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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040703i305.htm
民間登用された広島県尾道市立高須小学校長(当時56歳)の自殺原因についての調査報告書作成にかかわった市教育次長・山岡将吉さん(同55歳)が自らの命を絶ってから4日で1年。妻カズ子さん(56)が、時を経ても割り切れない思いを初めて手記にして、読売新聞に寄せた。
「教育に新風を」と導入された先進的な制度の陰で起きた悲劇に当時、県教育界全体が揺れ、議論が交わされたが、山岡さんの死後、それは潮が引いたように消え、教育正常化は進まないまま。手記で、カズ子さんは「あなたの死は一体、何だったのでしょうか」と、問いかけている。
発端となった高須小の校長自殺は2003年3月に起きた。経営感覚を教育現場にいかす目的で前年、県が導入した「民間人登用」の人材で、亡くなったのは元銀行副支店長。「民間人」への支援は十分だったのか、と衝撃は広がり、山岡さんは、自殺原因をさぐる市教委の「調査報告書」作成のとりまとめ役を任され、忙しい日々となった。
原因追及は難航の様相をみせた。県、市教委は同年5月9日、国旗、国歌などに絡んだ教職員との“あつれき”が背景にあったなどとする最終調査報告書を示した。ところが、県教組は7月1日、過重な労働条件が原因などと相反する調査結果を発表し、山岡さんは様々な反論や批判の矢面に立たされた。3日後、山岡さんは帰らぬ人になった。
前日まで市教委で深夜に及ぶ残業を続けていた山岡さん。だが、報告書では、組織としての責任を明確にしていない、と受け止める人もいて、「保身に走っている」との声も。「保身とは何かのう?」。思い悩むこともあったという。
2つの異なった報告書。高須小校長の「真の自殺原因究明」に向け、市議会の一部からは教職員の参考人招致を求める声も強まっていたが、山岡さんの自殺後、声は急速にしぼんで参考人招致は見送りに。市議会ではその後、ほとんど議論されることもなかった。
山岡さんの自殺についても、市などからは明確な説明はなく、県教委と県教組の教育正常化に向けた話し合いも行われないまま。
「あなたが責められた説明責任は今は遂行されているのでしょうか。あなたの死ですべてが封印されてしまうような空気がやりきれない」。そうした思いからカズ子さんは手記の公表を思い立ったという。
平谷祐宏・尾道市教育長の話「尾道の教育が市民から『良くなった』と言われるよう、関係者全員が課題をかみ締め、何をすべきか考えることが、山岡さんの死に報いる道だと思う」
◆手記全文
2003年7月3日の夜11時ごろ、電話で話したままあなたが帰って来なくなってから1年がたとうとしています。この間、私は何もわからずに、その時その時を必死でたくさんのことを行動してきました。
でも家の中は1年前そのままで、あなたがいつ戻っても仕事に出かけられますよ。
あなたの死は一体、何だったのでしょうか。まわりは、何事もなかったかのように動いています。
あなたの仕事は、何のためのものだったのですか。
死の直前まであった、いろいろな方面からの要求は、あなたの死によって解消されたのでしょうか。
あなたに投げられた言葉に、「保身ちゃ何かのう?」と苦しそうに自問していましたね。
本当にあなたは保身のために死を選んだのですか。真理追求のための真実はどこにあるのでしょうか。
「尾道市民みんなで解決していく姿勢が必要である」と明言されていた言葉と心は、どこにあるのでしょうか。
あなたには死後も責められた説明責任は、今は遂行されているのでしょうか。
私はわからないことばかりで、疑問だけが渦まいています。
あなたは何に絶望したのですか。
この1年間、世の中ではいろいろなことがありました。
私は、多くの被害者たちの言葉を身をもって聴くようになりました。これらの言葉の裏に、何百倍もの言葉と苦しみがあることがわかるようになりました。
これが経験というものなのでしょうね。
あなたの最期の地は、冬は花の水も凍りつく地で、行く度に寂しい思いをしましたが、春からスミレ、山桜、藤…と野の花が次々と咲いて、あなたをそっと見守ってくれています。
自然だけが、私達の慰みです。
山岡カズ子
(2004/7/3/16:27 読売新聞 無断転載禁止)
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元銀行員の民間人校長への支援がどうのこうのの前に、経営感覚を教育に生かすという発想自体ナンセンスじゃないかね。調査が宙に浮いたのはわかるが「教育正常化は進まない」ってのは今がどんな異常な状態と言っているんだい、国売新聞さんよ。