中身 は 唐(空・神はいない)魂です。 ならう事なら、木(ミロク)に化けたいが、茲(此の=此の方=ミロク)に木に なりたいと云えば 木違者(気狂い)と人に笑はれます。 又、人々からミロクでないのにミロクのふりをしていると、なぶられて(馬鹿に されて)化けの皮まで剥がされなければなりません。 いや!私の人生の終わりも、死にたくないと思っても時世時節神の審判にや勝てませ ん。」 (聖師・出口王仁三郎)
★太陽のコメント
以上のような意味になります。
出口王仁三郎がミロクの衣装を着た写真などがありますので、 ミロクと門徒は 云うがそうではないと説明しています。
これも、先に報告のあった、出口王仁三郎の奇妙な遺言・遺書の内容と裏腹の関 係にある内容です。大本の信徒にとっては 「出口王仁三郎は 聖師」ですから、 云おうとする意味 を受け取りがたいのかもしれませんが、第三者のような立場で見ていますと、彼なり に一貫しているように思えます。
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