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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040703-00000150-mai-soci
群馬県笠懸町西鹿田(さいしかだ)の複合遺跡「馬見岡(まみのおか)遺跡」で、旧石器時代後期(約1万5000年前)の北方系とみられる細石器と南方系とみられる細石器が同一地層から出土していたことが、町教委の発掘調査で分かった。両系統の細石器類が同一遺跡から発掘された例は過去になく、町教委は北方系と南方系の集団が一定期間、混住ないし交流していたことを示す可能性があるとみている。出土品の精査結果は、今秋にも学術発表される見通し。
同遺跡は約30年前に群馬県の遺跡台帳に登録されたが、1万年以上前の層は手つかずだった。保育園の建築申請が出されたのに伴い、町教委の「笠懸野文化資料館」などが5月25日から発掘調査を行ったところ、8メートル四方の地表1〜2メートル下の地層から36点の主要な細石器が相次いで出土した。
その中で、矢出川(南方)系細石器とみられる黒曜石の細石刃(せきじん)30点、細石核2点、削器(さっき)1点と、北方系細石器とみられる頁岩(けつがん)製削片2点、掻器(そうき)1点が、ほぼ同一地点から出土した。
資料館によると、北海道から発達した北方系の細石器の南限と、九州以北の矢出川系細石器の北限は、北関東地域で重複するという。縄文などの土器文化に移行する直前の約2000年の間に作られ、使用されたとみられる。北方系は茶色や淡灰色で、掻器はイノシシなどの皮から肉をかき落とす道具。南方系の細石器は切る道具とされる。
調査責任者の小菅将夫学芸員は「南方から移住した部族が使った火山岩系石器と、北方から移動した部族の堆積岩系石器が、ほぼ同時期にここで作られたと考えられる」と解説する。
学術的な評価は、学術発表で内容が認められて定まるが、北方系と南方系の集団同士に交流はなかったとされてきた“定説”が覆ることになるか、注目される。【塚本英夫】
◇安蒜(あんびる)政雄・明治大文学部教授=考古学専攻=の話
日本の細石器文化の起源と、その伝播(でんぱ)を探る重要な発掘。これまでは、九州から関東に分布する南の黒曜石製の細石器分布と、北海道から東北、関東という北の頁岩製細石器の分布という、南北2地域に分かれるとされたが、同一遺跡から、これを再考する貴重な史料が発見された。南北2地域(の細石器文化)に、時間的な隔たりがあったかどうかを知るうえで、大変貴重だ。(毎日新聞)
[7月3日3時5分更新]