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「首大」設計者達の暴言と慣らされてしまった人達(JANJAN)&「クビ大COE」はなぜ阻止されねばならなかったのか
http://www.asyura2.com/0403/ishihara8/msg/514.html
投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 10 月 29 日 14:22:21:ihQQ4EJsQUa/w
 

(回答先: 「フランス語は数の勘定しないと数値表現につながらない言葉」の間違いだろう(本文なし) 投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 27 日 00:39:53)

うちのボスは「都立大悪くならなきゃ良いけどな」と温甘いこと言ってます(うちは都立大じゃないです)。都立大の酷い状況は知ってるはずですけどねぇ。



http://www.janjan.jp/area/0410/04102542/1.php
「首大」設計者達の暴言と慣らされてしまった人達 2004/10/29

 現代はコンピュータの処理速度向上と合わせるかのように、情報が加速的に飛び交う社会となった。情報の洪水の中で人々は、自分にとって関心のある情報、面白い情報を争って入手しようとする。情報発信者は、いかに読者を獲得しようかと知恵を絞り、よりインパクトのある強烈なメッセージを流す。テレビ、新聞はもとより、電車の中の吊り広告、街中の広告を見ると、それぞれが見る者に飛びかかろうとしている。

 そんな現代において、人々は知らず知らずの内に「過激な言葉」に慣らされてしまい、政治家や指導者達の暴言に「またか!」と言って呆れて済ましてしまっていないだろうか?

 以下の発言をまずご覧頂きたい。

A:「大学全入時代、学校さえ選ばなければバカでもチョンでも、そこそこの大学に入れる時代が3年後に来る。首都大学東京は世界の共通の財産。有識者の声を反映した、いい大学にしたい」
B:「一部のバカ野郎が反対して金が出なくなったが、あんなものどうでもいい」
C:「一部のバカ野郎が反対して文部科学省との関係が切れたが、あんなものはどうでもいい。反対のための反対しかできなかった連中で笑止千万。何の痛痒(つうよう)も感じない」
D:「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」

 2004年10月19日、東京都庁で「the Tokyo U−club」という名の「首都大学東京」(以下、「首大」と略)をサポートする会員制クラブ設立総会が開かれた時の発言である。Aは、首大理事長予定者である高橋宏氏(元郵船航空サービス相談役)の発言(毎日新聞10月20日朝刊)、BとDは、石原慎太郎東京都知事の発言(同日同紙)である。Cは、同日の産経新聞で紹介されたもの。

 Aは、「首大」サポートクラブ総会出席者を前にして大学理事長予定者が発言したものだが、毎日新聞のコメントを待つまでもなく差別用語が用いられている。

 BとCは、10月13日に平成15年度に文部科学省の採択を受けた東京都立大学における21世紀COEプログラム「金融市場のミクロ構造と制度設計」が返上されたことを受けての都知事の発言である。このCOEプロジェクトを推進していた近代経済学グループは、「首大」があまりにも一方的に東京都の行政に尽くすことを目的としていることに反対し、研究が続けられないと宣言し、プロジェクト継続を断念する発表をしていた。そして、都知事は彼らを「バカ野郎」と罵った。

 最後にDは、あまりにも一方的に人文学部を破壊しようとした東京都に対して、反対の声をあげ続けた仏文専攻に対して発せられた嫌みのようである。しかし、誰が考えても、フランス語で数が数えられないのは、石原知事の不勉強が理由であり、フランス語のせいではない。もし都知事が、フランス語を母語とする優秀な数学者が多数いることを知らないとしたら、教養のかけらもないと世界から笑われるだろう。ましてや、それをもって「フランス語が国際語として失格」などと理由づけることなどできるわけがない。

 しかし、なぜこのような暴言を吐くのだろうか? それは、冒頭に述べたように、暴言を吐くと、聞いた人が反応してくれるからだ。汚く罵れば罵るだけ世間が注目してくれる、そういう構造があるのではないか。そして、その内容が事実と違っていても、面白がって傍観しているだけ。

 傍観者には、一般人だけでなく、マスコミも含まれる。今回の毎日新聞と産経新聞の記事は、それでも少しは実態を伝えようとしているが、ここに引用されている読売新聞や朝日新聞の記事を見ると、まったく問題視していないことが分かる。

 これは、感性の麻痺というだけでなく、知性の麻痺でもある。政治家を含む指導層が暴言を吐き、それを人々が許容するという構図は、やがて暴言の内容を実行するような指導者を知らず知らずの内に許してしまう社会を作り出すのではないか?

 「ああ、また愚かな暴言を吐いている」と考えるのは、危険な徴候だ。そのように感じる人は、自分の知性が麻痺してきていると自戒すべきだろう。地域面の小さな記事としてほったらかしにしてはいけない。マスコミは指導者層の暴言をもっと大きく扱って、このような人達の責任を問うべきだ。

 ちなみに、産経新聞によるCの表現は、毎日新聞のBとDのせりふの中間を「意図的」に削除しているような気がしてならない。

 (B+D)−C=「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが」

 この部分をカットした記者の罪の重さを感じざるを得ない。攻撃対象になった都立大現代経済学グループの一人は、「『クビ大COE』はなぜ阻止されねばならなかったのか」を発表しているが、フランスからの抗議はまだ届いていない。

注:COE=「中核的研究拠点(Center of Excellence: COE)形成プログラム」とは、創造性豊かな世界の最先端の学術研究を推進する卓越した日本の研究拠点のこと。

(静山視河)



http://www.kubidai.com/modules/xfsection/article.php?articleid=17
「クビ大COE」はなぜ阻止されねばならなかったのか

東京都立大学経済学部 戸田裕之


2003年7月,近代経済学グループ(注1)が文部科学省21世紀COEプログラムの一拠点に採択されたことの前提には,当時公式に計画されていた「新都立大学」と現在の都立大学との間に十分な継続性が存在するであろうという当然の見通しがあった。ところが,その直後の8月,東京都はそれまでの公式計画とはまったく異なる大学「改革」構想を発表した。この構想に基づく新大学なるものが東京都立大学とは完全に異質の「大学」であることは,「首都大学東京」(以下「首大」と略称)の姿が東京都によって具体化されていくその後の過程で明白になった。

新奇なことと価値あることはむろん同義ではない。「実学」「地場の利益」の掛け声のもと,「一地方」東京に直接の利益をもたらすことのみを追求しようとするのが,この首大の理念である。他方,学問一般の発展に対する基礎的な貢献については,一切その価値を認めようとしない。すなわち,首大は,人類の公共財としての学術知識の発展に寄与するという大学本来の使命を放棄し,他者の成し遂げた基礎的研究の成果に寄生するだけの存在として構想されているのである。

もし仮に東京が世界の「一流都市」のひとつとして認知されたいと望むのであれば,そのような貧しい心性を露呈することに益があろうはずもない。また,首大構想は,過去における東京都自らの公的資金投入の成果である都立大学の学問的資産を適切に評価し継承することを拒絶する。それらの学問的資産が将来に亙って生み出すはずの「投資収益」を無条件に放棄しているのである。目先の「利益」にとらわれて長期的視野を欠く,実に狭隘な発想というほかない。

私を含めて近代経済学グループ構成員の多くは,このような首大への就任を微塵も望まない。実際,首大構想が姿を現した昨年度のうちに,早くも16名中3名が抗議の意思のもとに他大学への転出を決意している(注2)。都立大学経済COEはそこに属する研究者の人的構成を前提として採択されたものである。事業推進者の大半が首大へ移行しない以上,「世界的な研究教育拠点(COE)としての継続的な活動」を目指すこの事業が速やかに中止されねばならないことは当然である。COE採択の根拠となった諸条件をもはや満たすことのない組織に対して,国の公的補助金を投入し続けるような浪費が行われてはならない。

ましてや首大がCOE事業を引き継ぐことなどあってはならない。上述のように,東京都は都立大学が築いた学問的資産を適切に評価し継承することを放棄した。その設置者によって設立される首大が,まさにそのような評価を経て採択されたCOE事業を継承する資格を持たないことは明らかである。また,21世紀COEプログラムの目的は,首大の矮小な自己中心主義とはまったく相容れないものである。「持続可能な世界的研究教育拠点」の形成事業をまかされるのは,現在世代だけでなく将来世代に対しても便益を生み出す公共財としての学問の発展に貢献しようという高い志を持つ大学でなければならない。

このように,都立大学経済COE事業を今後も継続することには一片の正統性も存在しない。それにもかかわらず,さまざまな思惑と打算から,組織の見せかけの継続性を取り繕い,事業継続正当化のための理由を捻出し,首大へのCOE 移行を企てる動きが過去何ヶ月かの間に見られた。今回の「COE辞退」は,受動的・消極的な判断の産物などではなく,そのような動きに抗する多くの努力と断固たる意志をもって実現した「クビ大COEの阻止」である。真摯に学問に取り組む現在と将来の研究者すべてに向けて,このことを最後に明らかにしておきたい。


注1 日本では,歴史的経緯から世界標準の経済学を「近代経済学」と呼ぶ。
注2 都立大学経済COEの研究主題は,「ゲーム理論的制度設計の観点から金融市場の課題を分析する」ことであった。転出を決めた3名中2名はゲーム理論分野の研究者である。つまり,核となる研究者から流出が始まったのである。(もちろん,彼らの判断は研究者として当然であり,より良い研究環境でその実力を発揮できることは,社会厚生上も望ましい。) 世界中のまっとうな研究者たちによって,首大が今後どのような存在と見なされることになるか(既に見なされているか)を示唆する象徴的な事例といえよう。

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