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【プーケット、カオラック(タイ南部)30日宮原拓也】
「アンダマン海の真珠」と言われるタイ南部のリゾート地・プーケット島。世界各地から年間四百万人もの観光客を引き寄せる海は、陽光を浴びてエメラルドグリーンに輝いていた。わずか四日前、あの「殺人津波」を生んだのは、同じこの海なのか。遺体捜索と復興が続く一方で、徐々に日常を取り戻しつつあるプーケット周辺を三十日歩いた。
▼「今日6人目だ」
タイ国内でも最大の被害者を出したカオラックビーチ。プーケット北部の新興リゾート地として、日本人観光客も増えつつある。中心部に近づくと、道路沿いの光景が“工事現場”に変わった。残る建物は三階建て以上だけ。後はすべてががれきと泥しかない。
人だかりが見えた。がれきに立つ数人の救助隊が「いたぞ」と大声を上げた。マスクをして近づくと、欧米人らしい男性の遺体が見つかった瞬間だった。海岸から約三百メートル。海を背に泳ぐような格好の男性は、津波から必死で逃げようとしたのだろう。近くでは、タイの民間団体らしい救助隊員五―六人が、白い布で覆った遺体を車に積み込んでいた。重みで車体が沈み込んだ。「この車には五体。今日だけで六人目だ。タイ人一人と台湾人、あとは分からないよ」。隊員の一人はそう言った。
▼写真を手に捜索
男性が近づいてきた。地元に住む「空港職員のワンポット(49)」と名乗った。一枚の写真に写る、五十四歳の姉を捜しているという。救助隊一人ひとりに写真を見せて、身体の特徴を告げたが、だれも首を縦に振らなかった。「昔、カナダに住んでいたころの友達と一緒に、姉は毎年カオラックに来てたんだ。その友達の遺体は昨日、見つけたんだが…」。マスク姿のワンポットさんの目が潤んでいた。
しばらく行くと、海岸から約三キロほどの広場に、野ざらしのままの遺体置き場があった。百体はあろうか。写真を撮ろうとしたら、あまりに強烈な死臭でのどが痛くなり、吐きそうになった。かつての新型肺炎(SARS)騒動の際に、支局に配備された分厚いマスクだったが、役に立たず、走って風上に逃げた。
ふと山手の方を見ると、小高い丘のふもとに軍の警備艇らしい船がたたずんでいた。海からは三キロ以上。時速八百キロともいわれる津波のエネルギーを想像できた。
▼いつもより閑散
プーケットに戻り、ビーチを回った。高級ホテルが並ぶパトンビーチやその南カロンビーチには、観光客が海辺でたわむれる日常があった。海岸から少し入ると、全壊した車やがれきの山が残るが、観光客が行き交う海辺の通りは、八割が開業していた。
さらに南のカタビーチを歩く。日本人がいない。十分ほどでやっと山梨県からの旅行客と会えた。水着姿の会社員(37)夫妻は子ども二人と両親とともに、津波翌日の二十七日に到着した。
「プーケットは今年で四回目。連絡したら大丈夫って言うし、怖かったけど来ました。でも、さすがにいつもよりビーチは閑散としてますね」
見渡すと、周囲はすべて欧米人。津波発生で日本人はほとんどが帰国、その後も予約客のキャンセルが続いた。「ここにいると何だか、白い目で見られてるようで。でも、地元の人も『日本からの観光客が来てくれることが一番の復旧の近道だ』って言ってましたよ」。妻はそう言った。
▼年末年始返上で
この日の朝、宿泊先のホテルで日本からの医療救援隊に会った。鹿児島市の医療法人・徳洲会の新井英和医師(50)を団長に、大阪や関東など九人の外科医たち。二十七日に現地入りしたが、この日は最も被害者が多いカオラックビーチの北部約三十キロのタクアパーに、大半の医師が移動するところだった。
タクアパーの病院にはこれまで、津波に巻き込まれた千人近くが骨折などで運び込まれ、日本人数十人も治療を受けたという。だが、骨折によるけがが化膿(かのう)して、骨折の手術も難しくなるなど、簡単な措置もできていないケースも多い。一行は、年末年始返上で約三週間、現地に滞在する予定だ。
「じゃ、行って来ます」と背を向けた新井さんに、「ホテルは?」と聞くと、「いや、どこかに雑魚寝です。もともとそれも仕事の一つですから」と笑った。
■安否めぐり外務省迷走 柿木さん家族確認前に死亡発表
スマトラ沖地震による津波で犠牲となった柿木(かきのき)奈緒子さん(27)の安否をめぐり、十分な根拠もないまま「死亡」と発表したり、家族の遺体確認に職員が同行しないなど、外務省の対応が迷走。今後の安否調査の在り方に課題を残した。
外務省海外邦人安全課によると、同省が柿木さん死亡の情報を得て「邦人女性の死亡が確認された」と発表したのは二十八日未明。「柿木さんの写真に似た遺体をプーケットの病院安置所で見つけた」とする日本人添乗員の話が根拠だった。
同日夜、添乗員の案内でこの遺体を見た柿木さんの両親が「娘とは別人」と説明。状況は一変した。しかし、外務省は「法医学鑑定で柿木さんと確認される可能性もある」として邦人の死者数を変更しなかった。
両親は「病院にはほかにも日本人の遺体がある」と知らされて二十九日に再度訪れ、柿木さんの遺体を確認した。現地の大使館員は当初これに同行せず、柿木さんの歯型資料を取り寄せる仕事をしていた。両親と一緒にいた関係者の連絡で、病院に駆け付けたという。
海外邦人安全課の八幡富美雄課長は「ご家族が遺体を本人と確認していない段階で『死亡確認』と発表したのは軽率だった。深く反省する」と釈明。病院に同行しなかったことについては「もっと配慮するべきだと批判されても仕方がない」と話している。
(西日本新聞) - 12月31日2時19分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041231-00000012-nnp-int