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(回答先: という事は 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 6 月 02 日 01:23:33)
マタイの福音書は元々マタイによりヘブライ語で書かれたという証言があります。
また、死海文書の中の聖書以外の幾つかの文書も、ヘブライ語で書かれており、西暦紀元後
にユダヤ教のミシュナが編さんされた際にもヘブライ語が使われました。イエスの時代、ユ
ダヤ人はヘブライ語とアラム語、二言語を話す民族になっていたようですが、どちらかとい
えば、ヘブライ語のほうが望ましい言語として優勢だったようです。
ウィリアム・チョムスキーは、アラム語が完全にヘブライ語に取って代わったという一部の
ユダヤ人や非ユダヤ人の学者たちの説は何ら根拠がなく、事実上論破されてきたと述べてい
ます。彼はミシュナのヘブライ語について「この言語は農民、商人、職人などが用いた典型
的な日常語の特徴をすべて備えており……入手できる証拠によれば、ユダヤ人は一般に第二
国家時代中、とりわけその後期には両言語[ヘブライ語とアラム語]に精通していたと結論す
るのが穏当であると思われる。彼らは時には一方の言語を、また別の時には他方の言語を使
った」。―「ヘブライ語: 永遠の言語」、1969年、207、210ページ。
杭につけられていたイエスが語った、「エリ、エリ、ラマ サバクタニ」(マタイ 27:46;
マルコ 15:34)という言葉は普通、アラム語で、恐らくそのガリラヤ方言ではないかと考え
られています。しかし、「注釈者の聖書辞典」は次のように述べています。「その言葉の原
語に関し、またイエスご自身がヘブライ語とアラム語のどちらをより自然に用いられたかに
ついては意見が分かれている。……種々の文書からすれば、多少アラム語の影響を受けた、
ある形態のヘブライ語が紀元1世紀のパレスチナで使われていたものと考えられる」。(G・
A・バトリク編、1962年、第2巻、86ページ)しかし実際、これらの言葉は、単に音訳された
ギリシャ語に過ぎません。そこから使われた原語を確定するのは難しいでしょう。
また、古代ユダヤ人は、系図によりその"血統"を証明することができました。
ユダヤ人にとっては、自分がイスラエルのどの部族に属しているかということは、律法の上
からもとても重要なことでした。そのような系図は、家族により保存された記録簿のほかに、
国家的な系図の記録というのもも存在していたようです。しかし、その記録は西暦70年にエ
ルサレムが滅ぼされた時にローマ人によって廃棄されました。(「アピオンへの反論」、
F・ヨセフス著、I、30‐38 [7]; ユダヤ戦記、II、426‐428 [xvii、6]; VI、354 [vi、3])
その時以来、ユダヤ人は最も重要なダビデとレビの二つの家系に関してさえ、自分の血統を
証明することができなくなりました。
タルムード、異邦人に対する見方にはちょっと怖いものを感じますが、いまのユダヤ人社
会にどれほどの影響があるのでしょうね。