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事件直後は、インタビューを受けた通行人が、
「私に何を話させたいのか?私を投獄させたいのか?」
っと答えるほど、何も、発言できない状況があったそうです。
一年たった先月、立ち寄ったカサブランカで、見違えるほど欧米化した一方、貧困が進んでいることに目を疑いました。
湾岸戦争がおきようと、王様がなくなられようと、パレスチナの独立が果たされず、911があろうと、カサブランカの風景は、ほとんど、変わらなかった。たしかに、いなかったストリートチルドレンが90年代後半から出てきたし、テレビ番組も、ばかげたコメディ物が受けるようになってきていたし、マクドナルドも、軒をつなれるようになってきた。それでも、街の変化は、日本と比べようのないのんびりとしたものだった。
が、この一年は、違った。ハッサン2世モスクが建築されたときも、それなりの変化を感じたが、それでも、それは、ハッサン2世という名を持ちながらも、モスクには変わりなく、市民に受け入れられない寓物ではなかった。
しかし、先日、私が、カサブランカの旧市街での話は、ショックだった。
16−7歳の少年が8歳前後と14歳前後の女の子を連れて通称バッブマラケシュ(マラケシュ門と呼ばれる地区が旧市街にある、一般庶民の集まる市場で、観光客も足を運び、いつもにぎわっている)を歩いていた。少年は、ぐれた風で、2人の少女も、年少であるが、あきらかに、それなりの客商売をしている身なりであった。
8歳の少女:どうして、そんな、疲れた、疲れたっていうの?何があったの?
少年:おれ、きのう、ねちゃったよ。そいつったら、ばっかだよな。おれが、エイズだって、知りもしないで、ねちゃうんだから。
14歳の少女:へぇ、そんなばか、いるの?
少年:おれも、まだまだ、やれるんだからね。
事件以来、イスラム色が一切排除される一方、ドラッグ、客商売が、一般市民の社会に入り込んできていることを思い知らされた会話であった。
一方、中流以下の一般庶民の市場(こちらは、当然、観光客も足を踏み入れないし、足場も悪く、野菜の見栄えも落ちるが、安い)は、もともと、都市開発計画の中で、すでに、売却済みで、住民の立ち退きが強制されていたのが、実際に実行され、多くの建物ががれきと化していた。
知人の娘さん小学校1年生の話。(彼女は、この界隈の女子だけの小学校に通っている)クラスのほとんどの子供が、ノートも書くものも持ってきていない。何回も使える黒板(下敷きサイズのものが一般的で、25円ほどで、チョーク1本つき)をもってるだけ。中には、はだしで学校に来る子供もいる。ただ、表面的な貧富の差は、子供の友好の妨げになっていることはないらしく、子供は、結局のところ、気の合う、合わないで、友好関係が深まっているようである。そんな彼女の友達の一人が、昼休み後(昼食を自宅に帰って取るため、学校には、朝と、食後の二回登校する)、泣きはらして、登校してきた。わけを聞くと、午前の授業が終わって家に帰ったところ、家がつぶされていた。家族が、荷物を家の前の通路に並べて、私が帰ってくるのを待っていた。兄弟も、次々と帰ってきて、家族集まったところで、移動することになったけど、どうしても、最後、午後にもう一度、登校して、みんなと会いたくて、お母さんにお願いして来た。という話。彼女のこの友達は、それ以降、学校に来ない。
これを聞いた私が、パレスチナのガザを例えたら、決して、そのことを口にしないように、注意を受けた。
40−50の大人は、みな口をそろえて、物がなくとも、昔のほうが、住みやすかった。と、言い、30−40の大人は、文句ばかりで何もしないと大人は。(40−50歳の人)いうが、何ができるのだ。誤魔化して、ピンはねをしてないと金は手に入らない。と、堂々と言う。
数年前、お給料の解説をしてくれたモロッコ人がいた。
「お給料は、クスクスの野菜でしかないよ。クスクスは、自分で、経常(ピンはねなり、賄賂の授受)するんだよ」
×クスクス: モロッコ発祥の北アフリカの国民的料理。モロッコでは、一般に、金曜日の昼食に出される。サリモナ粉と小麦粉で練って粒を作って蒸し、お肉と一緒に煮込んだ野菜のスープをかけて頂く。上のお給料の解説は、日本風にすると、すき焼きの牛肉はピンはねをして買ってきて、白菜やたまねぎは、お給料で買う。と、なるのではないでしょうか。