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(回答先: 大峰山:女人禁制に意見 反対グループが会見(毎日新聞) ― 「女人禁制問題を残したまま世界遺産登録決定したことは遺憾」 投稿者 シジミ 日時 2004 年 7 月 02 日 21:13:07)
日本には男子禁制の聖地もあるからな。
歴史のある女人禁制の聖地に入って祟られても知らないよ。
---以上略---
久高島は琉球開びゃくの神アマミヤ(アマミキョ)が降り立った島と云い、琉球発祥の聖地とも云い、かつての琉球王府から手厚く保護されていた。
琉球王朝はヤマト古代にも散見できるヒメヒコ制をとっていて、男王とその妹の二人で治世していた。そして男王は現実的な政治をにない、妹は宗教を統べる役目を果たした。妹がいない時には男王の妻がその役目を果たすこともあったが、その宗教を統べる役目、人を指して「聞得大君(キコエオオギミ)」といった。
聞得大君の即位式は斎場御嶽(セイファウタキ)と呼ばれる琉球最大の聖地でかつて行なわれたのだが、この時、もっとも重要な役目を果たすのが、久高島の神女だった。
その神女を、外間(フカマ)ノロといった。外間ノロは即位式の中核儀式である「御名付」の司祭をにない、聞得大君に霊威を与える役目を持っていた。つまり、琉球最高の神女にも勝る霊力を持っているのが、久高島の神女だったわけである。
久高島の神女を歌った歌は、『おもろさうし』にもよく出てくる。しかしそれらの歌のほとんどが荒れる海を穏やかに変える歌であるのは、「おなり神信仰(妹が兄を守るという信仰、航海の守護神)」が久高島に色濃く残っていたからだろうか。それらの歌を読んでいると、久高島の神女は琉球のすべての男のおなり神のようにも思えてくる。
昇る太陽の神女よ
我らの崇高な神女よ
海をなだめ
風を安らげ
神を招いておくれ
昇る太陽の神女
久高の神の女よ
(『おもろさうし』 意訳 by 長屋和哉)
船が、いま
出港したのだ
我は、久高の
神の女
祈って、
船を出したのだ
朝凪が、わかるか
夕凪を、感じるか
さあ、
航海の時だ
(同上)
上記の『おもろさうし』にもあるように、久高島の神女は太陽神と深いつながりがあった。それは太陽が昇る東の方角が神聖視されたためで、地図を見ればわかるように久高島は首里からちょうど東の方角にあたっている。また、斎場御嶽は久高島のちょうど西方にあり、大きく展開すれば、久高島、斎場御嶽、首里、とほぼ真直ぐに太陽の道に沿っていることがわかる。同時に、南島人の原郷として幻視された「ニライカナイ」も東方の海の彼方にあるとされ、だとすれば、久高島はニライカナイからもっとも近い島でもあったわけである。
*
僕たちは自転車に乗ってまずは島の北端、カベ−ル岬へ行った。それから引き返して、原生林の中にあるフボー御嶽へ行った。
だが、フボー御嶽は男子禁制の聖地だった。
僕は御嶽の入り口で自転車を下り、クバの木やアコウやマーニなどが生い茂る薄暗い森の奥に目を凝らした。しかし、人が踏み固めただけの御嶽の祭場へと続く小道は途中で曲がっていて、その先を見ることはできない。灼熱の陽射しのなかで、虫の声すらしない。
モデルの彼女こと、女ねずみ小僧はまるで盗品を品定めするかのように鞄の中からゴソゴソとビデオカメラを取り出し、
「私、見てくるわ」と言ってスタスタと御嶽の道を歩いていった。
「報告してな」と僕は彼女の背中に向かって言った。
---以下略---
http://www.ame-ambient.com/Nagaya/innerworld/okinawa/part05.html