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★ 日本が数千年に亘って維持してきた里山には、昭和30年代からの林野庁施策以後、破壊が続きました。
今、日本の各地で、地方の過疎と都会の過密を解消し、地元の人が暮らせて、都会の人が訪ねたくなる、故郷の復活が図られています。
言うまでもないことですが、自然再生運動の全てが、左翼の逃げ場でもなければ、基より、グリンピース←シオニストの陰謀によるものでもありません。
それは、産業革命を起こした英国に行き、ケンブリッジ辺りの大学町の近郊を歩けばすぐに気づくことです。
多くの英国人は、「工業は自国でやるものではない。農業こそ自ら手を掛けるべきもの。」と思い定めている節があります。彼等の場合、その植民地主義的発想への依存に問題は残りますが。
棄農して工業化したのに、工業が空洞化する日本。バブル再来を待望するのではなく、今こそ、都市と農村の交流により、「農業を続けながら、等身大に暮らせる土台」の再生を始める時ではないでしょうか?
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飛鳥川の上流に広がる明日香村栢森の集落に、女淵(めぶち)と呼ばれる場所がある。一本の美しい滝が落ち、水の神が宿ると考えられてきた。日本書紀に記された皇極天皇の雨乞いが、この淵で行われたとする伝承もある。栢森地区は「奥明日香」とも呼ばれ、源流域にふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせている。だが、周辺の山は杉やヒノキ林に姿を変え、河原に雑木が生い茂るなどして飛鳥川の水面は曇ってしまった。四季の移ろいを映す飛鳥川を取り戻そうと、有志や行政による取り組みが始まっている。
▼【思い出の飛鳥川】
栢森の総代を務めた嶋村清隆氏(74)の脳裏には、子供のころに見た奥明日香の原風景が鮮明に焼き付いている。「細かい棚田が谷に沿って続き、その上に広葉樹の森が広がっていた。飛鳥川の曲線が絵に描いたように美しく、ツツジやユリが旬の花を咲かせてくれた」
美しかった棚田は昭和30年代ごろから人工林に姿を変えた。子孫のために植えた杉やヒノキは手入れに金がかかるばかり。「食えない林業」はかえって過疎化を招く結果となった。水際近くに迫る山々は、昼なお暗い針葉樹林が大半だ。嶋村氏は「わずか半世紀で今のような景色になってしまった。たとえ一世紀かけても明日香らしい景観を取り戻し、子や孫たちに残してやりたい」という。
昭和初期の奥明日香を復活しようと「飛鳥川の原風景を取り戻す仲間の会」が結成されのは平成11年11月。「森の手作り塾」でコーディネーターを務めていた水谷道子さん(50)=橿原市田中町=が事務局長として活動を支え、会長には嶋村さんが就任した。
森林インストラクターの資格を持つ水谷さんは、三重県尾鷲市で一ヘクタール近い山林を育てる山のプロ。人手のない山林を世話する「山守の会」の会長でもある。「仲間の会の活動理念は嶋村さんの話が原点。地元の熱い思いにいろんな出会いが重なって発足できた」と振り返る。
森林文化政策研究会を率いる筒井迪夫・東京大学名誉(林政学)の一行が奥明日香を訪ねたのは発足の年の3月。水谷さんと嶋村さんが案内し、この出会いがきっかけとなって「サンワみどり基金」の支援が決まった。筒井氏は現在、「仲間の会」の名誉会長を務めている。
最初に手をつけることにしたのは女淵から下流の50メートル。水際まで密集していた杉やヒノキを間伐し、明るくなった斜面にササユリを植えた。ジャングルのようだったスズタケも切り払った。飛鳥川の水面は土手の上からも眺められるようになった。
左岸では河原石で遊歩道を作る作業が進められた。人の頭ほどの石を拾って敷き詰め、間を土で埋める。平成12年3月には、延長約70メートルの遊歩道が完成した。その年の秋から活動範囲を広げ、約1キロの川筋で草刈りを行っている。作業には「山守の会」のベテランたちも参加、奥明日香の再生を軸に、大きな人の輪ができつつある。嶋村氏は「都市部の人がまるで幼なじみのように働いてくれる。言葉にできないほど感謝している」と話した。
▼【地元の理解】
これまでの参加人数は延べ約1200人。1回あたり約70人が働いた計算になる。県内のほか、京都や岡山、神奈川からの参加もあったが、地元住民は毎回1割程度にとどまっている。いずれも高齢者だ。水谷さんは「そこで長く生活してきた年配者は景観の復活に強い意欲を持っている。しかし、担い手世代の関心は低い。残念だが、このままでは田畑が雑木林になり、広葉樹の森は杉やヒノキに姿を変える。草刈りは外科的治療。自然の恵みを生かす内科的な取り組みがないと景観は守れない」という。
活動期間を10年としたのは、高齢化による地元住民ゼロの事態を想定したことも理由の一つ。「地元の人がノーと言うのに外部の人間だけで活動していいのかという思いは常にある。私たちにとっても重い課題」。名誉会長の筒井氏は、森林の美しさを収益ととらえる「風景分収林」を提案している。公共のために「美しさ」を提供する風景林をボランティアの力で支えようという考えだ。
地元住民の関心を高めようと平成13年1月に導入したのが「エコマネー」。
間伐材で作った直径10センチほどのコースターが「1あすか」。作業の報酬として参加者に手渡し、地元農家が用意した農産物と交換できる。最初、3軒ほどの農家が農産物を並べていたが、今は10軒ほどに増えた。
ただ、当初の目的とはちょっと違う。水谷さんたちの狙いは、支払ったエコマネーで「仲間の会」にボランティアの農作業を依頼してもらうこと。今は農家に渡ったエコマネーを1枚200−300円で「仲間の会」が買い取っている。稲刈りの人手が足りない、炭を切ってほしい−。自然環境の保全につながる労働力としてエコマネーを流通させるのが目標だ。
水谷さんは「今はエコマネーもどき。でも、前段階と考えれば一歩進んだと言えるかもしれない。作業を続けるには地元の人たちと信頼関係を築くしかない。
まだ完全ではないが導入してよかったと思う」と笑顔を見せた。
◎ 森の手作り塾
明日香村地域振興公社が平成10年8月に開講。水谷さんたちが始めた「あすか森の手作り塾」が母体となった。毎年受講生(定員50人)を募集し、年8回程度活動している。野草料理や草木染め、炭焼きなどのメニューが用意され、栢森地区の住民が講師を務めている。住民にとって地域の魅力を再発見することにもつながっている。
水面に四季の移ろいを 奥明日香の復元[上] 高松塚光源:第三部 飛鳥を伝える 奈良新聞特集