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マルコ山古墳は六角形墳、飛鳥地域で初…皇子の墓か
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041205i211.htm
奈良県明日香村のマルコ山古墳(7世紀末―8世紀初め)が六角形墳であることが判明したと、同村教委が5日、発表した。
六角形墳は全国でわずかに数基知られているだけで、飛鳥時代の皇族や貴族の墓が集中する飛鳥地域で確認されたのは初めて。
当時、天皇や皇太子は八角形墳に葬られており、それに次ぐ地位の皇子の墓とみられ、被葬者の絞り込みにつながると期待されている。
同古墳はこれまで円墳とみられていた。上下2段の墳丘のうち、下段の西側を発掘したところ、内角約140度のコーナーと外縁が出土した。1977年にも下部北側に角張った部分が見つかっており、下段は最長の対角線が約24メートルの東西に長い六角形とわかった。上段も同形と推測されるという。
古代中国の思想・道教で、八角形は宇宙を表し、六角形はこれに準じて世界を示す。この思想に基づき、中国の皇帝は八角形、皇太子や諸侯は六角形の建物を造営したとされる。
日本でも飛鳥時代後半(7世紀後半)の天智陵(京都市)、天武・持統合葬陵(明日香村)などの天皇陵は八角形墳で、中国の思想の影響を色濃く受けていると考えられているが、飛鳥地域で六角形墳は見つかっていなかった。
マルコ山古墳の被葬者はこれまで、規模や立地から天智天皇の川島皇子(657―691年)や、天武天皇の弓削皇子(ゆげのみこ)(?―699年)らが想定されてきたが、その可能性がさらに高くなった。
千田稔・国際日本文化研究センター教授(歴史地理学)の話「中国思想が皇族の墳墓形式に影響を与えたことは十分、考えられる。外形から被葬者を絞り込めれば、キトラ古墳などの被葬者の解明にもつながるだろう」
(2004/12/5/21:05 読売新聞 無断転載禁止)