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札幌空襲に備えた旧防空指揮所 「北の大本営」解体へ 老朽化で防衛庁方針
2004/08/14 08:23
防衛庁は13日までに、旧陸軍北部軍司令部防空指揮所の建物を当時のまま利用している陸上自衛隊札幌駐屯地の通信施設「月寒送信所」(札幌市豊平区月寒東2)の機能を、来年度中に陸自真駒内駐屯地(札幌市南区)に移転する方針を固めた。この後、建物は2006年度にも解体される。旧防空指揮所は戦時中、北海道と東北の部隊を指揮し、「北の大本営」の異名を持つ戦争遺跡。終戦から59年、道内から戦争の惨禍を語り継ぐ「無言の語り部」が一つ姿を消す。
(報道本部 堀井友二)
第二次世界大戦時の戦争遺跡は一九九○年代半ば以降、全国各地で保存運動が盛り上がり、文化庁も調査を進めている最中だが、老朽化などによって評価を待たず、解体される遺跡は相次いでいる。
四三年(昭和十八年)に札幌への空襲に備えて完成した旧防空指揮所は北部軍司令部のうち唯一、現存する施設。司令部幹部は道内、樺太、千島列島などに展開する部隊から逐一伝えられる戦況を分析しながら作戦を指示した。防空指揮所内には通信部隊が詰め、各部隊から集まる情報を処理していた。
建物は地上二階、地下一階、一部吹き抜けの鉄筋コンクリート造りで建物面積は延べ千九百十一平方メートル。大型爆弾による空襲にも耐えられるよう、天井の厚さは約二メートルあるという。戦時中は外壁が黒く塗られ、屋根の上には擬装のための土が盛られ、草が茂っていた。
内部の壁には北海道を中心にした巨大な地図を掲示し、敵機襲来があると赤いランプを点灯する仕組みになっていた。各部隊からの情報をやりとりする有線、無線の当時の最新鋭機器も並んでいたという。
防衛庁が月寒送信所を移転するのは、老朽化などの理由から。防衛施設庁などによると、移転後、土地と建物は財務省に移管する。同省は翌年度にも建物を解体し、更地にして売却する。
市民団体「札幌郷土を掘る会」は○一年九月、札幌市に対して「平和資料館として活用を」と保存を要請。地元町内会も○二年十二月、文化庁による戦争遺跡の調査対象に加えてもらうよう、同市を通じて要請した。
札幌市文化財課は「第二次世界大戦時の戦争遺跡保存について、文化庁の方針が定まっていない段階で、市独自の保存は難しい」としている。また、文化庁は戦争遺跡の文化財指定をにらみ全国調査を続けているが、旧防空指揮所は遺跡の価値を重視した詳細調査対象からは漏れている。
全国の戦争遺跡に詳しい山梨学院大学の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)教授(考古学)は「旧防空指揮所は北方防衛の中心拠点の施設として非常に重要な戦争遺跡だ。構造や歴史的意義を詳しく調査し、保存を検討すべきではないか」と指摘している。
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旧陸軍北部軍司令部 旧陸軍は1 940年(昭和15年)に軍制改革を行い、全陸軍が東部、中部、西部、北部の各軍にわけられ、北部軍は旧第七師団(旭川)、旧第五七師団(青森県・弘前)で編成。さらに41年から樺太混成旅団が北部軍直轄になった。防空指揮所は戦後、米軍に接収された後、自衛隊の前身である警察予備隊に引き継がれ、現在に至っている。
<写真:旧陸軍北部軍司令部防空指揮所として使われていた陸自札幌駐屯地月寒送信所。静かな住宅街の中で堅ろうなコンクリート造りの建物が威容を見せている>
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040814&j=0022&k=200408143566
※ 電子版には写真なし ※