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(回答先: Re: 私自身は天罰説はとっていませんが、誤解があったことをお詫びします 投稿者 マドオンナ 日時 2004 年 10 月 30 日 01:13:49)
もっとはっきり、ラムセスさんへの批判を書かせていただきます。
私は「天罰」などという概念は嫌いです。
誰かの好き嫌いに合わせた身びいきな「天」だの「神」だのというものが
もしいたとしても、そういう好悪で決めた「罰」などというものを下す権限
をもった奴は、反対勢力がゴマを吸ったり金や人身御供をくれてやればほい
ほいそいつに便宜を図ろうというそこいらの気まぐれな権力者と一緒だとい
うことになる。仮に、角栄や小泉が悪政の主だったとしても、それを裁く権利
があるどころか、その神はよりひどい悪政を行う利己的ファシストだ。
私はそんな愛も慈悲もない神などちっとも尊敬する気にも畏れる気にはなりま
せん。むしろ、そういう存在は軽蔑します。そして、そういう神を奉じる者も
同様に軽蔑する。
田中真紀子氏が小泉を総理にのし上げる際に一役買ったとしても、まず、それは
過去のことであるし、彼女自身がすでに小泉に裏切られて痛い目にあっています。
むしろ、彼女の方が誰よりも小泉を直接的に「許せない」と怒りを感じるのでは
ないですか?そういう意味では、例の歌のように「角栄自身がナマズ」ではないけ
れど、真紀子氏自身が小泉に天罰を下してやりたい神ということになる。角栄氏
も、結局同じ自民党の仲間から見捨てられ、裏切られていった経緯がある。しか
し角栄でも真紀子でも、自身の支持基盤である古巣を破壊してやろうなんて気持ち
はもたないでしょう。官邸や自民党本部ならともかく・・・(だいたい、とっくに
自分の過ちが痛い目をひき起こして、十分学習したであろう相手にこれでもか、
これでもかというほどのムチを与える神なんて、超残虐で無意味ないじめが大好
きなサディストだ。これが人の模範たる神の次元で正当化されると思うなら、人
の次元でもイラクの民衆に対するように、弱り目に祟り目のような事態にあわせて
やっても、フセインなんか担ぎ上げたイラク国民が相手なんだから当然だという論
理もなりたってしまう)。
その意味では、上の文にもあるように、新潟の地震になんらかの因縁が働いている
としても、今まで中央から散々裏切られ、苦しめられてきた者が新潟県民で、彼ら
の苦痛を代表するのが田中一家であり、その苦悩のストレスが蓄積したものが大地
が蓄積してきたストレスのエネルギーと共振した結果と見るべきではないのか。
そうだとすればあの地震はむしろ、虐げられた被害者としての訴え、叫びに相当
する(死ぬ寸前の喘息発作を起したことがあるが、そういうとき声を出して叫べば
叫ぶほどかえって苦しくなり、瀕死の状態に近づく。しかし、叫び声を聴いてく
れる人がいる可能性にかけて、必死の叫びをあげるのも事実だ)のではないか。
いくつか訊きます。
あなたには「完全に人を見る目」があって、「過去に過ちがなくて」「今後も絶
対に間違えない、裏切られない」自信があるのですか。
もし、そうだというのなら、あなたは信用できない嘘つきな人ですね(もし、実際
にそうだったとしても、あなたは人生経験の薄い、うすっぺらくて無責任な小心者
だということになりますが)。
「自分は真紀子や角栄と違って権力や責任のある目立つ立場にはないから、そんな
過ちがあったとしても神の目にとまるほどの大した影響なんてない」とおっしゃる
のなら、なんでも政府や権力のせいにして安心したがる卑怯者でしょう。
そして自分が気に入らない奴を「みんなあいつのせいなんだからとっちめてくれ」
と力のある奴に頼み込んで制裁してもらうことも躊躇わないかも知れない。
とにかく、私はたとえ幾つかの過ちがあったとしても、角栄氏や真紀子氏はそれを
補って余りあるたくさんの偉業もなしとげてきたと思う。
だいたい、あなたは小千谷や長岡の住民じゃないから、角栄とは関係ない、といえる
のか。その地域の住民が全員田中親子に投票してきたわけではないだろうし、最近
引っ越してきたばかりの者もいるだろう(東京に本部があるかつての自民党も、角栄
を恵比寿顔で歓迎し、田中派なんて派閥まで作り、崇め奉って沢山利用してきた。
小泉も同様だ。田中真紀子を小泉の妻だの母だのいうのも、マスコミが勝手にイメー
ジして言い出した宣伝文句に過ぎない。自民党やマスコミの熱狂振りは、もはや新潟
県民の比ではない)。しかし、今度の地震ではそういう田中家を崇めない人も被害に
あっている。土地のカルマ(悪因悪果)のようなものがあるのなら、日本、いや世界
全体そんなものだらけだ。神も、ちまちま大した悪もなしていない地方都市なんか狙っ
てないで地球まるごとふっとばした方が早い。
ものごとには、確かに何らかの因縁や縁起が存在しているのかも知れない。
でも、それは恣意的、利己的、感情的な天罰などとは関係ないだろう。
もっとドライで、人の設けた善悪観や都合とは関係のない物理法則なのではないか。
私たちは、決しておいそれと、「天罰」などという言葉を使ってはならないと思います。