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(回答先: 都教委の元職員ら、教員処分に抗議 日の丸・君が代問題(朝日) 投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 6 月 14 日 14:50:32)
http://www.janjan.jp/living/0406/0406155499/1.php
2004/06/16
私は、埼玉県の小学校の教職に就いて5年になる。学校では、この春の卒業式・入学式とも、例年どおり綿密に練られた計画のもと「粛々と」式が行われた。
新任の年は慣れない業務に追われ、毎日がただ忙しかった。このため、特別何か心に残っているというのはないのだが、今でも2学期の始業式のことはよく覚えている。
夏休みが明けて、さあ始まった、とばかりに子どもたちを体育館に追い立てて、しばらくして気がついた。体育館の正面に国旗が下がっている。校長の講話の後には国歌も流れた。
その年、1999年の8月、「国旗・国歌法」が施行されたのだった。これより、国旗は日章旗、国歌は君が代と定められたが、尊重・罰則規定はない。しかし、以後、教育の現場では、生徒への指導が望まれているのが現状だ。
この法の施行に合わせて旗を掲げたのか、それとも前々から先取りして掲げていたのかは、正直、覚えていない。休み中に国旗・国歌をめぐる様々な議論を見聞きしていたので、はっと気づいた。
ただ言えるのは、周りの他の先生たちは、何か異を唱えるでも感想を口にするでもなく、妙に淡々とそれに従っていたということだけだ。
そして、新任ペイペイの私ができることといったら、「へえ、ほんとに飾ることになったんですね」などと言って、先輩教員の反応をうかがうことぐらいだった。国旗と国歌は、こんなふうに「なんとなく現場に入ってきた」という印象だった。
だが、私がぼんやりしている間にも、学校に、またもやなんとなく入り込もうとしていることがある。それは、国旗への「『再』敬礼」とでも言うべきものだ。
今年の卒業式を例に挙げるとこうだ。校長が壇上に上がる前、まず体育館の対面の壁に並んで座っている来賓に礼をする。次にステージ脇の階段を上がって、上りきったところで今度は国旗に深々と礼をするのだ。もちろん彼の尻は主役である子どもと保護者に向けられる。
赴任した頃は、壇上で「再敬礼」をする習慣などなかった。記憶があいまいになるが、3年ぐらい前に校長がしているのを見て、なんだあれは、と思ったのが初めてだ。その後、式に出席する来賓やPTA会長なども真似るようになった。
そして今年は、国歌の指揮者や一般の教員まで、この礼をするようになった。法律で定められたわけでも、教育委員会から通達があったわけでもない。誰か、おそらく上の方の人が始めたこの行為に、私を含む式に参加した教員や関係者の多くが、どういうわけか従ってしまう。
子どもの「国旗観」に大きな影響を与えるであろう、この行為に対して、本来ならばきちんと自らの主張をするべきなのに、何の議論も反論もなかった。何か言って目をつけられたくないという事なかれ主義なのかもしれないが、口をつぐむ人が増えれば増えるほど、異を唱える人が浮き上がってしまう。その結果、自分の意見をはっきり言う人を異端視するような風潮が学校に蔓延する。
憲法で保障された思想・信条の自由は、自分に都合の悪い意見を押さえ込もうとする為政者だけが破壊するのではない。目の前のことを、見て見ぬふりをしてやりすごそうとする人もまた、共犯になりうる。
もしも来年、証書を受け取りに上がった卒業生にも礼を強いるようであれば、私は、今度こそ腹を据えて異を唱えたい。
(辻井憲治)