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http://373news.com/2000picup/2004/05/picup_20040520_3.htm
横川町上ノの紫尾田地区にある田の神像が、南九州で最古のものとみられることが分かった。これまでより61年古い1644(正保元)年の建立とされ、「17世紀の田の神像建立はあり得ない」とする通説を覆す可能性もある。調査にあたった鹿児島民具学会員の松田誠さん(61)=加治木町=が20日に横川町中央公民館で開かれる横川史談会で報告する。
田の神像は、安良小学校近くの県道沿いにある。小さな冠に上衣とはかまを着けた衣冠束帯の神官型。唇と上衣は朱色に着色され、口元はかすかにほほえんでいる。別の石で彫った二俵の米俵の上に安座しており、高さ約60センチ。同地区では毎年、田の神講が開かれている。
松田さんは昨年11月、同町の依頼で町内すべての田の神像38体を調査。紫尾田の像の背面に判読が難しい年号の刻字を見つけ、元鹿児島大学教授の下野敏見氏(民俗学)や鹿児島大学名誉教授の五味克夫氏(中世史)が「正保元年」と解読した。刻字には郷士の名前が連なり、農業を営んでいた郷士が作ったとみられる。同町は今年1月、この像を文化財に指定した。
田の神信仰は全国にあるが、石像は鹿児島県と宮崎県の旧薩摩藩領にしかない。仏像型と神官型に大別され、1705(宝永2)年に作られた鶴田町紫尾の仏像型が最古とされている。
松田さんは「田の神像は自営農民のような武士階級から発祥したと思われる。しかも年代はかなり古い。従来の説を見直す必要がある」と話す。下野氏も「解明しないといけない問題点もあるが、田の神像の起源や成立事情を知るうえで画期的な発見」と評価する。
一方、薩摩藩の藩政が安定し、開田事業が進むのが1600年代後半。こうした時代考証から「田の神像建立は、さかのぼっても元禄年間(1688−1704年)」という説もある。鹿児島民俗学会代表幹事の所崎平氏は「まだ藩が米増産のために農民の意欲を奮い立たせる時代ではなく、田の神像が作られるには早すぎるのではないか」と話している。