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(回答先: 水質ワースト河川は大和川、綾瀬川、鶴見川【読売新聞】水質改善:8割近くの川で泳ぐことが可能に 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 7 月 08 日 16:59:07)
★ 前回のコメントの内、北海道の河川に関する部分を訂正します。即ち、
▲槍先形尖頭器(重要文化財) 使用されている各種石材の中でも 瑪瑙は硬度7の硬質にも拘らず ピリカ人は意図した形に仕上げている。 史跡ピリカ遺跡 |
後志利別川とその支流ピリカ川の河岸段丘では、1983〜1993年に、約3万年〜1万数千年前の旧石器時代の遺跡から、約19万点の膨大な石器(頁岩・瑪瑙・安山岩製)とともに、日本最古の玉製ビーズ(橄欖岩製)が出土しました。
現代におけるこの地域は、北海道最南の地の利を活かした農水畜産業が盛んで、人口が多い分、放置すれば、農薬や畜産排水・生活排水によって、あっという間に川は汚れてしまいます。
そこで、虹鱒や樺太鱒が豊富だった清流を取り戻すべく、保護の会が活動しています。
後志利別川が何度も清流日本一に輝いていることは、 多くの支流と周辺の山々が豊かである証し、 この美しい自然を壊すことなく後世に残したいものです。 清流日本一:後志利別川 |
<日曜トーク>秋元寿さん*桧山管内で初めてNPO法人格を取得した後志利別川清流保護の会理事長*守ろう日本一の川*まつり、植樹…活動広げる
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昨年、六年ぶりに清流日本一に返り咲いた後志利別川。今金、北桧山、瀬棚の住民有志でつくる民間非営利団体(NPO)「後志利別川清流保護の会」が四月上旬、法人格を取得した。NPO法人化を契機に、河川保護の取り組みをどう展開していくかを秋元さんに聞いた。(聞き手・北桧山支局 鈴木圭一)
−−会のこれまでの歩みを教えてください。
「一九八七年に後志利別川は、建設省(現国土交通省)による全国一級河川の清流ランキングで一位になり、翌年、三町の有志で会を結成しました。川辺の清掃、催しによる啓発などに取り組んできました。現在の会員は二百人です」
−−NPO法人になろうと思った理由は。
「第一の理由は資金面です。収入は一人千円の年会費と今金町の助成だけで、年間予算は四十万円。これでは活動に限界があります。NPO法人と認知されれば、公的な助成も受けやすくなり、また、多くの人が加入する契機にもなります」
−−そのほかには。
「これまでは、ボランティアの集まった任意団体。しかし、NPO法人となったことで、組織がしっかりし持続した保護活動が可能になります」
−−今後の会の取り組みについて教えてください。
「財政のゆとりができたら、休止している清流まつりを復活させたいですね。五十年、百年の単位で考えれば、確実に効果が出る上流域での植樹も行いたいです」
−−清流まつりとは、どんなイベントだったのですか。
「八八年から五年間行っていました。今金町内の川辺にミニプールを造り、子供が水遊びをする。川の水を大なべに入れ、男爵イモを煮て食べる。川の素晴らしさを体験してもらうのが、狙いだった。川を身近に感じてもらえれば、誰もが守っていこうと思うはず。川辺にごみも捨てなくなりますし、台所から流す生活排水も気に掛けるようになりますから。川は危険だ、近づくなと子供に教えていたら、守ろうとしなくなります」
−−来年度から、今金町内で下水道が使用開始になります。
「なるべく早く接続してもらうよう、町民に呼び掛けたい。ラーメン一杯の汁を浄化するには、風呂おけ六杯分の水が必要です。衣類の汚れを良く落とす洗剤も、川を汚染する原因になります」
−−後志利別川への思いを話してください。
「私が子供のころ、数時間で七、八十匹釣れたアユが、今は一日かけて数匹がやっと。そのころの美しさを何としても取り戻したいと思っています」
<略歴>
あきもと・ひさし 石狩市生まれ。3歳の時、父の仕事の関係で一家で北桧山町へ。開発局の河川管理員だった30歳の時に、隣の今金町に移り住む。現在は北桧山町内の建設会社に勤務。趣味はアユ釣りで、瀬棚郡内水面漁協理事も務めている。70歳。
[2002/04/28(日) 朝刊]
秋元寿さん*桧山管内で初めてNPO法人格を取得した後志利別川清流保護の会理事長*守ろう日本一の川*まつり、植樹…活動広げる